3、手合わせ願います
「さ。時間なくなっちゃうから、始めようか。防具つけちゃうね」
「うっす!」
「松島君、俺、主審やるよ。副審に、だれか二年生入って入ってー?」
「わかりました。 自分、長谷川、入ります!」
かぽんっ! かぽんっ!
田村と松島の二人は、「メンホー」という試合専用のプラスチック製の防具をかぶり、お互いに準備を整えた。
部活稽古での組手。試合形式ではあるが、公式戦でも練習試合でもない、ただの稽古。
それでも今日は、三年生達の気迫と目の輝きは公式戦と比べて遜色ない。
気が入っている。気が高まっている。
人間、本当に「本気」を出したときの輝きや勢いは、普段とは比べものにならないのだ。
それがこうして、普段の稽古で本気を出すのは、これまでではなかなか見られなかった光景。
いや、普段も真剣に稽古しているが、本気の度合いが違うのかもしれない。
「他の二年生! 試合のように、呼び出し役や得点役やって!!」
「「 は、はい! 」」
森畑の声に合わせて、二年生部員が慌ただしく動く。
「赤! OB、松島選手!」
「はい」
「青! 柏沼高校、田村選手!」
「うっす!」
「選手! 中へ!」
気合いの入った田村が、八メートル四方のコート内に一気に駆け込んだ。
一方、松島はゆったりと、一歩、また一歩と、赤の開始線に笑顔で歩んだ。
みな初めて見る、OBの先輩が見せる組手。
三年生のみならず、後輩達も、興味津々の目でその空間を見ている。
たまに来てくれる大先輩ではあるが、生の動きは見たことない。指導や理論は的確でわかりやすい。それでもやはり、実力がどれほどのものかは気になるし、どれほどの動きを見せてくれるかによっては、今後の説得力にも大きく関わるのではないか、という人もいるだろう。
「道太郎。田村はいきなり仕掛けるかな? 私は初動が気になるんだけど」
「うーむ。先輩はブランクがあるんだろ? 大会には出てないらしいし、試合勘も現役の俺たちよりも衰えているはず。だから、やるとすれば、開始早々に連続技でいくんじゃないか、尚ちゃんなら?」
「でも、先輩の戦い方がわかんないから、まず様子見するんじゃないの?」
「田村君、どういう組み立て考えているんだろう? 僕ならどう仕掛けるかなぁ」
「いや、きっと、案外何も考えてないかもしれん。おれなら、どうするか・・・・・・」
「悠樹も陽二も、考えすぎだぜ! 尚久なら、きっと、だいじだ!」
三年生達は、先鋒の田村が先輩相手にどういった組手をするか、興味津々。
森畑や神長は、もう本番そのものの目つき。相手を隅々まで分析する目で見て、クセを見抜き、次に戦う時までにシミュレーションをするのも、経験のなせる業だ。
前原、中村、井上も、同じようにコート内の二人を凝視している。
「一年生も二年生も、こういうときは目を離さずに、もし自分だったらどう攻めたり守ったりすればいいのか考えて見学するんだよ? 見て覚えるのも、重要な稽古だよ!」
「わ、わかりました・・・・・・」
二年生の黒川敬太が、川田の指示に、ちょっと畏れながら答えた。どうも、びびりすぎのようにも見えるのだが。
なんだかんだで、川田も田村と遜色ないくらいに後輩の面倒見はいい。言いっぷりは厳しいけど、後輩の心をつかむのがうまいのだ。
主審役の新井は、田村、松島の両者を確認し、開始の合図を今にもかけそうな雰囲気だ。
開始を待つ田村の姿からは、いま、彼が何を思っているのかは誰にも読めない。
「(さて、と。相手は先輩と言っても、高校から始めた初心者上がり。ブランク有り。年齢は四十歳手前。経験値も自分のが上のはず。ここは先輩には悪いが、様子見は無しかねぇー)」
メンホーの奥で、田村は心の中でにやっと笑った。
「(おっ? いい顔じゃないか)」
対する松島は、表情を変えずニコニコ穏やか。
腕の力を抜き、プラプラと振り、腕を回すような仕草を時々する。その様子から、本気なのかは読み取れない。
「あ、ふたりとも、とりあえず今日は練習だから、3ポイント先取りで終わりね?」
「了解っ」
「うっす」
新井が二人に、ルール確認を行う。
組手のルールは、ノックアウトする「フルコンタクト空手」のタイプではない。決められた場所に、突き、蹴り、打ちなどの技を的確なスピードと威力で正確に繰り出し、一応、「寸止め」をしてポイントを取り合う「伝統派空手」と俗に呼ばれるスタイルのルールだ。
もっとも、寸止めといっても、当たるときは当たる。
そのため、普段の稽古からきちんと技を磨いて、コントロールして止められようにならないといけない。ブランクがあったり、技術が未熟だったりすると、なかなかそれが、難しいものだが。
「では・・・・・・。勝負、始めっ!」
新井の声により試合が始まった。
ダンッ! ダダン! ドンッ!
