一章 料理は異世界を救う? 二
二
沿岸都市、サーキュレイドの港町は今日も交易の要衝としてにぎわっていた。
四年前に起こった災厄の日以来、以前にも増して魔物が跋扈する世界となってしまったけれども、この町はそれに負けない野放図なまでの人々の陽気さと、決して平和ではない世界に諦めないしぶとさのようなものが染み付いている。
一年を通じて温暖な気候が人々をそうさせるのか、あるいは王国や貴族たちにも縛られることのない自由の象徴である商人の気質がそうさせるのか、とにもかくにも活気で満ち溢れている。
そんな町の一角、露天市場のはずれで商いをする少女がいた。
「卵焼き~ふっくらおいしい卵焼きはいかが~」
十六歳になったレイだった。
まだ幼さの残る少女ではあったけれど、目鼻立ちの整った容姿は女性としての魅力を備えはじめている。
彼女は四年前に故郷を失い、言葉にできないほどの苦難に独りあがきながらも、この町に流れ着いていた。
一緒に村を逃げたキリーはいない。
「嬢ちゃん、三つおくれ」
「あんがと。いつもありがとうおっちゃん」
レイは笑顔で長方形にカットされた卵焼きを三つ蝋紙に包んで渡した。
「あんたの卵焼きはほんとに旨いし、なにより、なんていうかな。食べたあとに体力仕事すると捗るんだよ。やっぱ美人の嬢ちゃんが手作りしてるせいなんかな」
「ふふ、あたしの卵焼きは特製だからね。またきてよ」
中年の常連客は少し照れくさそうに礼を言って去っていった。
おっちゃんの褒め言葉に感謝をしつつも、おっちゃんの言うとおり本当に体力がアップする補正効果が卵焼きには施されていた。
だけれど、効果のことはもちろん誰にも言わない。
これはレイだけの秘密のレシピなのだ。
五十センチほどの折りたたみテーブルに並べられた卵焼きが残り三個並んでいる。
右から順に、筋力二三%UP、筋力四五%UP、持久力一八%UP。
今日の卵焼きに付与されたエンチャント効果だった。
表面上これはレイにしか分からない隠しステータスなので、買っていった人たちは実際に食べるまで分からない。
同じサイズの卵焼きとはいえ、その補正値にはばらつきがあるので、レイの気に入った客には優先的に出来の良い卵焼きを渡すことにしている。
そうすることで、リピーターを増やす作戦だった。
太陽が海の向こうに傾きはじめ、行き交う人々も心なしか足早になってきた。
今日はそろそろ店じまいかなと、レイは売れ残った卵焼きを片付けようと手を伸ばしたときだった。
彼女の頭上に三人の男の影が迫る。
レイは見上げた瞬間に、客ではない視線を感じて言葉を呑みこんだ。
「いらっしゃいませぇ~」
マズったかなぁ、こりわ。
愛想よく笑顔を振りまくのとはうらはらに、そんなことを考えていた。
「その卵焼きはいくらかね」
真ん中にいた男が訊ねてきた。
皮のテンガロンハットに表情の乏しい顔、白と赤の派手な燕尾服は紛れもないこの町を取り締まっている商人ギルド連盟の警備隊だ。
「ほんとうはぁ、二八銅貨だけど、もうお店を閉めるところだったので、おひとつ二〇銅貨ですよぉ~」
レイはにこやかに言った。
あくまでも甘い声で。
あくまでもモノを知らない小娘風情で。
「ほほう、実はさっきここの卵焼きを買ったという者から密告があった。二八〇銅貨だったそうだ」
げげっ。二秒でばれた。
たぶん、さっきのおっちゃんが買っていった前の客だ。
値段を言われて断れずに買っていった気の弱そうな軟弱男だったのだ。
「あれ~おかしいなぁ。その人一桁間違ったんじゃないかしらぁ」
あくまでシラをきるレイに、男のこめかみがヒクつき始めた。
「この町の流通相場なら二八〇銅貨で一ヶ月は食い扶持がしのげる。現時刻をもって小娘、お前を市場価値基準法違反で逮捕する! 即刻身柄を確保……せょっ!?」
警備隊の言葉が終わる前に、レイは中空を飛んでいた。
小柄な身とはいえ、遠心力を効かせた旋回蹴りは男を吹き飛ばすには十分だった。
男のみぞおちにレイの靴が食い込む。
にょほごぉえ! とかいう叫びが男の口から漏れた。
「ちっ、バレたんならしょうがない。じゃあねっ!」
「あ! おい、待て!」
呆気にとられていた二人の警備隊が背を向けて走りだす少女を追いかける。
「そんなのろまなスピードじゃ、あたしには追いつけないよっ」
石畳でできた細路地をジグザグに走りぬけ、警備隊との距離はぐんぐん離れていく。
レイがちらりと後ろを確認して、そろそろ巻けそうだと安心しかけた瞬間――わしっと右手を掴まれてしまった。
「ひょぇっ!? ……いつの間に!?」
いきなり横から伸びてきた手にレイは驚愕した。
伸びてきた手の気配を感じなかったからだ。普段のレイの察知能力ならありえない。
その辺の武術に長けた男どもにも負けない身体能力を磨いてきたレイにとって、まったくの予想外の出来事だった。
そして力もめっぽう強かった。
「は、はなしなさいよ、この馬鹿力が!」
レイは抵抗するけれども、掴まれた手を振りほどけそうな気がしなかった。
「――嬢ちゃん」
ごみの山に隠れて分からなかったのだが、ヌーっと出てきたみすぼらしい男がレイの腰にもう片方の手を回してくる。
レイの全身が粟立つ。
「やだぁ……へ、変なところに腕を回さないでよっ」