【2周年記念SS】小さな恋のうた
こちらはひろしたの2周年記念のSSになります。
本作品としてもそろそろ200話なので、ついでに200話もお祝いSSとします。
本編には何の影響もありませんが、お楽しみいただければ嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
本名はとうに忘れたつもりだった。
それでも不意に、思い出す夜もある。
物心ついた時には、母はいなかった。
父はその辺りで一番大きな街の繁華街に、寄生するように生きている男だった。
揶揄ではなく、本当にその通りの生き様であったので、これは事実を述べたに過ぎない。
仕事はせず、女から金をくすねては酒を飲んだ。
父は顔だけは良かった。その顔と軽薄な生き方で、夜に生きる女の部屋を転々として生きていたのである。しかも息子を連れて。
今振り返ってみれば、子連れであるのにあれほどモテたというのは、ある意味大した男ではあるな、と思わなくもない。尊敬など毛の先ほどもないが。
あの男が父で良かったことといえば、精々が受け継いだ顔と、女受けの良い身なりや、仕草を学んだことくらいだ。
そして俺が15の時、父は死んだ。手を出してはいけない女に手を出して、刺されてそのまま。呆気ない最期だった。
全く悲しくないといえば嘘になる。だがどちらかといえば、らしい死に方だな、というひどく冷静な気持ちの方が大きかった記憶がある。
父を失った俺の生活は、それほど苦しい物ではなかった。俺の事を自分の”飾り”として手元に置きたがる女が引きも切らなかったからだ。
まだ大人になり切らない俺が、あどけない笑顔を見せれば、どんな女も微笑みを返してくれた。奢ってくれた、金をくれた。寝床をくれた。
あの時の俺が、調子に乗っていたのは間違いないだろう。
そんな時、彼女に、出会った。
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賑やかしい店内の隅、薄暗い場所にそいつはいた。
「お姉さん、一人?」
声をかけた理由は最初は気まぐれ。目立たない場所に一人でいるその客が妙に気になった。もしかしたら新しい金蔓になるかもという期待もあった。
いつものように相手に好まれる角度と表情で話しかける俺に、少しだけ驚いた顔をした女を見て、俺も驚いた。
この辺りでは見ない顔だ。異国の気配を漂わせた切長の目が、女の纏うどこか謎めいた雰囲気を色濃くしている。
俺にしては珍しく、胸に何か動くものがあった。
「、、、一人で飲むのが好きなの。放っておいてくれる?」
彼女の口から出たのは意外な言葉。自分で言うのも何だが、誘えば隣を空けるのは当たり前だと思っていた俺は、内心少しムッとする。
そのまますごすご引き下がるのは自分のプライドが汚されるようで、俺は改めて笑顔を作って、諦めずに話しかける。
「そんなこと言わずにさ? 一人で食事は寂しいよ? 僕でよければ話し相手くらいにはなれると思うけど?」
彼女は一度僕を上から下まで見やると、「ふうん」と一言だけ呟いて席を立つ。
「え? あの、、、」
「もう会うことはないと思うけれど、再会することがあれば食事くらいは付き合ってあげても良いわ、小さな色男さん」
そんな言葉を残して、彼女は颯爽と店を出て行ってしまった。
残された俺がポカンと背中を見送っていると、後ろから顔見知りが腕を回して絡んでくる。
「なんだ、珍しい顔してるな●●●。もう酔ったのか?」
「いや、、、そこにいた女が、、、、」
俺の指差す場所を見た顔見知りは首を傾げた。
「そんなところに誰かいたか? やっぱお前酔ってるんだろ?」
「いや、ちが、、、」
そこまで言いかけて口を紡ぐ。誰もあの女の存在に気づいてないのか? なんだったんだ今のは、、、
何ともいえない気分のまま、顔見知りに連れられていつものように乱痴気騒ぎの中へとその身を投じていった。
再びその女を見かけたのは、翌日の市場でのこと。
雑踏の中を縫うように歩く後ろ姿は、見間違えようがない。
追いかけようと足を急がせるが、買い物客が最も市場に集まる時間帯。人混みでうまく進めない。
そんな状況にも関わらず、彼女は誰かにぶつかることなく一定の速度で進んでゆく。誰も彼女を気にも止めていないようにさえ見える。
ーーーー何なんだ、あいつはーーーー
俺はどうしても気になって、多くの人にぶつかり、嫌な顔をされながらも目を離さないように気をつけながら先を急いだ。
ようやく人混みを抜けたあたりで一度完全に見失う。
周囲を見渡すと、少し違和感のある路地裏があった。そちらへ向かうと、彼女の背中が見えた。
「待ってくれ!」
追いついた勢いで思わず手首を掴むと、自分の体が宙を浮く感覚に襲われる。
気がつけば空を仰いでいて、呆然とする俺を切長の目が覗き込んでいた。
さらりと垂れた髪の先がわずかに触れ、俺の鼻をくすぐる。
「、、、あら、昨日の、、、私を付けてきたのですか? どうやって? 気配は消していたはずですけど?」
起き上がって埃をはらう俺を不思議そうに見つめてくる女。
「危険はないと判断したので泳がせておきましたが、貴方はどうやって私を見つけたんですか?」
と、よく分からない質問を投げてくる。
「どうやって、、、って、そこに歩いていたんだから見つけるも何もないだろ?」
ついつい言葉遣いも乱暴になる。
「そこに歩いていたから、見つけた、、、、、」
いよいよ難しい顔で視線を空にやる女。しばしの思案ののち、俺へと再び視線を戻す。
「貴方は鼻と耳が良いのかもしれませんね」
と微笑む。
その言葉に、俺はどきりとしてしまう。今まで、顔が良いと言われたことは飽きるほどあったが、容姿以外を褒められるのは初めてのことだった。
なんだか急に耳の辺りに熱を感じ、「そ、それよりも約束守ってもらうぞ!」と話題を変える。
「約束?」
「もう一度見つけたら飯を奢るって言っただろ!」
俺の言葉に彼女は少し笑って。それから少し悪そうな顔を見せる。
「いいでしょう。ついてきてください。ごちそうしますから」
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余計なことを思い出して寝付けず、あまり良いとはいえない目覚めに、あくびを噛み殺しながら秘書官の詰め所へと入室する。
「おはようございます」
「あら、サザビー。今日は早いですね」
「そうですか? 朝はネルフィアの顔が見たいと思っているので」
「あら、私にそんなことを言っても何も出ません」
「いえ、本当のことを言ったんですけど?」
「昨日遊んだ女の子にでも言ってあげればいいのに。もっと良い情報を引き出せたかもしれませんよ?」
「公私混同はしない主義で」
「意味分かって言ってますか?」
お茶でも淹れますね。と言いながら席を立つネルフィア。
その後ろ姿を見ながら、サザビーは「本当なのになぁ」と呟く。
あの日、店を出る後ろ姿を見送ったあの瞬間から今日まで、サザビーは今も彼女の背中を追いかけ続けているのである。