32、大将、井上泰貴!
がちがち ぶるぶる がちがち ぶるぶる
震えています。井上が。これはどこかで見た光景のようだが・・・・・・。
「あ! 震えるくらいには戻ってきたんだね井上君!」
「な、なんっでこんな展開なんだよぉ。尚久、道太郎、悠樹、合体して試合しようぜ?」
「ブレーメンの音楽隊じゃあるまいし、無理だよ。頼むよ井上君! みんなで沖縄行こうよ!」
「沖縄! そ、そうだ! えぇい! こ、こうなりゃ、やるしかねーってことだな!?」
「その意気だ! もう、やるしかないねぇー。あーだのこーだの言ってらんない状況だねぇ」
「でも尚久? 相手、どんなやつかわかんねーぞ? 俺の実力でどうこうできんのかー!?」
「だいじだ。誰だって、やってみなきゃわかんないからねぇ。頑張ってこい、井上!」
「くそぉ。こうなりゃ、俺だって勝ち星あげて柏沼MVPになってやるぜ! でやぁー!!」
「そうそう。良い気合いだ。だいじょうぶだ。おれは井上を信じてるぞ!」
「泰ちゃん、自分を信じようぜ! だっはは! だいじだ。勝てる勝てる!」
「あー、でも、こえぇー。陽二や道太郎みたいな感じに俺も考えたいぜ・・・・・・。はぁ」
「ほら、井上君! 観客席からもみんな応援してるよ! 気合い戻して頑張ろう!」
「え? あ、ああ。真波らもあそこから応援してんだもんな。よ、よぉし! だけどー・・・・・・」
井上は、自分の勝敗によって決勝行きがかかっていることへの緊張で、がっちがちだった。
主審の合図があるまで、ずっと何かしらしゃべっている。気持ちが落ち着かないらしい。
「井上のバカ! あれ、だいじなの? アタシ心配だよぉ」
「決勝行きは井上の勝敗次第だしね。最低で引き分けにしても、相手に6ポイント上まわられたら総得点差の内容で負けだしね。こりゃ井上、プレッシャーだわ。私でもいやな展開だよ」
「だーよねぇー。・・・・・・井上ーっ! 何が何でも勝てー!!」
~~~選手!~~~
「「「「「 ファイトォーッ! 」」」」」
「「「「「 井上せんぱーーーいっ! ファイトでえぇーす! がんばれぇーっ! 」」」」」
「「 井上ファイトー! 自信持ってー! 」」
井上は、有段者とは思えないくらいヘコヘコした奇妙な動きで開始線まで歩いていった。
果たして、大丈夫なのだろうか。
あまりにも奇妙な動きで、牛頭メンバーは笑いをこらえているようだが。
「勝負! 始め!」
「つおりゃぁぁぁぁーっ」
ダァン! タタァン タタァン タタァン・・・・・・
タタタン タタタン タタタタタン
相手はテノール歌手のような太く綺麗な声で大きな気合いを発し、小気味良いステップを踏む。
「うおおお! ぬああああーーーーっ!」
バアッ! タタタン タタタン タタタタタン
タタタン タタタン タタタタタン タタタン タタタン
すると井上も、極度の緊張を振り解こうとするかのように大声を出した。
相手に負けじと、リズムの良いステップを踏む。ものすごく小気味よいリズムで。
「おお、泰ちゃん、何とかいけそうかな! 構えも力んでないぞ!」
「そうだね! ガンバレ井上君っ! いけいけ! 自分からー!」
「「 ・・・・・・。 」」
「・・・・・・あれ? 田村君も中村君も、どしたの?」
「いや、ちょっとな。・・・・・・中村ぁ、あれ、どう見る?」
「やはり田村も気づいたか。おれも多分、田村と見抜いたことは同じとこだと思う」
「え? とにかく、声援送ろう! ファイトファイト! いけぇ! 井上君!」
相手と鏡写しのように、ステップを踏んでコート内を半円に回る井上。
コート内の両者は、審判からもよく見やすいアングルとなった。
「牛頭の主将、鈴木。まさか、あの選手・・・・・・私の勘が正しければ・・・・・・」
観客席では、田村や中村と同じような表情で森畑も首を傾げている。
「(大将戦、こりゃぁ大事な試合だ。でも、なかなか相手もかかってこねぇな。俺でも、先制攻撃でこりゃいけるか?)」
「井上ファイト! 自信持ちな! アタシらの強化稽古、あんたも一緒にやったでしょう!」
「(真波! そうだよな。俺だって組手の猛特訓したんだ。尚久や悠樹や道太郎らと、普通に組手で戦えてんだ。陽二にだって、稽古じゃ勝った! やれる! できる! いける!)」
井上は、不安を払拭するかのように、拳に力を込めた。
「ああああーーーーい!」
ダシュンッ! バババアッ!
