【第14話】忘れえぬ相手。
ルデクの当代の王はゼウラシア王という。
一文官だった僕には文字通り天上人で、その顔を見たことさえ数回、それも式典で遠くに眺める程度の相手でしかなかった。
すぐそばで見た王は、思ったよりも優しげな顔をしていた。この人がのちに暗愚の王などと呼ばれるとは想像ができない。
それはそうだ、その名で呼ばれるようになったのはこの国が滅んだ後の話。それまではどちらかといえば民に気を配る良君として知られていた。
「何か私の顔についているか?」
王からそのように問われて僕は慌てて首を垂れる。
「す、すみません。ご尊顔を拝見するのが初めてだったもので、つい」
僕の答えに「はっは」と軽く笑いながら、「では、短剣を」と、側仕えに命じる。
側仕えは僕の前にすすっと歩み出る。両手の上には赤く染めた絹に包まれた、装飾のはいった短剣があった。
「ロア、貴殿を我が直轄兵である第10騎士団に迎え入れられたことを嬉しく思う。励むといい。この短剣は私からの入団祝いである」
「ありがたきお言葉。身に余る光栄、謹んで拝領いたします」と言いながら押し頂く。これでひとまずの儀式は終了。僕は正式に第10騎士団に所属することになった。
しかし、いくら王直轄の騎士団とはいえ、一斉の叙任式などならともかく一新兵に対する扱いとしては異例だ。
元々は単に書面を以て配属の証とするはずだった。風向きが変わったのは瓶詰めの件だ。実験段階ではあるけれど、レイズ様よりゼウラシア王へと話が伝わった。
2人の間でどのような話が交わされたかわからないけれど、瓶詰めは極秘に進める重要な計画と認識されたようだ。結果的に王は僕に興味を持って「会ってみたい」となった。
ただ、瓶詰めを公にしない以上、一文官を呼びつけるのは周辺から何事かと思われる。そこでエレンの村での功を以て、王自らが褒美を与えるという流れに。
「レイズ、この後お茶に付き合うと良い。グランツとラピリアもだ。そうだ、ついでにロアも来るといい」
気さくにお茶に誘ってくる王に、側仕えが一瞬だけ何か言いたげな顔をするも、口を開くことはなかった。
側仕えの代わりに「王よ、随分とその者をお気に召したようでございますね」と口を挟んだ者がいる。
レイズ様の黒衣と対をなすように、白く輝く鎧を身にまとった将。レイズ様も整った顔をしているが、鋭い目つきが他者を寄せ付けないのに対して、穏やかな目元は見るものを惹きつける雰囲気を纏っている。
レイズ様の通称の一つ、”ルデク王国の双頭”とは、レイズ様だけを指したものではない。この白い鎧を纏った第一騎士団の団長、ルシファル=ベラスと、2人をまとめて呼ぶ際の呼称である。
そして、
僕はなるべくルシファルを視界に入れないようにしていた。平常心でいられる自信がなかったから。
ルシファルの言葉に表情を変えないように注意しながら、それでも奥歯を噛み締める。
王の信任厚く、国民の人気も高いルシファル将軍。
2年後、この男が裏切る。
僕らの国を、みんなの命を売ったのだ。
リフレア神聖国に。
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今から2年後のあの夜、ルシファルと第一騎士団がリフレアの兵を王宮へ招き入れた。予期せぬ奇襲にほとんどの者は抵抗らしい抵抗もできずに死んでいった。
僕が助かったのは、たまたま夜中まで趣味のために書物を紐解いていたからだ。夜も更けて目と肩に痛みを覚えた僕は、気分転換と頭を休めるために夜の散歩に出かけた。
そして突如始まった戦闘。何が起きたかわからず、僕はとにかく逃げた。
必死に王宮を離れてから振り返ってみれば、王宮から火の手が上がるところだった。呆然と見つめるだけの僕の前で、この国は静かに終わりを迎えていったのだ。
それから時が経つにつれて、放浪していた僕の耳に「事の真相」とされる噂話が届くようになった。
曰く、ゼウラシア王は大変な暗愚であり、ルデクはルデク王国の双頭の手腕でかろうじて保っていた。
けれど、いよいよルデク王国の双頭でも王の暴走を止めることができなくなり、このままでは民の命さえ危険にさらされると案じたルシファルと第一騎士団が、不義を承知の上で同盟国であるリフレア神聖国へと助けを求めた、と。
嘘だ。
どれだけの人に聞いても、押し並べて「ゼウラシア王は狂人だった」などと、曖昧な表現が返ってくるだけで、具体的に何をしたのかという話が浮かび上がってこなかった。
そもそも、王宮内に勤めていても、ゼウラシア王の凶行など聞いたこともなければ、ルデク王国の双頭が王を諌めたなんて話も聞いたことがない。
都合の良い噂を流したのはルシファルか、リフレア神聖国か。
今となっては分からない。いずれにせよ、祖国を裏切ったルシファルと第一騎士団の未来は明るい物ではなかった。
当初こそ英雄扱いでリフレア神聖国へ迎え入れられ、ルシファルは要職へと据えられたものの、わずか2年後に病死する。
ルシファルの死から時を待たずに、ルシファルの私兵となっていた第一騎士団は解散。リフレアにいいように使われ、すり潰されていったと聞く。
目の前に、祖国を売った裏切り者がいる。
気を抜けば怒鳴りつけそうになる感情を抑えつけながら、ゼウラシア王とルシファルの会話を聞いていた。
ルシファルは僕のような文官に目をかけるのは、何か裏があるのではと訝しんでいるように見える。
それでも食い下がるほどではないと判断したのだろう。王が「ならば君も同席するか?」と聞くと「いえ、公務がございますので」とやんわりと断った。
会談が終わり、王に促されたルシファルは先に退出してゆく。
僕はその背中が見えなくなるまで、ずっと、ずっと見つめていた。