【第170話】レイズ=シュタインの一手12
状況を把握するのに少し時間がかかった。なんでレイズ様が倒れているんだ? 何で、レイズ様から血が流れているんだ? フランクルトを射抜いた矢には十分に注意を払っていた。何が起きた!?
「レイズ様!?」悲鳴のような声を上げてラピリア様が駆け寄る。
「早く、止血を!」グランツ様の怒声が轟く。
「レイズ様を襲った者は!?」ネルフィアが普段からは想像もできないような鋭い声を発し、驚いた兵士の一人が、「そういえば向こうへ走って行った兵士が」と慌てて指を差す。
その兵士の指差す先には、もう一人倒れている人間がいた。
額に矢が突き刺さり、仰向けに倒れてピクリともしない。
わずかな可能性に賭けて僕とウィックハルトが駆け寄り、その顔を見たところで僕は息を呑んだ。
「ギーヴァン、、、、さん? 何で?」
倒れていたのは伝令のギーヴァン。既に息はない。即死だろう。
「状況的にその男がレイズ様の刺客のようですね」ウィックハルトは矢が飛んできたであろう方向を警戒しながら口にする。
僕が矢に手を出そうとしたところで、ウィックハルトが「触らないでください! 毒が塗ってあるかもしれません」と強い口調で言う。
「毒が?」
「レイズ様を狙っていたのであれば、当然その可能性も、、、そういう手練れを一人知っています」
「じゃあフランクルトがまずいんじゃ、、、」
レイズ様に集中してしまったけれど、フランクルトも首筋に矢を受けたのだ。慌ててフランクルトに視線を移せば、崩れ落ちているが息はあるようだった。フレインがフランクルトの矢を抜き、止血を進めていた。
もう死んでしまったギーヴァンは後回しだ。僕はフランクルトやレイズ様の襲撃された場所に急ぎ戻ると、近くにいた兵士にギーヴァンの死体を確保しておくように伝える。
「フランクルトの様子は?」
「当たりどころが鎖骨だったから傷は深くない。だが、傷の割に崩れ落ちるのが早かったから、嫌な予感がしたので周辺の肉ごとえぐり取った。毒矢みたいだな」
冷静にそのように判断するフレイン。フランクルトは苦しそうだが、意識はある。
あとはレイズ様だけど、ラピリア様とグランツ様が中心に面倒を見ているのなら、僕が優先すべきはレイズ様が安全な場所で治療できる環境の確保だろう。
すなわち、高台から攻め寄せているリフレアを蹴散らすしかない。
「、、、、ウィックハルト、フレイン、ここはグランツ様たちに任せて僕たちは敵を叩きに行こう。なるべく早く蹴散らして、安全な場所を確保しないと!」
「、、、そうですね、急ぎましょう。ロア隊の兵どもよ! 我々は敵を一掃するために駆け上がる! 後れをとるな!」
ウィックハルトが兵士に指示を出し、僕らは再び斜面を登ってゆく。今、前線では双子やディックが敵兵を押し留めてくれているはずだ。
「ロア殿、逸るのはわかりますが、腕のある毒矢持ちが敵にいます。警戒を!」
ウィックハルトの注意に頷きながらも、気持ちを抑えることはできない。なるべく早くレイズ様が落ち着いて治療できる状況を作らないと!
そうして双子やディックが立ちはだかる場所へ飛び出すと、そこには意外な光景が広がっていた。
「敵が退いてゆく、、、、?」
僕の呟きに気づいた双子がこちらを振り向く。
「来たか。遅いぞ」
「というか、後ろで何かあったか?」
「それよりも、何で敵が退いてるんだ?」僕が質問に質問で返すと
「後ろで騒ぎが大きくなったら」
「急に退き始めた。おい、何があった」と、双子からの返事。
僕は端的にレイズ様が襲われた事を伝え、二人して眉根を寄せる。
「ちっ、奴らの狙いはそれか」
「奇襲にしても敵の数が少ないと思ったんだ、おい、ロア」
「何?」
「追うか?」
「このままリフレアのクソどものケツを追いかけ回すか?」
「いや、高台を確保して、レイズ様の治療が先だ。早急に高台を確保したい」
「そうか」
「分かった」
双子もそれ以上は追撃戦を望まない。状況からそれどころではないことを察したようだ。
撤退を始めたリフレアの動きは早かった。僕らはさして労せずに高台を再び制圧すると、大急ぎで2つの天幕と寝台を用意する。
それぞれ運び込まれるレイズ様とフランクルト。僕はただ、僕の知る歴史でレイズ=シュタインの死に場所はここではないと、必死で自分に言い聞かせたのだった。
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「ファイス将軍、ルデクの奴らの様子がおかしいです」
声を上げた青年の言葉に、撤収の指示を矢継ぎ早に飛ばしているファイス将軍は敵の居座る斜面を振り向く。
「あれは、、、内輪揉めですかな、、、、いや、ルデク軍が背後から奇襲を受けている、、、?」
「だとすれば味方ですか!?」期待に満ちた声を上げる青年に、ファイスは難しい顔を向ける。
「味方、、、かは分かりません。位置関係的にリフレアの軍だとは思いますが、もしも我らの味方であれば、使者を送ってくるかと。両側から挟み撃ちにする絶好の機会ですから」
「でも攻めていると言うことは、味方でしょう!?」
ファイスはなるべく強い口調にならぬように続ける。
「申し上げた通り、味方とは限りませぬ。或いはルデクを蹴散らして、リフレアが我が国に攻め込む算段ということも考えられます。こちらから使者を出して確認したいところですが、のんびりしていては我々が退く機会さえ失いかねないのです」
「では、退くのですか」悔しそうに口を噛みながら高台を睨み付ける青年に、ファイスは言葉を重ねた。
「王の命令は最小限の被害で退くことです。現在の我が軍でこれ以上大きな損害を出すのは致命傷になります。王子もそのことはご存じでしょう」
この出陣は、あくまで国内に向けたアピールにすぎない。王も北部の被害はある程度諦めている。今は立て直す時間を稼ぐのだ。
具体的には帝国とルデクの戦いが激化するのを。そうすればもう一度ゴルベルにも好機が訪れるかもしれない。
全く情けない話だ。ゴルベルにはもはやそれくらいしか手がないのである。それまではなるべく兵を減じることなく、王都を中心に重要度の高い領地を守るしかない。それが、王の意志だ。
実際には厳しい。
今回も一戦交わして帰還する事で、互角の勝負をした、ゴルベルはまだ大丈夫と思わせるつもりであろうが、結局北部を見捨てたのと同じだ。民の王への視線は冷やかだ。
「、、、、、分かりました」
色々な思いはあるだろうが、それらをぐっと飲み込む次代の統治者候補。厳しい状況に追い込まれたゴルベルにあって、この聡明な王子こそが唯一と言って良い希望だ。
今回も自ら志願して従軍してきた。民の目にも眩しく映ったことだろう。このシーベルト王子を無事に王都に送り届ける。ファイスにとってそれが何より優先される。
それに、もしもリフレアとルデクが袂を分けたのであれば、帝国の侵攻を待たずに、再び浮上の目を見ることができるかもしれない。
ファイスはもう一度だけ斜面を見遣ってわずかに唇を噛んでから、今度こそ撤収の速度を早めるのだった。