本当にあの井上かと思うほどの勢いで、思いっきり上段突きを繰り出して飛び込んだ。
そのスピードには男子メンバーもみな驚く。三回戦とは別人かと思うほどの井上のスピードは、田村と同等なほどだ。基本通りの、綺麗で無駄のないフォームで、かなり速い。
ギュンッ!
「つえりやぁぁぁーっ!」
バスウウンッ!
「止め! 青、中段突き、有効!」
「(うおわ! な、なんだとおっ!)」
だが、矢のようなスピードで放った井上の上段刻み突きが捉えたのは、相手の残像だった。
相手は、井上が上段突きを出すタイミングと同時に、前へ深く踏み込んで強力な中段逆突きを返したのだ。
「「「「「 ぎゅう! ぎゅう! ナイス中段! 鈴木センパァイ! 」」」」」
「くそっ、思った通りだ! やはりおれが思っていたことが・・・・・・」
「よりによって、突っ込み型の井上に対して大将がこのタイプだとはねぇー!」
「やーっぱりか! くーっ! 私も雰囲気からそうじゃないかと思ったんだ!」
中村、田村、観客席の森畑から同時に同じような声が漏れた。
三人はまったく同じ見解で、相手の組手スタイルを確定したようだ。
「「「 待ち拳だ! 」」」
* * * * *
井上は組手に苦手意識があるが、やればできるはずだと誰もが言う。スタイルは、完全なる突き技主体の突っ込み型。形の演武が得意なだけに、フォームもきれい、クセもない、姿勢も安定していてブレがない。
だが、逆に言えば、特徴がなくスマートすぎて素直すぎる組手とも言えてしまうのだ。
「(ま、待ってくれよ。相手、待ち拳だと? ど、どうする俺! ふざけんなよ!)」
「続けて、始め!」
タタタン タタタン タタタタタン タタタン タタタン タタタタタン
井上はやや遠い間合いでステップを踏んで、相手に対して横へ回るように動いてゆく。
タタァン タタァン・・・・・・ タタタン タタタン タタタタタン
相手も、軽くその場でフットワークを確認するかのような動きの後、前拳を井上の喉元へロックオン。
そしてまた、同じリズムのステップを踏む。しかも微妙に、また微妙に、間合いを詰めながらステップを踏んでいる。
「(よ、寄ってきてる? くっそぉ。来んな!)」
シュバアッ!
「井上ダメだ! 相手に読まれてるよぉっ! 出るなぁっ!」
川田の声が井上の背後から降り注ぐ。しかし、コンマ数秒遅かった。
「つおりゃああぁぁーっ!」
ギュンッ! バスウウッ!
