20、空手道部リニューアルオープン!?
・・・・・・しとしとしと・・・・・・
・・・・・・ぴちょりっ・・・・・・
・・・・・・さらさらさら・・・・・・
細やかな雨が優しく降り注ぎ、武道場の玄関はしっとりと濡れている。
屋根から滴る雨垂れが、水琴窟のように澄んだ音を奏で、外から独特の音を響かせている。
しとしとしとしと さらさらさらさら ぴちょん
テストや体育大会も終わり、沖縄インターハイ出場に向けて今日からまた本格稽古でレベルアップをしなくてはならない。
団体においては、インターハイの切符を得るのは優勝校のみ。
と、いうことは、日新学院を下さない限りはインターハイに団体戦での出場はできないということだ。それは、とてつもなくハードな壁となるだろう。
「「「「「 先輩、こんにちはーっ! 」」」」」
いつもと変わらない、武道場から響く後輩達の元気な声。
テスト一週間前から続いていた部活休止期間明けは、三年生がこの声を聞くと、「さぁ、今日からまた動くぞ!」という気分になるらしい。
「ぶーかーつーだぁー。長い氷河期だったー。足も良くなったし、よく静養できたぞー!」
「よかったね真波。やっぱり、六月は大きな予選大会が二つあるし、部活休止はいやだよねぇ」
「そーねー。そういえばさ、菜美しってる?」
「なにが?」
「昨日、早川先生がインターハイ予選の抽選会行ってきたってさ。どんな組み合わせになるのか、ほんと、神頼みだね」
「あー。知ってる知ってる! ま、春季大会でかなり手応えつかんだし、短時間で出来ることをこれでもかっていうくらい稽古にすりゃ、だいじでしょ! 等星に負けてなるものか!」
川田と森畑は、雨だろうが風だろうが、今日も元気いっぱいの様子。
田村たち男子は、「雨はだるいー」と、やや気怠そうな感じだ。
「「 あれ? 」」
三年生達が玄関へ入ったあと、すぐに青い雨傘と藤色の雨傘が武道場へ近づいてきた。
早川先生と、もう一人は、誰なのだろうか。
「みんな揃ってるみたいだねー。今日は、みんなに紹介する人連れてきたよ」
早川先生は青い雨傘を玄関の傘立てに立てると、藤色の傘をさした人の方を向いた。
藤色の傘をたたむその人は、前原たちには見覚えのある女性だった。
「あ、僕に以前、声かけた人・・・・・・」
「こちら、今日から、空手道部のケアサポーターとして支援して下さることになった、堀内和歌さんだよ。新井さんの紹介で来てくれたんだ。本校の卒業生だよ」
「初めまして、空手道部の皆さん。堀内です。みなさんのサポートで少しでもお役に立てれば幸いです。よろしくお願いいたします」
早川先生に紹介されたその女性は、にこっと笑って軽く会釈をした。
「「「「「 よろしくお願いします! 」」」」」
挨拶をする部員たち。すると、川田がにこにこして一歩前へ出る。
「三年の川田真波です。よろしくお願いします。堀内先輩は、在学時、何部だったんですか?」
「私は、ソフトテニスをやってました。あと、今はマラソンやヨガトレーニングも趣味でやります」
「へぇー!」
川田に続き、森畑もすっと前へ出て、ぺこりと頭を下げた。
「三年の森畑菜美です。体力作りやメンタルコントロールとかを私、たくさん教わりたいです!」
「空手という競技を私はよく知らないんで、どこまでお役にたてるかわかりませんが、精一杯、みなさんがこれから活躍できるようにサポートしますね」
堀内と部員達の雰囲気を見て、早川先生は爽やかな笑顔を見せた。
「堀内さんは普段、看護師をされているからな。ケガの応急処置や医療看護系の専門的なことはどんどん聞けるから、部活に必要なこと、よく教えてもらうといいぞ」
「「「「「 はいっ! 」」」」」
新井、松島のコーチ陣に加え、ケアサポーターの堀内が新たに支援者として加わった。
部員はみな、新しいスタッフとすぐに打ち解け、インターハイ予選に向けてさっそく強化メニューを含んだ稽古を開始。
その様子を、堀内は柔らかな笑顔で見物している。
「自分が高校生だった頃を思い出しますね」
「空手道部の子達はみんな気さくで、個性派揃いですから。これからよろしくお願いいたします」
「今日は、どんなことをやるのか興味あります。お邪魔かもしれませんが、よく見せて下さい」
「そろそろ、新井さんや松島さんたちも来ますから。どうぞどうぞ」
部内に、新しい風が吹き始めた。
窓には緑色の雨蛙が、ケロケロと歌声を響かせながら、くっついて喉を鳴らしていた。
* * * * *
「「「 てあああーぃっ! とああーぃっ! 」」」
パパァン! パパパァン! タァン! パパパァン! タァン!
