72、奇跡の一発
「「「「「 (さすがに柏沼、こりゃぁダメだ! 実力差がありすぎだよ) 」」」」」
「「「「「 (茶帯じゃぁねぇ。中堅戦まではおもしろかったのにねぇ) 」」」」」
「「「「「 (日新がここは勝つに決まってる。あの茶帯は無理だよねー) 」」」」」
四方八方からコートに降り注がれる無情な声。耳を澄ましても、その中に長谷川へ期待する声はなかった。
「やっぱ、みつるじゃ日新に勝つのは無理なんだぁ。・・・・・・あれ、みつる、顔からやる気すら消えてるよぉ。きょうこ、俺たちの声も届いてなくない?」
「・・・・・・充っ。あれほど元気に志願したのはなんだったのよ! せっかく、中村先輩が必死にあの二斗主将を倒したっていうのに、その勢いをもらいなよーっ!!」
「阿部先輩。長谷川先輩が元気出るには、どうしたらいいんでしょうか? このままだと、確実に副将戦、相手が圧勝しちゃいますよー・・・・・・」
「やっぱり、二年生が三年生相手するのって、むずかしいんですね。わたしもさよも、秋の大会が怖くなってきました。一学年差って、大きいんですかね・・・・・・」
「わたしも、こういう時、どういったアドバイスを飛ばせば良いのかわからない・・・・・・。監督席に新井先輩がいるから、何とかしてくれるとは思うんだけど・・・・・・」
二年生も一年生も、長谷川の試合を心配して見つめていた。
いつの間にか阿部がリーダー的位置になっているが、まだ経験値が高くないため、的確なアドバイスを声に乗せられないのが悔しそうだ。
「うーん、長谷川君、うごかないねー。まずいねまずいねー。あきらめかけてるねー」
「あ、新井さぁん。なんとかならないですか、あれ? 俺らが声かけても、届いてないんですよ」
「新井先輩。長谷川の力で奇跡を起こすのは難しいと正直思いますが、このままやられっぱなしはさすがに・・・・・・。何か、長谷川ができること、ありませんか?」
井上と中村は、監督席の新井へ縋るような目で問いかける。
「長谷ちゃん、なんとか根性見せてくれ! まだ時間はたくさんあるんだ」
「長谷川君! これは試合なんだ。空手の稽古の一つなんだ。諦めずに戦い抜いてっ!」
神長と前原は、床を叩きながら必死に長谷川を焚きつけようとしている。
「井上君も中村君もきいてきいて。長谷川君がいたからこそ、いいことは必ずあるとおもうよー。相手の白井選手も、そこまでトリッキーでもないしパワーが凄まじいわけでもない。あとは、長谷川君が目覚めて、少しでも食らいつけば、わからないねー」
井上と中村が、その新井の言葉をどう解釈したかはわからない。
だが確かに、こうなってしまってはもう、あとは長谷川の気力次第だろう。
「続けて、始めっ!」
「(こいつは何もしてこないのか? ならば、圧倒的点差で終わりにしてやろう!)」
「ううりいいああああっしゃぁ!」
ススススッ ドバアンッ!
「止め! 赤、上段突き、有効っ!」
「や、やる気あんのか長谷川ぁぁーーーーっ! おーいっ! たのむよ本当にーっ!」
川田が思いっきり観客席から大声で叫んだ。長谷川は、変な薄笑いのまま立っているだけだ。
「(もう無理だ・・・・・・もともと、自分、空手道部は雰囲気がユルそうだったから入ったようなもんだったしなぁ・・・・・・。適当にゆるりと部活できりゃよかったんだよなぁ・・・・・・)」
「続けて、始め!」
「「「「「 (おいおい、あの柏沼の茶帯、戦意喪失だよ。棄権にした方がよくね?) 」」」」」
「「「「「 (もう結果見えてるよね。なんで茶帯が? 柏沼、他に選手いないの?) 」」」」」
観客からは無情な囁き声が聞こえる。
戦意を失いかけた長谷川へ、白井は容赦なく襲いかかる。
「うりいいやああああっしゃ!」
スススッススッ ドバアアアンッ!