「「「「「 あああーっ・・・・・・ 」」」」」
「止め! 青、中段突き、有効!」
井上のリズムは完全に読まれ、合わされ、狙われていた。
決して、井上の攻撃スピードが遅いわけではない。むしろ県内でもかなり速いほうだろう。
だが、相手はそれに対して易々と技を合わせ、返してくるのだ。
「泰ちゃん、まずいぞこりゃ。相性が悪すぎる。攻略法を変えないと・・・・・・」
「新井先輩、な、何か無いですか? 井上君はどうやれば・・・・・・」
「うーん、こりゃさすがに困ったね。でも、あるよあるよ。相手があのスタイルなら、井上君が、そのことに気づかなきゃなんないんだけど。なくはないよー」
突っ込み型 対 待ち拳型。
相性最悪の大将戦は、相手が2ポイントリード。試合時間はあと一分三秒。井上は、何に気づけば良いのだろう。
「(ああー、俺、やっぱり足引っ張ってんなぁ。ごめんよ、みんなぁー)」
井上の背中が小さくなってゆく。空気の抜けた風船みたいに。
「続けて、始め!」
タタタン タタタン タタタタタン
タタタン タタタン タタタタタン
「(柏沼の大将だからどんな選手が控えてたかと思いきや、これは読みやすい。悪いが、日新学院との決勝戦は、うちが行かせていただく!)」
「井上は、ステップのリズムを変えるとかの器用さはないんだよな。くそっ、何とか頑張れ!」
「突っ込むときも、表情に出るんだよねぇー。突っ込み型だけど、バカ正直すぎというか・・・・・・」
中村と田村も、井上の背中を見つめながら腕組みをして歯痒そうな顔。
「つおおおりゃーーーっ!」
バババシュッ ババババァン ババァン
「(うわわわっ! ばかやろう! あぶねぇ! 危ねぇってば!)」
ぼーっとステップを踏んでいただけの井上の虚を突き、相手が今度はワンツースリーで踏み込んできた。慌てて井上は三連打を何とか受け払い、後ろへ大きく飛び退いた。
「おい! 相手、待たずに仕掛け始めたぞ! カウンターに比べ大ざっぱなフォームだけど、速いっ」
「井上に返し技があまりないの読んだんだろう。かといって、井上は、突っ込めばやられるからねぇー」
「どうすればいいんだ井上は。このまま試合時間も減っていくし」
「泰ちゃん! なんとかしのげ! 相手ペースに乗せられちゃダメだぜ!」
「前原、試合時間は?」
「あと三十三秒だよ田村君!」
電光掲示板は刻々と0秒に向かってカウントしてゆく。
「あとしばらく!」
三十秒前のコールがされるも、井上は相手のプレッシャーにじりじりと攻め寄られ、為す術無しな状況。この状況を打破して変えない限り、勝機は無いだろう。
「こらぁーっ、井上ーっ! 相手の突き見えたでしょ! 狙え狙え!」
「つおおおおりゃっ! つあああーっ!」
バババッバン! ダダァン! ごろんごろん どしゃ
「(う、うおあっ! やべぇーっ!)」
井上は相手の体当たりのような連突きを躱したが、そのまま当たり負けし、思いっきり場外へ吹っ飛ばされてしまった。
「止め! 赤、場外、忠告!」
立ち上がった井上に、他のメンバー四人が心配そうに声をかける。
「だ、だいじ? 井上君、あと二十秒、信じてるから頑張ろう!」
「泰ちゃん、突っ込むとき表情に出し過ぎだ。リラックス、リラックス!」
「だいじだから、思い切ってやってみー? 打開策はある! だいじだ」
「まだいけるから。まだいける。ファイトだ井上!」
メンバーはみな、場外から開始線へ戻る井上にありったけのエールを送った。
「続けて、始め!」
タタタン タタタン タタタタタン
タタタン タタタン タタタタタン
「(もう二十秒もねーじゃん! くっそぉ、負けたくない! どうすりゃいいんだ)」
「(もらった。この試合、勝ったな)」
相手はもう勝ち誇ったかのような雰囲気で、堂々と井上を観察するように構えている。
待ち拳型故か、瞬きせず、じっとひたすら初動や隙を窺っているようだ。
「つああああぃあーっ!」
ババシュン! バシュン! バシュン!
「(だああっ!・・・・・・だから、危ねぇって! 来んじゃなーい!!)」
井上が迷っているのを狙ったかのように、相手がワンツーを連続で放つ。そしてまた、様子を窺うように構えに戻る。明らかに、ポイントを取る気のない、誘い出しアピール用の捨て技だ。
「(残り十秒。2ポイント差。突っ込むなら突っ込んでこい。バレバレだ。自分の癖もわかっていないようだからな。おいしい相手だ、柏沼の大将)」
「「 井上ぇーーーーーーーっ! 残り七秒! なんかやれ! なんかやれーっ! 」」
川田と森畑の叫びが館内に谺する。それは相手校陣営の声援も超えた声量だった。
「(じっくり表情まで透かすように見やがって。俺の動きをそんなに狙う気満々なのかよ。って、まてよ・・・・・・表情、まで?)」
「続けて、始め!」
「ああああああああーーーーいぃっ!」
シュパアァッ!