「「「 さああーっ! どああーっ! おああああーっ! 」」」
ドドォン! ダァン! バァン! ダダァン! トォン!
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。もう一本、おねがいします!」
「いいよいいよー。さぁ、やるよやるよー」
「はい、止まらない、止まらない! そこでもう一踏ん張り!」
パパパァン! ドパァン! ババァン!
「あと二十秒! ファイト! ファイトォ! ほらぁ、どうしたどうしたー?」
武道場内には、いつにも増して激しい音が響き渡っている。汗が飛沫となり、まるで南国フルーツを栽培している温室ハウスかと思うくらいの熱気が溢れ、各自の道着は水でもかぶったかのように重さを増している。
今月最後の土曜日である今日は、部内の強化稽古だ。新井と松島の作るメニューに加え、川田が県指定の強化練習で仕入れてきたメニューをアレンジし、取り入れている。
堀内もあれから、勤務シフトが休暇のときは学校へ立ち寄ってくれる。飲み物などの差し入れのほか、効果的なストレッチの仕方やヨガ呼吸法などを教えてくれたりすることもある。
空手以外の大切な知識や技能を教えてもらうことで、部員はみな新しい身体の使い方やメンタルコントロールを知り、それぞれが自分流に昇華して取り入れ始めた。
「はぁはぁ・・・・・・。あー、ミット打ち、きっつ! 道着が重くなってるから余計にきついねぇー」
「でも、田村君は連打の回転力がすごいよね。僕ももう少し、連打速くならないと」
「あっちでやってる川田や、そっちでやってる神長みたいにかねぇー?」
「うん、まぁ、そんな感じかな。僕、まだまだ連打が遅くてさ」
「まー、手数が多くて速けりゃ良いってもんじゃないけどねぇー」
前原と田村は、ペアになって打ち込み稽古をしていた。
武道場内では、みな二人一組で技を出し合っている。気合いいっぱいで、活気に満ちあふれた空間だ。
「「 たあああーっ! とああああああーっ! 」」
「「「「 うぁいさぁーっ! うあぁーいっ! おぁいさぁーっ! 」」」」
「「 あーい! ああぁーい! 」」
目標がしっかりとでき、モチベーションがみな、上がったのだろう。
「今日の強化は、いつになくハードに感じるな。コーチの先輩達も、俺らをインターハイに送り出すために、強豪校にも負けない体力とスキルアップを考えてくれてるよねぇ」
「そうだね田村君。それにしても、井上君なんかは、水被ったようにまで汗だくだね」
前原達の横で打ち込み稽古中の井上。その道着や帯からは、滝のように汗が滴っている。
「あー! あっちぃ! きついーっ! 死んじまうー!」
「井上、おつかれ! 休んだらすぐ、また蹴りの方の打ち込みやろうかねぇ」
「もうちっと待ってくれぇ、尚久! もう、俺、ヘロヘロで動けねぇよ」
「はーい。田村主将とー、前原とー、井上ー? 三人はこっちで蹴り三十秒連続やるぞ!」
「やすまないー。ほら、まだまだやるよやるよー」
「「「 は、はいぃー 」」」
中村と打ち込み稽古をしていた井上だったが、別メニューにすぐ呼ばれ、心が折れかけている。
新井が突き技用のミット、松島が蹴り技用のミットをそれぞれ持って、新たなタイプの打ち込み指導をしてくれる。
三十秒間いっさい休むことも止まることも許されず、先輩方が小気味よいテンポで出してくるミットめがけて、ひたすら技を打ち込む。とにかく、手足を止めてはならない。