開始早々、田村は一気に床を蹴り、仕掛けた。
開始線から一瞬で、大きく跳ぶように左足を前へ踏み込んだ刹那、田村の左拳は松島の顎をめがけ、矢のように放たれた。
二メートル以上離れた開始線から、先輩の虚を突いた田村の上段突き。
時間にして一秒も経たないうちに、拳先は松島の眼前に迫っていた。
「せああぁっ!(やった。まず先制点もらったな)」
ヒュンッ ビシィ スパンッ!
「「「「「 ああっ! 」」」」」
端で見ていた誰もが、驚きの声を上げた。
田村の突きが決まったかと思った瞬間、構えてすらいなかった松島の左手は、直前で田村の突きを外側に受け流し、同時に、右足で田村の踏み込んだ左の前足へ足払いを仕掛けていた。
この一瞬の動きに、みな、驚きを隠せなかった。
「(や、やばっ・・・・・・)」
受け流された勢いと、前足を払われた勢いで、田村は大きくバランスを崩してしまった。
「そりゃ」
スパァンッ!
「やめっ! 赤、上段打ち、有効っ!」
「(な、なんだぁ今のは。やられたっ・・・・・・!!)」
バランスを崩した田村の右頬へ、松島の右裏拳打ちが鞭のように軽く決まった。
裏拳打ちなんて、高校生の試合でははほとんど使われない技だ。それにしても、松島の挙動は無駄のない一連の動きだった。
武道場内は、その攻防によって一瞬、時を止められたかのように静まり返っていた。
* * * * *
「惜しかったねっ。まず、こっちが先制。さぁ、どんどん遠慮なくおいで!」
涼やかな松島の言葉。
対する田村は、メンホー奥の顔はよく見えないが、やや丸まった背中が表情を物語っていた。
「アタシ、驚いたよ。突きを受け流すと同時に足払いなんて。とてもブランクあるとは思えない」
「あんなにスナップの利いた裏拳、おれ、実際使うの初めて見たぞ。もっと分析せねば!」
「なるほど。だから開始前から、腕の力を抜くような動きを!」
「真波。どうやら私たち、ちょっとスゴい先輩を相手にしているのかもよ」
川田も、中村も、前原も森畑も、田村の攻撃を難なく捌いて裏拳打ちを返した松島の動きから、目が離せない。
「あのー、森畑先輩。まだルールがよくわかんないんですけど、何がポイントになるんですか?」
「そっか、一年生はまだ基礎稽古ばかりだものね。えっと・・・・・・まず、攻撃できる場所は、頭部が上段ね。腹部と背中が、中段。腰から下は、足払い以外は基本的にやっちゃダメ」
「へぇぇ。なるほど」
「そこに、突きや蹴りや、今みたいな打ち技をきめていくの。ただ、思い切り当てちゃダメ」
「当てないんですか?」
「必ず寸前でコントロールして。反則になっちゃうから。技はね、大きな声で気合いを出して、決める。そしたら、きちんと引き戻して、相手から目を離さない。これを残心ていうの。残心のない技は、ポイントにしてくれないから、そこまでが一連の技となるわけ」
「ざんしん・・・・・・」
一年生へ説明をする森畑。そこへ、川田がさらに加わった。
「一年生はまず、いま菜美が説明してくれたような部分をおさえとけばいいよ。残心てのはね、もともと、お侍さんの時代、相手を確実に倒したかどうか、きちんと確認するまで集中力を切らしてはいけないというとこからきてるのよ。だから、相手から絶対目を離したらダメ」
「すごい! 残心て、剣道や時代劇のチャンバラみたいですね!」
「ま、武道なんて、もともとは、物騒なもんから生まれたんだろうし」
「ちょっと真波ぃ・・・・・・そんな、身も蓋もないようなことをまたぁ」
「だって、そうでしょ。空手の技術は本来、相手を倒すための実戦想定の格闘技、でしょ?」
「確かにそうだけどさ・・・・・・。あ、それでね、ポイント配分は、基本的に、上段か中段に突きか打ちを決めれば、『有効』で1ポイント」
「へぇぇ! なるほどー」
「あと、中段に蹴りか、後頭部や背面への技、あと、尻もちをつかせて技を決めれば『技あり』で2ポイント」
「2ポイントは大きいですね」
「あとはね、上段の蹴り、床に完全に転がった相手への技が『一本』で3ポイントって感じかな。それで、8ポイント差がついたら終了。今日は3ポイントだけどね。昔は有効がなくて、もっと違う得点配分だったみたい」
「ありがとうございます! だから、いまの攻防は、OBの先輩が1ポイントなんですね」
「へぇー。わたしたちも、はやく、組手できるようになりたいな」
田村と松島による今の攻防は、とても初心者の一年生や二年生では見えなかっただろう。
三年生たちでさえ、その攻防のスピードは、ちょっと気を抜いていたら見えなかったかもしれないほど。まだ始まって五秒も経っていない中で、まさか、こんな事が起きるとは誰も予想だにしなかっただろう。
「前ちゃん、松島先輩の技、高等テクニックだろあれ?」
「ちょっと、すごいよ。田村君だって、県内じゃ上位ランクなのに・・・・・・」
武道場内は、先ほどまでの熱気にあふれた声が、生唾を飲む音のみに入れ替わっていた。
「続けて、始めっ!」
タンッ タタンッ タンッ タタンッ
田村は、腰をやや落としつつ、軽やかな足捌きで前後にステップを踏み、松島からやや距離を取っている。
左足・左拳が前、右足・右拳が後ろの、右構え。ボクシングで言うオーソドックススタイルだ。左拳は力を抜いて肩の高さ、右拳はみぞおち前へ置き、理想的な基本重視の構えだ。
「(いったい、先輩に何が通用するか・・・・・・一か八かで、これなら! でも、入れるかどうか)」
タタンッ ドドン! タタン タタン
タタン ドン! タタン タン
目と目を合わせ、床を鳴らすようなステップで牽制する田村に対し、松島はどしっと動かない。
「(ふうん。目が、迷ってる感じだな。やぶれかぶれで、大技でも狙う気かな?)」
すっ ふわっ ズンッ!
