42、空手の流派と、末永小笹
――――――。
(おばーちゃん。また、おしえてー。もっと、もっと、おぼえるぅ。やるー)
(はいはい、やるのね。一生懸命なんねぇ。他の人にも教えてもらうよう、頼もうかねぇ)
(うんっ。ほかのとこも、いくー。いろいろね、やりたいの。たのしいの!)
――――――。
(ただいまー。あら、おばーちゃん、何みてるの? 何かの雑誌?)
(空手の雑誌さぁ。珍しかろぉ? いつかあんたも、こういうのに載るんかねぇ)
(えー? むりだよぉー。ぜんぜん強くも上手くもないもんー・・・・・・――――――)
――――――。
(ゴメンね、おばーちゃん。お母さんの仕事の都合で、引っ越すんだって。嫌だよーっ)
(謝らんでいいさ。いつでも戻っておいで。また、教えてあげるさぁ。ほれ、泣くな。笑いなさい・・・・・・)
(・・・・・・うんっ。・・・・・・泣かない。むこうでも、ひとりでも空手ずっとやるよ。強く上手くなる。約束するっ!)
(そーかぁ。いつか、見たいさぁ。孫の活躍。でもねぇ、これは覚えといてな。空手はね・・・・・・――――――)
――――――。
ざわざわざわ ざわわわざわわわ
「(おばーちゃん。あれから、強くなったよ。誰にも負けないくらい。強く、強くねッ!)」
柏沼メンバーが選手待機所に向かう途中、ちょっと薄暗い廊下の片隅に、誰の影が見えた。
床にメンホーを置き、耳にイヤホンをし、何か聴きながらぽつんと座っている。
そのイヤホンからは、何やら不思議な音が小さく漏れているようだ。
「あ! 小娘・・・・・・いや、末永小笹っ! 何してんのこんなとこで!」
川田の声に反応し、小笹はゆっくり腰を上げ、イヤホンを外して背伸びをする。
「んーっ・・・・・・あらぁ、柏沼のみなさんでまとまって、何ですかぁ? ワタシに何か?」
「何か、は特にないけど、とりあえず、優勝おめでとう。・・・・・・アタシ、ビックリだわ!」
「あははっ! 驚きましたぁ? ま、ちょいと本気でやればあーんなもんですよっ、川田セーンパイ!」
「相変わらず、食えないキャラだねあんたはさぁ」
「ねぇ、あなたはどこであの形覚えたの? ビデオや動画で覚えた見よう見まねじゃない。どう見ても、細かいところまで基礎から教わった形。あなたは、どこで稽古してるの?」
森畑が、真剣な顔で問いかける。それを小笹は意に介さず、明るく笑って答え返す。
「くすっ。いーじゃないですかぁ、どこでどう覚えたってぇ。ワタシはね、いつもひとりです。確かに、かつてはいろいろ深くまで教わってもいたけどネ。ひとりでやって、覚えて、今こうしてまぁす」
「ちゃ、ちゃんと答えろってのこの小娘・・・・・・!」
「いろいろと、深く?」
川田と森畑の前に、神長がずいっと踏み出た。
「あのクルルンファは本仕込みだ。君、和合の形もやってたけど、本当は剛道流なんだろ?」
神長はクイズ番組の司会者のような雰囲気で、すぐに問いかける。それに対して小笹は、耳元の髪をさらっと指で直し、神長に対してにっこり笑って答える。
「くすっ。あははっ! あなたもどうやら、剛道流やってるみたいねぇッ。でもワタシとは違う。あなたの見る目はなかなかですけどねぇ。確かにワタシのバックボーンは剛道だよぉ。本家本元の、ねッ!」
「ほ、本家本元? なんのこっちゃ? 道太郎の問いに今の答え、どういうことだ、陽二?」
「おれにもわからん。しかし、この子、これまで尋常じゃない稽古を積んできたのは確かだ」
井上と中村は、小笹の受け答えに不可思議な顔をして、首を傾げている。
「そういやあんた、流派も謎だけど、それとは別になんであんなに等星に執着してるわけ? アタシに勝ったときの顔と諸岡に勝ったときの顔、笑ってても全然違って見えたけど!?」
「糸恩、剛道、松楓館・・・・・・あと、和合でしたっけねぇ。空手界では、世界伝統四大流派なんて呼ばれてますけどぉ、笑っちゃいますねッ!」
小笹は、目をかっと見開いたまま、口元だけ笑っている。
「なんでそこ、笑うとこなのよ。アタシには意味わかんないんだけど」
「だってー。実態は今、スポーツじゃないですかぁ。こうして、競技になっちゃうと、ね。ワタシは、そんな中で本物の空手を示したいんです。それと、ワタシと母を侮辱したあの等星女子高を、ひれ伏させてやるんです! だから、等星に勝つと、心底笑っちゃって。・・・・・・あははっ!」
「侮辱? 等星になにされたんだぁ、君は? ちょっと、穏やかじゃないねぇー?」
田村が訝しげに小笹へ聞き返した。小笹は等星とどこかで衝突があったのだろうか。
「・・・・・・忘れもしないんだからッ! 許せないんですよ! ワタシの空手人生も否定し、目の前で、母を泣かせたアイツら等星女子高空手部をね!」
「な、泣かせた? あんた、等星と何があったのさ? アタシには、さっぱりだ・・・・・・」
「俺も聞いてて、なにがなんだかわかんねーけど。まぁ、何か軋轢があったんかねぇー?」
目をぱちくりさせて困惑する川田と田村。
その目の前で佇む小笹の目は、鋭い怒りと深い闇が籠もっているように、深く漆黒の輝きを見せている。
