21、パン屋は手先が商売道具
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今月も残すところ、今日を含めてあと三日。インターハイ予選までは約三週間。
チャイムが鳴り、いつものお弁当タイムとなった。
前原は土曜日の猛稽古による疲労で食欲があまりなかったが、今日は久しぶりに甘くない方のパンを買うことにした。
「あれっ?」
いつもいるご主人かと思いきや、今日売りに来ていたのは、三本松農園の別な女性スタッフであった。ご主人は、なにか用事でもあって来られなかったのだろうか。
「えーと、じゃあ・・・・・・この、ハムチーズのやつと、ベーコンエピください」
パンを選ぶ前原のもとへ、次第に足音が近づいてきた。
「前原っ! アタシにもおーごってっ!? 今日の漢文、またあんたの予習したやつ写したら間違ってたんだし!」
突然、川田が前原の後ろからタックルするように笑顔でぶつかってきた。
「えー、川田さん、自分で買おうよー。てか、もう、文句言うなら予習ノート見せないよ?」
「冗談よ、冗談。 あっ。アタシ、メロンパンひとつください」
前原にじゃれつくようにしている川田。さらに、その後ろには別な人物の影が。
「じゃ、私もメロンパンもらいまーす!」
「菜美!」
森畑も今日はパン屋さんの販売所に出現。その他の生徒達もたくさんいる。商売繁盛しているようだ。
前原が買う時間に川田と森畑の二人が一緒にいるのは、今までなかった。うるさいけど、何か新鮮な感じがすると前原は感じていた。
「あのー、えーと、今日は、パン屋さんのご主人はいらっしゃらないんですかね?」
「あ、店長ね。なんか今日は、店にはいますけど、確認することがあるとかで、来られなかったんですよ。ですから、わたしが代理でということなんです」
「あ、そうなんですね。し、失礼しました」
三人はパンを買ったあと教室へ戻る際、川田は前原と森畑へ、ぽそっと呟いた。
「あーぁ、インハイ行くためのノウハウ、少し聞こうかなぁとアタシ思ったのに」
「やっぱりそうだったんだ。川田さんや森畑さんがパン買いに来るなんて、すごく珍しいなぁって思ったもの。でも、ご主人いなかったね」
「こんな日もある。しゃーない。アタシは高校最後の夏、ほんと良いものにしたいのよ」
「みんな、きっとそうだよね。大学とか行ったら、このメンバー全員で空手やってるなんて事、ないしなぁ」
「前原も真波も、だからこそ頑張ろうよ! ね!?」
前原達三人は、パンを片手にしみじみと語りながら、校舎内の廊下を教室に向かって歩く。
そこに、職員室から出てきた田村とばったり遭遇。手には、英語のノートを持っている。
「なにやってんの田村? 早川先生に質問?」
「おー、森畑! 長文読解でわかんないのあってねぇー。あ、今日の部活、最初に藤山公園に走り行くからねぇー」
「藤山ランニングね。わかった。みんなにも言っとくね!」
「うえー。走り込みかー。アタシ、あんまり好きじゃないー。膝痛くなるし」
「ははは。まぁまぁ、川田さん。ほどほどで無理なくやろうよ、そこは」
藤山公園とは、学校から二キロ離れた藤山という小高い里山の頂上にある市立公園だ。
私鉄の駅を挟んで線路の向こう側にあるが、藤山の頂上まではなかなかのアップダウンがあり、空手道部以外の運動部や、山の麓にある柏沼農商高校の生徒もよくトレーニングに利用している。たまに不良や暴走族が溜まっていたりするが、基本的には野鳥観察の人がいたりするくらいで、閑静でいい憩いの場所だ。
「そういえば早川先生が、インターハイ予選関係で、今日の部活でまたいいことあるかもよーって言ってたぞ。組み合わせ表は明日届くって。美味しい差し入れでも、くれんのかねぇー」
「三本松農園のレモンパンがいいな、アタシ。こないだ堀内先輩が差し入れでくれたやつ、すごく美味しかったんで気に入ったし!」
「何なのかはまだ、わかんないけどねぇ。とりあえず、部活、着替えてみんなでまず走り込みだねぇ」
「了解ーっ!」
「わかったよ田村君!」
「レモンパン、ばんざーい!」
川田はもう、美味しい差し入れがあると勝手に思い込んでいるようだ。
前原のクラスは、午後の授業は日本史と現代文だった。部活の疲れか、前原はいつの間にか寝てしまったらしい。特に日本史は、なぜか眠くなってしまうようだ。
同じく、川田も寝ていた。前原や川田曰く、「起きてなきゃとは思っているが、どうしても午後の日本史になると眠くなってしまう」とのこと。
日本史の先生が顔を赤くしてゆく最中、うしろの席の友人にイスを軽く蹴られ、二人は目が醒めた。
その後、前原の隣の席で川田はなにやらノートに組手の攻防をイメージした絵を描き、ああでもないこうでもないと書いては消しを繰り返していた。
呆れた先生は、「別なクラスでも田村と森畑が同じようなことしていたな・・・・・・」と頭を抱えていた。
* * * * *
ざしっ ざしっ パタパタ キュッ パァン!