松島も、ゆっくりと一歩踏み出し、深く腰を落として構えた。それは田村の鏡写しのような右構え。
ただ、ステップは踏んでいない。ゆっくり、ふわりふわりと浮き沈みしているが、足は床から離れていない。膝下が波打つような、独特の、ふわりふわりとしたリズム。
「尚久、ファイトー! 自分から自分から!」
「田村君、まだいけるいけるー」
井上と前原は、声援で田村の背中を押す。
「しゃっ! せああぁっ!」
田村は、腰を落とした構えから、再び左拳の上段突きを放った。
松島は同時にこれへ反応。すぐさま左手で突きを受け流そうとしたが、田村の突きは、時が止まったかのように目前でぴたりと制止。松島は受け流しの途中で、構えを崩してしまっている。
松島の上段が、ぽかりと、空いた。
「(フェイント?)」
田村の左拳は、うまく松島の視界を遮っている。
同時に、左拳を伸ばしたまま、田村の右足は高く弧を描き、松島の左側頭部をめがけて、足先がものすごい迅さで襲いかかった。左拳を目隠しフェイントにしてからの、右上段回し蹴りだ。
「(もらった! 今度こそ!)」
メンホーの奥で、田村の目が光る。
・・・・・・ゆらりっ!
しかしそのとき、松島の上半身は、風にしなる竹のように、ふわりと後ろへのけぞっていた。
田村の蹴りは、素早くのけぞった松島の残像をかすめ、大きく空振り。
その勢いで田村は、ぐらりとバランスを崩した。
「(うっそだろう! ・・・・・・や、やばいねぇ、こりゃ!)」
松島はそれを見逃さず、大きく左へ踏み込み、右足を半月のように振り上げた。
その足のかかとで田村の後頭部へ軽く、パチン。
通常の回し蹴りとは真逆の軌道を描く、しなやかな足技。裏回し蹴りという大技だ。
「やめっ! 赤、上段蹴り、一本! これで4ポイントだね。それまでっ」
主審役の新井の声が、武道場内に響いた。
中村や森畑、神長は、目を丸くして前のめりになっている。
「な、なん・・・・・・だと!!」
「嘘でしょ。え? 終わったの?」
「なんと。あんな姿勢から、尚ちゃんに裏回し蹴りを返すとは!」
現役生、一同騒然。県内でも上位ランクに入る田村が、ものの四十秒程であしらわれるように敗れてしまった。
誰もがこの驚きを隠せない。そして、視線は皆、先輩方に釘付けだった。
「いやぁ、相変わらず、キレのいい技持ってるね。危なかったよ。ありがとうございました」
メンホーを脱いだ松島は、爽やかな笑顔で汗ひとつかいていない。
逆に周りの三年生は、誰もが冷や汗でいっぱいだった。
「いつ以来だろう、裏回し蹴りなんて。股関節が痛くて、やばいよ」
「いいねいいね。まだまだ、ちゃんと上がってるよー」
笑顔で談笑しているOB達は、まだまだ余裕綽々といった感じだ。
「田村。アタシちょっとびっくりだよ。・・・・・・でも、いいもの見せてもらったかんね!」
川田が、メンホーを脱いでコートを出た田村へ、タオルをぱさっと放り投げた。
「つ、つえぇ・・・・・・。本気でやったけど、先輩が、これほどとはねぇー」
「アタシも、やれるだけやってみる。どうせ勝ち負けはないんだから、試してみないと」
田村は、タンスに小指をぶつけた時のような表情。しかも、汗びっしょりだった。
その後、井上が挑戦したが、やはり彼は組手に苦手意識が強いらしい。技をほとんど仕掛けられず、田村よりは長く時間をかけたものの、松島に上段蹴りで一本技を取られ、あっけなく終わってしまった。
「あー。もう。俺、この部の組手戦力になってねぇよぉー。俺、よえぇー!」
「まーまー。井上、見てなよ。アタシ、ちょっと考えたことがあるんだぞ」
「え? 真波? なにを考えたんだよ?」
「まっ、見てのお楽しみ・・・・・・だね!」
川田はそう言うと、うっすら笑みを浮かべて、メンホーをかぽんと装着した。