【第2話】王の眼
「おい、そこの文官」
鋭い声が背後から飛び、ロアたちの背筋を凍り付かせる。
「真ん中のお前だ、今、なんと言った?」
恐る恐る振り向けば、高位の黒い衣を纏った壮年の男。その両側には男を守るように2人の軽鎧姿の騎士が居る。そのうちの一人は小柄な若い女性だ。
この国の人々が、この黒衣の人物を見間違うことはない。
“王の眼”“ルデク王国の双頭”その他にも通称には事欠かない、第10騎士団、副騎士団長、レイズ=シュタインその人だ。
両隣にいるのはレイズの剣と盾として有名な、ラピリア=ゾディアック、グランツ=サーヴェイの2人。
いずれも見かけるだけでも恐れ多いと言われるほど、この国においては英雄と目される将たちだ。
ルデク王国には10の騎士団がある。数字と実力には関係がないが、中でも第10騎士団だけは特殊な存在だった。通常の騎士団はその頂点に将軍を配しているが、第10騎士団だけは別。この騎士団の団長は、この国の王。
第一騎士団は王の親衛隊など、他の一から九の騎士団に基本となる持ち場があるのとは違い、第10騎士団だけは臨機応変に自由に動くことが許されている。つまり遊軍である。
そして第10騎士団の全権を実質的に握っているのが、レイズ様である。これだけでも王の信頼がどれだけ厚いか分かるだろう。
「おい、聞いていなかったのか? そこの黒髪のお前、今なんと言ったか聞いている」
レイズ様に再度指名されて、僕は初めてまずいことを言ったことに思い当たった。
確か、この盗賊の討伐戦は最初は失敗するのだ。原因は盗賊を舐めてかかり、十分な戦力を向かわせなかったこと。
その後第10騎士団にお呼びがかかり、レイズ様が村への物資の出入りの量に違和感を感じて、そこから背後関係を調べさせた。そうして村の領主が盗賊を支援していたことを見抜き、逆手にとって罠にはめ、領主ともども盗賊を制圧したのだった。
つまり、この段階では領主と盗賊が繋がっていることを知る者はいないはずなのだ。デリクとヨルドの2人なら「ふーん」と聞き流して終わりだったろう。最悪の相手に聞かれた。
領主と盗賊の関係が暴かれれば、僕は領主と繋がっている反逆者として投獄、最悪処刑されるかもしれない。
そうなったら滅亡回避どころの話ではない。なんとか言い訳を考えないと、、、早急に!
「おい、レイズ様の問いかけに答えぬつもりか」ラピリア様が不快そうに一歩前に出る。その手が剣の柄へと伸びた。
「、、、物資の出入り表に、、、、違和感があったんです!」思わず口にした言葉は、本来はレイズ様が気づくはずの違和感。何も思いつかなかったのだから仕方がない。
僕は必死で自分の記憶をまさぐる。確か最初の違和感は、王都で管理する商人の売買記録がきっかけだったはずだ。
問題の村は同じ規模の村に比べて、商人から申告された買い入れが少し多かった。にもかかわらず村からの報告は通常通り。
これが3年ほど毎月続いていたらしい。突然数字が変われば違和感があるが、3年間ずっと少しずつ水増しをしていたので監査の目を逃れていた。
「物資の出入り表? 続けろ」
「はい。商人の納税申告では、あの村は他の村に比べて、いつも少し買い入れが多いんです。けれど、村からの買い入れの申告は普通。これっておかしいですよね? 税のことを考えれば仕入れをかさ増しして、町の維持費がかかったと嘘をつくなら分かります。減税のための虚偽報告なので。けれど、逆に少ないのは変だな、と。その書類をたまたま見かけて、裏で何かやっているんじゃないかと、、、、」
「そんなことを一介の文官が気づいたと?」
涼しげを通り越して冷たさすら感じる視線が僕を刺す。居た堪れず、思わず生唾を飲んだ。そんな僕に助け舟を出してくれたのはデリクだ。
「恐れながら申し上げます! この男、ロアは異常に記憶力が良いのです! 仲間内では人間辞書として重宝されております! 多分、たまたま見かけた書類を覚えていて、気になったのではないかと、、、、」
レイズ様はデリクには目をくれず僕を見つめたまま
「事実か?」と短く聞いた。
「、、、、はい。一応、記憶力には自信があります」
僕の言葉を聞いたレイズ様は少し考えるようにすると、
「、、、では、昨年の5の月の10日、何があったか答えられるか?」
それは、僕にとってはものすごく簡単な質問だった。
「はい。帝国兵が国境のすぐ近くまで出張ってきたため、我が国からも急きょ警戒部隊を国境へ向かわせた日ですね。第二、五、七騎士団と第10騎士団の出陣が予定されていましたが、帝国が兵を引いたため、結局第五騎士団しか向かいませんでした」
僕の答えを聞いたレイズ様は少しだけ口角を上げる。
「なるほど、確かに記憶力は良いようだな。分かった、ロア、と言ったな。貴殿の疑問は看過できぬ。調べさせよう。だが、今後そのようなことに気づいたらすぐに上司に報告するようにせよ」
「は、はい! すみません」
その言葉を潮に、もう行って良いと合図をされる。
逆方向へと颯爽と歩いてゆく3人を見送ってから、僕らはその場から逃げるように、早歩きで職場へと向かう。
「びっくりしたなぁ。心臓が止まるかと思ったよ」ヨルドが小さな声で僕らに喋りかける逆側では「おい、本物の戦姫だぜ! やっぱかわいいなぁ! ラピリア様は」とデリクは興奮しながら言う。
ラピリア様は戦姫と呼ばれている。戦場に若い娘が出るのは異質ではあるが、彼女の祖父は、当時の王に最も優秀と信頼された大将軍。そしてその孫娘は武に傾倒し、戦場を駆け回っているのだ。
最初は小娘の児戯と馬鹿にしていた兵たちも、一対一での読み合いの強さと、指揮官としての優秀さ、そしてその容姿から、いつしか「戦姫」と呼んで崇敬するようになった。
噂では本人はそのあだ名を「王家に対する不遜だ」と言って嫌がっているようだが、祖父の妻は王族の一人であり、王の遠縁にあたる彼女は「姫」を冠するにふさわしかった。
一歩間違えれば切り捨てられていたかもしれない僕は、ただただ怖い相手だとしか思わなかったけれど。
やっぱりこういうのは遠くから美化された物語を聞いているのが一番いい。
そんな事を思いながら職場に到着。どうにかみんなが生き残る方法を、、、と考える。仕事は上の空のため、何度か書類の記載ミスをして上司に怒られながら午前中を終え、さあ午後の仕事! そう思ったところで上司に呼び出された。
また何かミスをしたのだろうか? とりあえず謝るつもりで上司の部屋へ行くと、上司は少し青い顔で僕を待っていた。
「ロア、午後の仕事はいい。この場所へ向かえ」
そう言って渡された命令書には、王宮の中央部の部屋が記されていた。