「あはっ。ま、いーです。ワタシのことですし。あ、そうそう、森畑センパイに川田センパイ? 邪魔とか言って、ゴメンねぇ。形、楽しめたよぉッ! 組手も、ヨロシクねーっ?」
「な、なんなのよあんたはさぁぁー。わけわかんないキャラだなぁ! そう言うならアタシはあんたと組手当たったら、全力でやるかんね! 形の借りを返す!!」
川田は小笹に対し、形のリベンジをするぞと言った感じで、強く言い放った。
「楽しみにしてまぁす。じゃ、ワタシ、そろそろあっち行って柔軟やるんで。バーイッ!」
笑って手を振り、小笹はどこかへ行ってしまった。
川田が見たその小笹の手は白魚のような指だが、掌が異様に分厚いようにも見えた。
* * * * *
「負けないよ! 負けてたまるか! 小娘にぃ!!」
「ちょ、ちょっと川田さん!? それ、何かの標語みたいになってるよ? どっかに応募してみれば?」
「前原、何言ってんのよ! アタシがどれだけ形であの小娘に煮え湯を飲まされたと思ってんの。もう、組手であっけなく勝って、気持ちよくインターハイに行きたいのアタシは!」
「組手は確か、私側の方にいたね。あの、末永小笹は。勝ち上がって直近で当たるとしたら、まずは紗代だけど」
「え? わたしが、あの人と当たるんですか? 勝ち上がれば? えええええ!」
大南は、自分の組み合わせ表をまったく覚えていないらしい。
小笹と当たる可能性を聞いて、突然、慌てふためいている。
「菜美側の方ということは、Fコートだね。アタシはEコートだ。こっちは朝香朋子がいるけど、そっちは崎岡有華がまぁ一番の強敵になるね!」
「そうだね。やはり、どこをとっても、等星を倒さなきゃ上へ進めないのは同じかぁ」
「ぶっとばしてやればいいのよ! アタシらだって、もう、等星なんかに意識しすぎる必要なーし!」
「そうね。普通にやれば、戦える! 戦略次第では何とでもなるよね真波!」
森畑の横でそのやりとりを聞いている内山は、既に震え始めている。
「すごいな川ちゃんと森ちゃんのノリは。それにしてもあの子、組手は強いんだろうか。あの形を見る限りでは、組手も侮れなさそうだが」
「道太郎、それ間違ってないと思うぞ。じゃなきゃ、あんな自信満々であれほどのこと言わねーだろうよ」
「おれもそう思うぞ神長。あの末永小笹、組手も侮れない雰囲気がピリピリしていた」
「末永さん、バックボーン『は』剛道って言ってたね。そこを強調してたけど、ある意味、学んだ空手は剛道流だけではないってことなのかな? 形も、剛道じゃないのをいっぱい知ってるみたいだし」
「前原せんぱい、わたし、話がわからないんですが、流派ってなにがどうで何なんですか?」
前原達の会話に、内山がおそるおそる手を挙げて割り入った。
「あ、そうだね。一年生はまだわかんないか。えーと、わかりやすく言うとね、空手の大きい流派は四つあるんだ。和文仁賢摩って人がつくった糸恩流。宮城長傳って人がつくった剛道流。そして、船型義円って人がつくった松楓館流。あとは、大島光則って人が船型義円や和文仁賢摩に教わって、古流剣術や柔術の技を空手にミックスさせたのが和合流。これが、伝統四大流派って呼ばれてるものかな」
「すごーい。前原せんぱい、ものしりですー」
「そんなことないよ。これは、僕のお師匠である師範から聞き受けたものなんだ。・・・・・・いま説明した人のうち、和合流をつくった人以外はみんな、沖縄の人なんだよ」
「おきなわのひと・・・・・・。さよー、なんか、空手ってすごいんだねー」
「そーだね。へえぇー。川田先輩、いろいろ流派があるってことは、形とか技もちがうんですか?」
「それなりに違うよね。形も、同じ名称でも流派によって動きや演武線などがが違うしさ。あとは、もっと細かく言えば、小さな流派や会派がさらにあるんだけどね。アタシには難しいな、この説明はー」
「前原せんぱい。よくテレビで、瓦割ったりバット折ったり、ボクシングの格好して戦うのは、何流なんですか?」
「あれはね、『フルコンタクト空手』とか『グローブ空手』っていう、僕たちがやっている空手とはまた別なルールで、違う団体の空手なんだ。僕らは組手はポイントで競うけど、そっちは直接ノックアウトして勝ったり、板を割ってみたり。空手といっても、試合は柔道と剣道くらいに違いがある感じだね。・・・・・・わかったかなぁ、内山さん?」
「わたしは、なんとなく。え、でも、微妙ー。・・・・・・さよは、わかったような顔してますー」
内山の横で、何度も頷いている大南。
「ありがとうございます。なんか、仏教が大きく一番上にあって、そこで宗派がいくつも分かれているようなのと同じ図式ですね。空手の流派かぁ。いろいろあるんですねー。どこが一番強い流派なんですか?」
「流派に強いも弱いもないよ。それは個々の問題。どの流派も、どれもいいとこがあるんだよ」
「自分が好んでやっているものを、強い弱い言われたり否定されたら嫌ですもんね」
前原はそんな雑談をしながら、内山と大南へ説明を続けた。
~~ ・・・・・・ピンポーン ~~
いよいよ、試合召集を告げるアナウンスが入る。
ついに、インターハイ予選個人組手の熱い戦いが、間もなく始まろうとしている。