井上曰く、最初の十五秒はいいが残りの十五秒から呼吸が苦しくなり、腕や足が重くなり、疲労が数倍になったように感じ、地獄のようだ・・・・・・とのこと。
部員が仮に数十人いれば、次に回ってくる間も長くなって少しは休めそうだが、歌詞沼高校空手道部にはこの人数しかいない。それゆえ、仮に突き技の列に並んでクリアしても、もう片方の蹴り技の列に並ばされ、すぐ順番が回ってくるのだ。もっとも、きついからこそ価値のある強化練習なのだが。
「はぁはぁはぁ・・・・・・。くぅー、まだまだぁ! お願いしまぁす! 菜美、もう終わり?」
「真波、まだやるのね! ・・・はぁ・・・はぁ・・・ふぅ・・・・・・。ならば私だって!」
「ほらー、男子ー。見てみなよー? 女子はまだまだ元気ー。やるよやるよー」
「「「「「 ・・・・・・うっす! 」」」」」
川田も森畑も、いまにも倒れそうなくらいフラフラになりながら気力を振り絞ってお互いに火花を散らしてミットへ技を打ち込んでゆく。
三年生は小休止の号令がかかるまでノンストップで打ち込み、二年生や一年生も、未熟ながらも一生懸命全力で稽古に励んでいる。
「よーし。小休止しよう。やすもうやすもうー」
「「「「「 あ、ありがとう・・・・・・ござい・・・・・・ましたぁ! 」」」」」
全員、糸が切れた人形のようにばったりと床板にひっくり返り、動かなくなってしまった。
カラカララ・・・・・・ タンッ
「こんにちはっ」
ちょうどその時、玄関の引き戸が開く音がし、堀内が顔を出した。
「わぁ、みんな、すっごい汗だくね! これ、今日の差し入れ。休憩中にどうぞ」
袋から人数分、レモンの砂糖漬けがトッピングされた小さなパンを取り出し、分けてくれた。
「私がよく行く『三本松農園』の新作パンだって。疲労回復とエネルギー補給に、クエン酸と糖分をよくとってね」
「「「「「 ありがとうございます! 堀内先輩! 」」」」」
「店長さんもね、空手道部のみんなに差し入れって言ったら、すごくおまけしてくれたの」
「ありがとうございます。あのパン屋さん、学校にも売りに来るんで、僕もよく昼休みに買ってます。あのパン屋のご主人さんも、僕たちの部の大先輩なんですよね」
前原はニコニコして堀内へ答えた。それを聞いた川田と森畑は、「?」という表情で見つめ合う。
「え? そうなの? アタシ知らなかった! 菜美、知ってた?」
「私も知らなかったよ! 穏やかな優しいパン屋さんだけど、空手道部OBなの?」
「ん? OBのパン屋さんって、あの三本松農園かぁ」
その話を聞いた松島が奥の洗面所から戻ってきて、さりげなく話に加わった。
「新井君さ、市の外れにある三本松農園の店長ってさ、俺達の後輩で主将やってたよね?」
「んー。やってたやってた! たしか、インターハイも出てたはずだよー」
「「「「「 え! パン屋さんが? インターハイに? 」」」」」
部員一同、鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔となった。
「俺達が出てから二つ下の世代だけど、インターハイに個人形と個人組手のダブルで出たと思うよ? 歴代主将の中でも実績すごい人なんじゃないかな?」
「ええぇ! ビックリ! アタシ、こんど昼休みにメロンパン買うとき、聞いてみよう!」