「「「「「 ああああああーーーーーーーーっ・・・・・・・ 」」」」」
「止め! 赤、中段蹴り、技有りっ!」
長谷川はもう諦めてしまったのだろうか。相手の白井に技を決められるがまま、何もしない。
一応、構えてはいるため、無防備の忠告は取られないようだが。それにしてもあっけなさ過ぎる。
これで点差は0対7。あと1ポイントで完封負けだ。これも勝負の世界だから、どうしようもないことなのだが。
「「「「「 白井先輩ナイス中段だぁ! ナイス中段だぁ! ナイス中段っ! 」」」」」
「「「「「 白井ーーーっ! ファイ! ファイ! ファイ! ファーーイッ! 」」」」」
ワアアアアアアアアアアアアアア ウオオオオオオオオオオオオオオオッ
「(だめだ・・・・・・。先輩方みたいに、強くないしな・・・・・・。まぁ、仕方ないよな)」
長谷川はうつろな目でやや顔を上げ、観客席の柏沼陣営へ目を向けた。
「はっせがわぁぁ! やられっぱなしはアタシが許さん! なにかやれーーーっ!」
「こら、長谷川! しっかりしなよーっ! 先輩の背中見てきたでしょーっ!」
「(川田先輩、森畑先輩、すんません。・・・・・・自分、情け無いっすよね・・・・・・)」
「みつるぅーーーーーっ! 頼むから、根性みせてよぉーーーーーーーっ!」
「みつるー、生きて帰ってきてーっ。がんばれー。もうすぐ終わるけど、がんばれー」
「(恭子、敬太、ごめん・・・・・・無理だわやっぱ。・・・・・・はぁ、自分、弱いなぁ)」
「「 はせがわせんぱぁーーーい! ふぁいとでーーーーす! 」」
「(一年生の紗代に真衣。・・・・・・弱い先輩で申し訳ない。自分はもういいから、三年生を真似てくれ)」
長谷川は、試合を諦めたように意気消沈。開始線でため息ばかり。あまりにもプレッシャーが重すぎたのだろうか。どんどん弱気になっている。
その時、柏沼陣営から、静かに笑い声が響いてきた。
「くすくす・・・・・・くすっくすくすっ・・・・・・アーッハハハハハっ! おぉーいッ! 弱っちぃ男子サン? ワタシが言ったこと、忘れたのねぇーーーーっ? 『華々しく』散ってくればぁ、って言ったのにぃ。 あーぁ、あんた、なーんにもやってないじゃなぁいっ! アーッハハハハ! 呆れちゃうわぁっ!」
「(・・・・・・っ! 末永・・・・・・小笹・・・・・・さん!)」
柏沼陣画の観客席で、小笹が腹を抱えて大笑いしていた。
長谷川に向けて、まさに位置的にも「上から目線」で大声をあげ、見下ろして嘲笑している。
あまりの突然なことに周囲の学校もみな驚いて、観客席の小笹に自然と注目している。
「アッハハハ・・・・・・ふぅ。・・・・・・おい弱っちぃ男子! 試合をなめんじゃないよ! はなっからヤル気失ってどぉすんのよぉ? おいっ!」
「(こ・・・・・・小笹さん・・・・・・)」
「聞いてんのぉーッ!? さっきまで、大柄神長センパイや、かっこいいインテリ中村センパイが必死で戦った成果ぁ、アンタはここで無駄にすんのかぁーッ? この、臆病者めぇーーーーっ! アハハハハッ! やる気ないなら、やめっちゃえばぁ空手なんてー!!」
甲高いアニメキャラのような声が、長谷川の耳をざくっと貫いてゆく。その声は、館内に大きく響いたこだましていた。
「おいおいぃ。勘弁してやれよぉ、そんくらいでさぁ。・・・・・・でも、まぁ、いまのきっつい末永小笹ボイスが、どーやら、何かあいつにぶっ刺さったみたいだねぇー。さぁ、どーなるかねぇー?」
「小笹ぁ・・・・・・あんた紗代と互角なほどに、声でかいのね! アタシ、耳が壊されそうだよ。いきなり近くでそんな怒鳴るなってぇのー・・・・・・。でも、これは、いいかもねぇ!」
「くすっ。ごめんなさぁいね。黙ってらんなくて、アツくなっちゃいましたぁっ。あははっ。でも本当に、かっこいいインテリ中村センパイのあとなんだもん。こんな無様な試合見せられたら、イラつきませんかぁ? 最初っから勝負を捨てたような態度は、ワタシは大嫌いっ!」
田村と川田は耳を塞ぎながら、長谷川に向けた小笹のきつい言葉には何か感じるものがあったようだ。
前原や神長は、試合場でびっくりして汗をつつっと垂らし、観客席を見上げていた。
「(・・・・・・かっこいい中村センパイ? ・・・・・・臆病者? ・・・・・・弱っちぃ? だとぉぉ!)」
「(ん? なんだ、こいつ?)」
長谷川は、うなだれた姿勢のまま、メンホー越しに上目遣いで相手の白井に視線を向けた。
なにか彼の中で、意味不明なスイッチが急に入ったのだろうか。干物の魚みたいだった目から、闘志が湧いた活力ある目に変わりつつある。
小笹の言葉で、長谷川自身なにか思うところがあったのだろうか。
「続けて、始めっ!」
「うりいぃぃあああああしゃぁ!」
スススススッ ダダァンッ
「わああああああああああああああああああああああ!」
ドドドドドドドドドドドッ ドカッ