運動靴に道着という姿で、帯を締めた一年生から三年生までが正門前に集合した。
「軽くアキレス腱と足首よくほぐしといてー。じゃあ、いくよぉ?」
田村を先頭に、前原が真ん中、しんがりは神長が入り、藤山まで走り込みが始まった。
「せ、せんぱいー、待って下さいー」
「はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ」
一年生も、ちょっと柔らかくなってきた白帯姿で一生懸命ついて行く。
ペースが遅くなってくると、しんがりの神長がせっせせっせと大南と内山の二人を励まし、背中を押しながら余裕の顔で走ってくる。
三年生達は呼吸法を意識し、走りながらもなるべく息を乱さないように気をつけている様子。時々ダッシュしたり、スキップを入れたり、工夫をしながら各自は走っている。
ぶぶー ぶろろろろー
「あれっ? あの車はー」
藤山に向かう途中、見慣れた車とみんなすれ違った。三本松農園のミニバンだ。
運転席ではいつものご主人がジャージ姿でハンドルを握り、学校のほうへ走っていった。
「ほらほら! アタシの読み通り、今日はレモンパンが差し入れで届くんだよきっと!」
「今日は堀内先輩、夜勤だから来られないって行ってたしね。その代わり、パン屋さんが直々に届けてくれたのかな? ん? でも、わざわざ僕たちのところへ?」
みんな首をかしげながら走っていると、松島や新井の車ともすれ違った。
新井は窓から手を振り、「武道場で先にみんなで待ってるから」と言っていた。
「新井先輩、相変わらず会話が不可思議で面白いよね。コーチ陣二人なのに、みんなで、だって」
「だよなー。だいじかよ、新井さん」
「みつるー。そういうこと言ってると、チクっちまうぞ」
「あ! それはやめろー」
「ほらほら、置いてかれちゃうから、ふざけてないで行こうよ!」
二年生三人も、茶帯を揺らしながら三年生達を必死に追いかけてゆく。
藤山の勾配は、一年生にはものすごくきつかったらしいが、みんな走り終えて学校へ普通に戻ることができたようだ。
* * * * *
スーッ シュパアァン! タタタァンッ! パパァンッ! アアーィッ!
「いいねいいねー。すごいですねぇー。いいよー」
「やっぱり、年季が違いますね! 高校で始めた俺達とは違うなー」
「いいねいいね。形がしっかりしてるってことは、基礎の技量もすごいんだねー」
「これは本当に驚いた。まさか、これほどとはね!」
純白の道着が乾いた音を響かせ、薄く両端が掠れた黒帯が空気を裂くように揺れ動く。
武道場では誰かが、鶴が舞うような形を演武している。新井と松島は頷きながら、その動きに感心している。
「いやいやいや、お恥ずかしい。先輩方の前で二十八歩を演武するなんて、思ってもいなくて」
形を演武していたその人は、新井と松島へ照れ笑いを見せる。
「「「「「 ただいま戻りましたぁ! 」」」」」
「あっ!」
前原達が武道場の玄関を入る前に、中にちらっと見えた道着の人。
それは、見慣れた姿とは違う、あの三本松農園のご主人だったのだ。
「みんな戻ってきたねー。おつかれおつかれ。こないだ話した人、来てくれたよー」
新井が、走り込みを終えた部員達へニコニコと手を振っている。
松島は演武を終えたパン屋のご主人と笑顔で話しており、すごく和やかな雰囲気だ。
「改めまして、三本松農園代表 福田大地です。みなさんの、ずっとずーっと前の先輩になるのかなぁ。こちらの松島先輩や新井先輩とは、もうすこし先の世代です。よろしくお願いします」
いつものパン屋のご主人が道着姿で現れた。さぁ、部員達はどうする。
武道場の外には、校舎の屋上から降り立った白鷺が、羽を休めて留まっていた。
* * * * *
「真波、よかったじゃん! パンが届いたようだね・・・・・・」
「そうだね、菜美。ものすごく、レベルの高いパンが、届いたね・・・・・・」
「なにポカーンとしてんだよ。こりゃ、願ってもないことだ。福田先輩、主将の田村尚久です。よろしくお願いします!」
