【第182話】レイズ=シュタインの一手23 ネルフィア、疾る。
リフレアの古道と山を挟んだ反対側、ゼッタ平原よりも北にある森の中の細道。
その細道をネルフィアの駆る馬が走っていた。
今、彼女の背後からは盗賊が追いかけて来ている。
もう大分前から追撃しているのだが、ネルフィアの騎乗技術で徐々に離されているのが現状であった。
しかし盗賊もすごすごと諦めるわけにはいかない。身なりの良い女が一人、人気のない道を通過しているというのに、その身体一つ触れられぬとあれば、悪党仲間の良い笑いものだ。
笑い物云々を除いても、こんな上玉を逃す手はない。頭領は声を張る。
「もう少しだ野郎ども! もう少しだけ追いつめろや!」
技術も馬も劣る盗賊どもだが、この辺りは彼らの縄張りである。
当然知っている。先回りするルートを。
、、、、サザビーはそろそろ潜入に成功した頃でしょうか。
ネルフィアはそんなことを考える。
ここまで二晩寝ずに駆け抜けてきた。その程度はネルフィアにとっては何のことはないけれど、馬のことを考えればそろそろ休息が必要だとは思う。それでも、なるべくなら一歩でも早くルデクに到着したい。
ルデクに入ってさえしまえば、やりようはいくらでもあるのだ。
それにしても、私が王以外の命令で馬を走らせるとは。
思わずクスリと笑ってしまう。
それこそ、レイズ=シュタインでもなし得なかったということを、ロアは気づいているのだろうか?
私が判断して動いたのなら良い。そうではなく、ロアに命じられたというのが面白い。
レイズが拾ってきた、ともすれば凡庸に見える文官。にも関わらず王さえロアに興味を持った。
気がつけば若き王子の最側近であり、今回の一件では第10騎士団も彼が動かしている。グランツでも、ラピリアでもなく、新参のあの文官が事実上の指揮官だ。
不思議なものです。
だけど、ネルフィアは悪い気分ではない。ロアと、その仲間のことは気に入っている。
日々全ての人間を疑ってかかるのがネルフィアの仕事だ。人は必ず嘘をつく。嘘をつかない人間など存在しない。その嘘が良いか悪いかの違いがあるだけ。ネルフィアは常に選別する。王の害となる嘘かどうかを。
そんなネルフィアの生活の中で、ルファやディックと共に食糧の在庫を数えるという行為は、思いのほか癒しのひと時であった。
無論、ルファやディックが嘘をつかないというわけではないけれど、少なくとも、ネルフィアが懸念するような案件が発生する可能性は皆無。
ロアの周りには面白い人間が集まってくる。流石にあのゾディアさえ引き寄せられたのは少々驚いたけれど。
そこまで考えてふと、気づく。その理屈で言えば自分もまた、ロアに引き寄せられた者の一人ではないだろうかと。
ネルフィアは運命の女神の存在をあまり信じてはいないが、それでも運命、というものの奇妙さを少しだけ感じていた。
「来たぞ!! あの女、これで終わりだ!」
盗賊の頭領はガハハと大声で笑う。
ネルフィアの前に近道から先回りした5人の部下が飛び出して来たのだ。道の幅を考えれば避けようがない。馬の足を止めれば最後、挟み撃ちで終いだ。
ネルフィアはルデクに入ってからの段取りを考える。どの町村を経由すれば最短か。より、効率が良いか。
本当にルシファルが裏切っているのであれば、時間的な余裕はないというか、ギリギリ。いいえ、準備時間を考えるとかなり厳しい。
私たち暗部が歴史に残ることはない。けれど、これは、私にとって最大の仕事になるかもしれない。
そんなことを思いながら、ネルフィアは自身の懐に手を入れ暗器を取り出すと、ともすれば乱暴に見える手つきで前方へ投げつけた。
先の尖った暗器は、行手を塞ぐ盗賊の首に次々に突き刺さる。
ネルフィアの道を開けるかのように、左右に倒れてゆく盗賊。
一瞥もせずに走り去ってゆくネルフィア。
残されたのは5つの死体と、追いかける側だったという理由だけで運よく生き残り、呆然とする盗賊だけだった。
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ルデクの端にあるエレンの村。
少し前に騒動があり、領主が代わるという事件が起きたこの村は、わずかな間に2度も戦火に巻き込まれる災難を被った。
それでもゼッタでルデクが勝利してからは、近くの廃鉱にできた砦の出入りも落ち着き、昔のような穏やかさを取り戻しつつあった。
この村の一角に、品揃えも店主の愛想も良くない小さな雑貨屋がある。
元々流れ者が始めた店だ。品揃えは悪い。
村には他にも店はあり、少し足を延ばせば近くの町にはそれなりに大きな商会もあるので、こんな薄暗い店を利用する村の人間はほとんどいない。
早晩潰れると思っていたが、なんだかんだと続いているのを見れば、一応商売は成り立っているのか。
そんな店に珍しく来客があった。
店主の親父はあくびで出迎える。
客は店主を相手にせず、真っ直ぐ住居への扉を開け、中に。
店主はそんな客の行動を気にも止めずに立ち上がると、店の扉に閉店の札をかけた。
「女将、久しぶりですね」
夕食の支度をしていたであろう女性は、ネルフィアを見て「あら、ご無沙汰ですね」と人の良さそうな笑顔を向ける。
「”顔馴染み”を集めてください。早急に」
ネルフィアの言葉に。女将と呼ばれた女は笑顔のまま目だけを鋭くして
「これはこれは」と竈の火を止めた。
「私は3時間眠ります。それまでに準備を。それから新しい馬の手配もお願いします」
ネルフィアはそれだけいうと、さも当然のようにベッドに寝転がり、早々に寝息を立て始めた。
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宣言通りにネルフィアが目覚めると、居間には10名の人間が待っていた。さして大きくない部屋にぎゅうぎゅうに集まっているのに、物音ひとつ発しない様子はいささか不気味であった。
「よく集まってくれましたね。ことは急を要します。良いですか」ネルフィアの言葉にも、誰も何も言わない。
「これから出す指示通りに動いてもらいます。ここからの私たちの動きが、このルデクの命運を握ると言っても過言ではないことを肝に銘じてください」
そんなネルフィアの言葉を聞く第八騎士団の面々は、いつもと何か違う雰囲気を感じて、少しだけ不思議そうな顔をする。
それは、ネルフィアの顔が、なんだか誇らしげに見えたからかもしれなかった。