「(うおおおぁっ? な、なんだこいつ! 急に息吹き返しやがった?)」
長谷川が突然、吠えた。いや、吠えたと言うより、泣き叫んでいるようにも聞こえた。
そのまま大声を出して構え、相手の白井の懐めがけて猛突進。さすがに相手もびっくりしたのか、目を丸く見開いて呆気にとられた感じだ。
「な・・・・・・何が何だか分からんが、行け! 長谷川! その気合いだ! 突っ込め!」
中村も、苦笑いをしながら長谷川へ声援を送る。前原や神長も中村に続いて、たくさんの声援を長谷川に送る。井上は思いもよらなかった展開に「なんだよこれ」と困惑しているようだ。
ドドドドドッ グイグイググイ・・・・・・ ガチン ばたぁぁんっ
「や、止めっ! ・・・・・・両者、元の位置!」
長谷川は白井に猛突進したままぶつかり、そのまま自分より遙かに大きい相手をぐいぐい押し、足を絡めて一緒に倒れ込んだ。
空手の動きと言うよりは、ラグビーのタックルや相撲のぶちかましに近いやりとりだ。
「・・・・・・相手を押さないように! いいね?」
「(はぁはぁ・・・・・・ふぅ・・・・・・はぁはぁはぁ・・・・・・ふうふうぅ・・・・・・)」
「(いってぇ! なんだよこいつ。ふざけやがって。空手をやれよ、空手をよぉ!)」
相手の白井は倒された際に後頭部を打ち、起き上がりながら長谷川を突き飛ばすようにし、頭を押さえて首を何度か回しながら開始線へ立ち直した。
「(ふうぅぅ・・・・・・ふうぅ・・・・・・。自分は、柏沼高校空手道部だぞこの野郎っ!)」
「続けて、始めっ!」
「うおああああああああああーーーーーーーーーっ!」
シュッ ドンッ ドドドドドドドドドドドドドドッ
また長谷川は大声を出し、両拳を構えて思いっきり相手へ走っていった。
駆け引きも何も考えていない感じだ。ただひたすら突っ込んでいくだけの、まさに猪突猛進。文字通り、イノシシが突っ込む感じで向かってゆく。
「(なんなんだこいつ! 半泣きのくせに! ガキかよっ! しゃらくせぇっ!)」
「うりぃやあああああっ!」
ドカアアアンッ! ググゥゥイッ・・・・・・
白井の上段突きが、突っ込んでくる長谷川のおでこ付近にものすごい威力で入った。
しかし、白井が残心を取る前に、そのまま顔面ごと突きを押し返すような勢いで長谷川は汗だか涙だかわからない飛沫をメンホーから散らし、特攻のようにさらに拳を振り上げて突っ込んでいった。
「わあああああああああああああああああっ!」
「(うぁっ! くそぉ・・・・・・引き手が、残心が取れな・・・・・・)」
ブウンッ バシイイッ!
ワアアアアアアアアアアアアアアッ オオオオオオオオオオオオオオッ
やぶれかぶれで拳を握り、ムチャクチャなフォームで突っ込んでいった長谷川。
その右拳は、まるで雄叫びに反応したかのごとく、大きく振り回すようにして白井の左顎先へ斜め下からヒットした。
「・・・・・・あああああああああぁぁっ!」
拳に感触を受けた長谷川は、手を引き戻してそのまま白井から思いっきり離れる。
「止め! ・・・・・・青・・・・・・上段突き、有効っ!」
一瞬、主審が判断を戸惑ったが、副審を見渡し、青旗がひとつだけ出ていることを確認。
それによって、長谷川に初のポイントが入った。
「「 やったぁ! やったぁ! はせがわせんぱぁぁぁぁぁい! 」」
「な、なんっつぅムチャクチャな突っ込み・・・・・・。でも、よく食らいついたねぇー長谷川!」
一年生は大喜び。田村は半ば呆れ顔で拍手。川田と森畑は、長谷川の攻撃よりも「よく審判がそれ取ってくれたなぁ」と驚いていた。
これで点差は、1対7。まだ勝負は続いている。
「(ふうぅ、ふうぅ! ど、どうだ! やってやった。やってやったぞ、日新相手に!)」
「「「「「 白井せんぱぁぁあい! 決めましょぉ! ラストでぇすっ! 」」」」」
「「「「「 にっしぃぃぃーーーーーーーーーーんっ! 」」」」」」
「続けて、始めっ!」
「うおわあああああああああああああああ・・・・・・」
ササッ シュウンッ・・・・・・
パッカァァァァァァァァンッ!
「(・・・・・・あ・・・・・・。も、もらっちゃった・・・・・・)」
「止め! 赤、上段蹴り、一本っ! 赤の、勝ち!」
ワアアアアアアアアアアアアア オオオオオオオオオオオオオオオ
柳の下にどじょうは何とやら。奇跡はそう立て続けに起こらなかった。
同じように突っ込んでいった長谷川をひらりと躱し、白井は難なく上段回し蹴りを決め、1対10。
9ポイント差がつき、白井が勝利となった。
それにしても、突然の変身をした長谷川は完封負けだけは防ぐことができた。かろうじて食らいついた1ポイントは、彼にとって大きな意味を持つ一撃だったに違いない。
これで次はいよいよ、大将の井上にバトンが渡されることとなった。
「や、やるしかねーんだ、俺! あー、ちくしょう!!」
井上は、何かをふっ切ったかのように、勢いよくその場で立ちあがった。