「「「「「 よろしくお願いしまあっす! 」」」」」
突如現れた、かつての県代表選手である大先輩。
先日、新井が強化稽古の後にお店に立ち寄り、今の部の状況を伝えたら「是非ともなにか力になりたい」ということで、今日は特別に来てくれたとのこと。
福田は普段は美味しいパン屋さんだが、たまに運動がてら、空手の基本稽古くらいは少しだけ続けているらしい。
「いつも、うちのパンをありがとうございます。制服姿でしかみんなのことは見てなかったけど、その『柏沼高』の刺繍が入った道着を見ると、益々懐かしいね!」
「お、おそれいります」
前原は、福田の言葉を前に恐縮してしまった。
「今日は、インターハイ予選前ってことで、新井先輩が顧問の先生に話を通してくれたみたいで。短い時間ですが、伝えられることとかあれば、どんどん力になろうと思います」
「今日はこれから、形と組手に分かれての稽古なんですが、よろしくお願いします!」
田村がにこやかに、今日の稽古メニューを福田へ教えた。
その後は柔軟体操、基本稽古、移動基本を終え、組手と形に分かれてそれぞれ稽古することになった。いつも通り、新井と松島はミット打ちを指導。福田はフリーで、形と組手のどちらも見てくれる。
それゆえ、福田には森畑や川田がひっきりなしに質問をしている。
「なぁ、みつる。ネットで見た福田先輩の実績さ、すごかったよな」
「ああ、すごかった。でも、さっき少しだけ形やってたみたいだけど、本気でやったらどのくらいなのかな?」
「そっか。じゃ、見せてあげよっか!」
「「 うわっ! すいません! 」」
小声で話しながら形稽古をしていた二年生のうしろから、両肩へポンと気さくに手をかけて、福田が笑顔で応えた。どうやら、本当に形を「本気で」やってくれるらしい。
タタァン! ババァン! バシンバシン! ああぁーい!
バチン! バチン! とああーっ!
「おい、神長! ちょっと手を止めろ。福田先輩、本気で演武してくれるらしいぞ!」
「なにっ! 陽ちゃん、これはちょっと、見ようぜ!!」
「ああ。勉強になるだろうからな」
組手稽古をしているメンバーも手を止め、福田のほうを注視した。
森畑、川田、井上、中村、そして神長は、まるで審判にでもなったかのように動かず、四方から福田を見ている。
スッ スッ フーッ・・・・・・
福田が呼吸を整えて一礼すると、一瞬にして武道場は水を打ったような静寂に包まれた。
みんな、息を殺したかのように、ただ静かに、音もなく、一点のみを見ている。
「チャタンヤラ・・・・・・クーサンクゥーッッ!」
部員は誰も演武できないハイレベルな形。北谷屋良公相君。
福田の目は、形名の発声と合わせて優しさは消え、アドレナリンが噴火した猛禽類のような目に変わっていた。
スッ フアアアアアッ パッ サアアアアアアッ パァン
川田が得意とする観空大とほぼ同じ構えだが、福田の形は、まるで鶴か白鷺かが舞うようなイメージで、男性が演武しているにもかかわらず、それは優雅で女性的にさえ見える。
パアン! シャッ シャシャッ! パアアン!
シュパッ タァン! シュパッ タァン!
ズアッ バババッ パァン パァン パパパァン! アアアーイッ!
「「「「「 !!! 」」」」」
「(な、なんだと! す、すごい形だ。パン屋の店主なのに、これほどのレベルだったのか)」
「(高体連時代からかなり時が経っているのに、この雰囲気とキレ・・・・・・!)」
「(むしろ、今も現役! 基本稽古だけで、こんな動きが! アタシとじゃ次元が違う)」
みな、驚きを隠せない様子が溢れ出ていた。目の前で次々と繰り出される動きが、どれも並の高校生レベルでは太刀打ちできないもの。
過日の春季大会、男子個人形で優勝した日新学院の畝松虎次郎の形でさえ、福田に比べたら軽く薄っぺらに見えてしまうほど。
ヒュバッ! ババッ! タアアン! タアァァン! スッ フーッ
「こんなもんかなぁ?」
パチパチパチパチ! パチパチパチパチ!