開始早々、井上が思いっきり突っかけた。ものすごい速さの踏み込みだ。
「わああー! 井上のばかたれ! また表情バレバレで突っ込んだ! アタシ見てらんないー!」
「(もらったぁぁぁーっ! 強かったぞ柏沼高校! 終わりだこれで!)」
ギュンッ! バアアアッ!
相手はドンピシャのタイミングで中段逆突きを踏み込み、放ってきた。
その拳は井上の左脇腹めがけ一直線に伸びる。肩、脇、肘、手首、拳頭。各関節、筋肉が連動し、中段突きが放たれた。
ギュキュゥッ! パシイッ フワアアァッ
「(!!!! ・・・・・・な・・・・・・っ)」
そのとき、細長い影が、高速で相手の視界を遮った。
「ぇああああああーーいっ!」
パッシャアアアァァァンッ!
バッ バッ バッ
「止め! 赤、上段蹴り、一本!」
「「「「「 い、いぃぃよっしゃああああーーーーっ! 」」」」」
ワアアアアアアアアアアアア ウオオオオオオオオオオオ
相手の中段突きが伸びて身体に届く寸前に、井上は踏み込んだ前足を止め、身体を左に捻って右掌で中段突きを横へ弾き飛ばした。
その時、既に井上の右足は高く上がっており、斜め上から叩き落とすように右上段回し蹴りが相手の左頭頂部を捉えたのだった。
副審の赤旗が一気に三本、まっすぐ真上へ出され、試合時間残り二秒にして井上は予想だにしない大逆転。観客席の歓声もものすごい響き。
「(や、やったのか俺? うまくいったのか、作戦!)」
「「「「「 井上先輩、ナーイス一本でぇーすっ! 」」」」」
「やったやったやった! 井上やったよ! やりやがった!」
川田と森畑も後輩達と抱き合って跳ね、大喜び。
「な、なんだ!! 泰ちゃん、何やったんだ今?」
「わからんが、相手の中段カウンターを見切って、蹴りを返したようだ!」
「す、すごい! あと二秒だから油断できないけど、やったね井上君!」
「ありゃ、井上のやつ、もしかしたら自分の癖に気づいて、利用したかな? 新井先輩が気づいてたのって、これですよねたぶん」
「そうだよそうだよ。井上君は、表情に出しすぎ。相手はあれで、まず、突っ込んでくるのがわかっちゃうんだねー。いまのは、井上君自身が気づいて、わざとその癖を利用して、相手の方を誘い出してたねー。すごいよすごいよー」
「てか、新井先輩、それも分析済みだったんですねぇ。すごいですねぇー」
一気に点差は井上が逆転し、3対2。残り時間は二秒で止まっている。
柏沼高校メンバー全員の心音が高鳴る。ドキドキしすぎて、気持ち悪くなりそうなくらいに。
「井上、気ぃ抜くな! まだ相手来るぞ! 集中ーっ!」
「鈴木センパイ取り返しましょう! ファイトファイトォ!」
「続けて、始め!」
ダダダダダッ ダダァン
「つえりゃあああっ!」
「ああああーーーーっ!」
ババァン! バシイッ
ピーッ! ピピーッ!
最後の二秒で、両者がもつれるように打ち合い、井上の突きと相手の突きがお互いのメンホーを掠めて交差。副審がそれと同時に、青旗を一つ出した。
「止め! ・・・・・・とりませんっ! 赤の、勝ち!」
ワアアアアアアアアアアアッ パチパチパチパチパチ
拍手がコートに向かって降り注ぐと、井上はメンホーをはずし、天を仰いでふうっと息を吐いた。
汗だくになった顔は「未だ信じられない」といった感じだ。
勝ち名乗りを受けると井上は、「うおおおっ」と叫んで相手に一礼。そしてまた、天を仰いで道着の袖で顔を拭っていた。