自然に四方から、福田に拍手が降り注いだ。すごい形を見せてもらい感激している一年生や二年生と、大会でライバル校の演武を見た後のような表情の三年生。そのギャップはものすごい。
もちろん、その後の稽古で、まるで福田がバーゲンセールの品物になったかのように囲まれたのは言うまでも無い。小休止のときまで、三年生は質問や指導を受けることをやめなかったほどだ。
「福田先輩、アタシは絶対に今回、みんなで沖縄インターハイ出たいんです! なにかアドバイスがあれば、お願いしたいんですが」
「うん、そうだね。まず、インターハイ出場権はさ、少なくとも県内予選を決勝まで行かなきゃ話にならないよね?」
「はい。そうです。団体は優勝校のみ、個人は上位二名だけですし」
「勝ちたい勝ちたい、と思ったら、逆に、勝てないことのが多いと思うよ」
「「 ええ? 」」
「禅問答みたいだけど、『勝ちたい』って意識はもちろん大切だけど、それは願望。それがあまりに強いと逆に縛りとなって、自分が持っている力や稽古してきた力が、発揮できないまま終わることが多い」
「そ、そーなんすか!? おい、尚久、どういうこった?」
「え? 井上はわかんねーのかよぉ。俺は理屈がわかったけどねぇー」
「なんでわかんだよ。・・・・・・福田先輩、それで、続きは?」
「『勝ちたい』ではなく『当然、勝つよ』と思う方が良いんだ。試合は、形も組手も自分がその大会の主役。他は、自分の引き立て役。だから勝てて当然、誰でもかかってこい。ってね」
「アタシ、こないだの春季大会、そーすればよかったのかなぁー」
「勝てて当然なんだから、勝ちたいと思わず、『負けなきゃ良いんだよ』ぐらいに。そのくらいの気構えでいてごらん? 見えないものが見えてきて、冷静に試合運びが出来るから」
「勝てて当然・・・・・・負けなきゃいい・・・・・・」
「自分が大会の主役、他は引き立て役・・・・・・」
かつて、全国の強豪を相手に高校三大大会で戦っていた大先輩のアドバイス。とても、深い。倫理的で哲学的な感じもあるが、ずっと勝ち気でいた川田や森畑には、なおのこと深く染み渡ったようだ。
井上は、一年生の二人に「どういうことなんだろうな」と小声でなおも訊いていたようだが。
「もちろん、強豪に負けないよう、稽古量や技量も積んでおかなきゃいけないのだけどね」
「「 ありがとうございます! 」」
「福田先輩。組手のほうで、何か教えて頂きたいんですが」
「日新に負けないよう、基本技の他に変化技もいくつか隠しときたいんです」
「んー。組手の技ね。・・・・・・そうだなぁ・・・・・・」
中村と田村が質問した後、福田は新井を相手役に、なにか教えてくれるようだ。
「すいません、新井先輩。ちょっと説明したいんで、掛かり役と受け役、お願いします」
「いいよいいよー。だいじょうぶ」
「たぶん、皆さんの基本的な技術は、関東や全国でも普通に通用すると思います。そうなってくると、個々の技の他、トレーニング量や筋力量で差が出るのが大きくなる。それ以上に、無意識で繰り出せる技や相手の意識していない技が、肝心なところで勝敗を左右することもある」
「なるほど。なるほど。無意識で繰り出せる技、か」
「中村は考えすぎだからねぇー。無意識ってのは、難しいかねぇー」
「なんだと。いや、できるさ。おれはそういう技を知りたいんだからな」
福田は、中村と田村を見てふふっと笑い、話を続ける。
「蹴り一つにしても、ちょっとした変化で、相手にはとても厄介な技になるというものを見せるね」
「「 え? 」」
福田は、新井に向かって、無駄のない自然体の右構えで立った。
「新井先輩、いまから蹴りますんで、受けられそうだったら捌いちゃって下さい」
「わかったー。遠慮無く、受けさせてもらうよー。たのしみだなー」
「みなさんも、ちょっと見ててね。では・・・・・・」
シュワン シュワン シュワン シュワン
福田は膝のバネを柔らかく使い、肩の力を抜いて、羽毛のような軽さのごときイメージのステップを踏む。
新井は逆に岩のように動かず、両拳を構えて目を動かすことなく見ている。
いったい福田は、田村達にどんな蹴り技を見せてくれるというのか。
ふわぁんっ
「「 (え! ま、前蹴り?) 」」
田村と中村は、すぐそばで見ていて、福田の出した蹴りの軌道があまりにオーソドックスな前蹴りだったので驚いた。しかも、それはカミソリのようなキレ味とか大砲のような速さとかではなく、単なる基本通りの前蹴りといった感じで出したものだったのだ。
「(うけちゃうよー)」
新井も、普通にその蹴りを叩き落とそうと、無駄のない軌道で腕をやや下へと落とした。
・・・・・・ベチイイィッ!
「(あれ? 入っちゃったよー?)」
「えっ? いまの・・・・・・」
「な、なにがどうなった。いまの前蹴り!」
「尚ちゃん、どうなったんだ今?」
「なにがなんだかわかんないねぇ! なんか、蹴りが新井先輩の腕をすり抜けて、脇腹へ入ったような・・・・・・」
福田の蹴りは、たしかに新井が完全に受けたかと思った。
しかし、その蹴り足はそのまま新井の腕をすり抜けて、脇腹へしっかりと決まっていた。
新井は「おかしいねー」と不思議そうにしていたが、すぐ、「あ、そうか」とひとりで頷いた。カラクリがわかったようだが、田村たちにとっては手品を見ているかのような場面だった。
「これは、前蹴りじゃないね。みんな真横から見てるから前蹴りに見えるだろうけど」
新井の後ろで見ていた松島は、カラクリがわかっているようだ。
「福田先輩! ちょっと、おれ、やってもらっていいですか?」
志願して中村が手を挙げ、新井と交代して福田の前に立った。
「中村、カラクリわかったら、みんなでやってみよう。解明たのむねぇ」
「ああ、わかったぜ田村。・・・・・・福田先輩、お願いします」
福田はにこっと笑い、緩やかに中村へ蹴りを放った。
ふわぁんっ
「(こ、ここだ! この軌道を押さえれば・・・・・・)」
ぐりぃっ ぎゅっ
「(え? なにっ?)」
ベチイイッ!
中村も、新井と同じように、受けることが出来なかった。いったい、いま、何が起こっているのか誰も部員達はわからない感じだ。
しかし、蹴りを体感した中村は、初めて夏休みの早朝にカブトムシを捕まえた時の子供のような笑顔になっていた。
「わかった! わかった! これは意外な蹴りだ。これは、使えるぞ! そういうことだったのか」
「でしょ? ちょっとした工夫だけど、こんな蹴りもあるんだよ。驚いたかな?」
「なに! なに! なんなのよー! アタシ、夜も寝れなくなっちゃうから教えてよ中村!!」
中村と福田とのやりとりに、川田が痺れを切らしたかのように割り入った。
「膝を上げるまで軌道は普通の前蹴りなんだが、蹴り足が伸びきる前に膝頭と足首とを捻って、上足底を斜めに傾けて脇腹へ蹴り込むんだ! こう! こう! これは、受ける方は普通に足がすり抜けてきたように見えるよ! すごいことだ!」
興奮して説明が早口になった中村の腰元を、川田は「わっかんないよ」と軽く蹴った。
「いま、福田君が蹴ったのは『三日月蹴り』っていう、ちゃんとした蹴り技なんだよ」
「「「「「 みかづきげり!? 」」」」」
松島の一言に、一年生や二年生は声を揃えて驚いている。それは半端な技量ではできない、なかなかに難しい足技だったのだ。
「なるほど! こうか! ああ、こうねぇ!」
「へー、たったこれだけ角度を変えるだけでねぇ」
三年生メンバーはみな、あっちこっちの方向へ各自が三日月蹴りを試している。その目はキラキラと輝き、楽しそうだ。シンプルな技から発掘された新技に、みな心を躍らせている。大先輩の福田はまだまだ隠し技を持っていそうだ。
「先輩、アタシにもなにか新技教えて下さい!」
「ずるい! まず、私の形も先に見て下さいよー」
福田は結局、部活終了までいっさい休むことが出来なかった。「パン職人は手先指先が商売道具だから、今日は足技ばかりで助かった」とのことだ。
明日はいよいよインターハイ予選の組み合わせ表が届く日だ。
次の大会に向け、柏沼高校空手道部は、日々精進しながらスキルアップをしてゆく。