「そういえば、おれもパンを買ったことあるが、その時見た感じだとけっこう力強そうな手をしてたしな。そういうレベルの人だったのか」
「どらっ!? 川ちゃんも陽ちゃんも、ちょいと待って。検索して、見てみようか」
神長はバッグから携帯を取り出し、三本松農園のホームページを調べた。
中村も同時に携帯を取ってきて、調べた画面を二年生と一年生に見せている。その画面には、笑顔で家族と麦穂を持つ、パン屋さんの写真が。
「えーと、あ。これだこれだ」
――― 笑顔まんてん 田舎のおいしいパン屋さん 三本松農園 代表 福田大地 ―――
それは笑顔が明るく爽やかな、三本松農園のイメージにぴったりなものだった。
田村は飄々とした顔で、その画像を眺めている。
「あー。いつもお昼に学校へ売りに来てる、パン屋さんだねぇ」
「あ。店長のプロフィールページもあるぞ。見てみようぜ尚久!」
「確かに、柏沼高校卒って書いてあるねぇー。・・・・・・え!」
「ちょ、ちょっとこれ! 田村君! 井上君! すごいよ!」
「お、おいおいおいおい! す、すげぇぞ!? すげぇぞパン屋さん!」
驚きを隠せない感じの田村と井上と前原の三人に、他の部員も「どうした!?」といった顔。
パン屋さんのプロフィールページには、次のように書かれていた。
――― 高校時代は空手道部主将として青春時代を過ごしておりました。
全国選抜大会二回・インターハイ二回・国民体育大会一回 出場 ―――
「センバツやインターハイに国体! しかも、れ、連続出場! マジかぁ・・・・・・!」
「高校タイトルの三大大会に、全部出てるとは! し、信じられん!!」
神長や中村も、画面を見ながら目を丸くしている。川田や森畑も「うっそぉ」と声を揃えて驚く。
デニム生地のエプロンをして微笑み、あの美味しいパンをいつも笑顔で売っている三本松農園の主人が、こんな経歴の大先輩だったとは誰も知る由もなかった。
「今度、県代表としてのノウハウを聞けたらいいなぁ! なぁ、前ちゃん?」
「そうだね! 今もいろんな先輩方に支えてもらってるけど、もっといろんな先輩に教わって、僕たち全体のレベルアップもしていきたいね!」
「ちょっと田村! アタシらのレベルアップのために、この人も何らかのカタチで頼めないの!?」
「そうだねぇー。・・・・・・新井先輩、どうでしょうかねぇー?」
「いいねいいねー。今日の帰り、俺ちょっとパン屋さん寄ってみるよ。話してみるよー」
「新井君が寄ってくんじゃ、俺も寄ってみようかなぁ」
思わぬ流れになってきたことで、沖縄インターハイ出場の夢に向け、チーム全体が益々活気づいている。
休憩時間で判明したパン屋さんの経歴。これから、空手道部に何らかのかたちで関わってくれることになるのだろうか。
「(面白くなってきた! 本当に、いま、僕たちには追い風が吹いているのかもしれないな!)」
窓からそよいでくる心地良い風は、時々、強さや流れる向きを変えて武道場内を抜けてゆく。
このあとさらに三時間、形稽古に組手稽古が続き、みな最後には足腰がガタガタとなった。
それを契機に堀内がヨガストレッチやマッサージ法を部員達に教えたことで、また、新たな知識が身についたようだ。
専門的な人達に支えられ、多くのことを教わることで、チームはさらに強くなる。技量も、知識も、精神力も。そして、絆も。
明日は回復のため、みんな思いっきり休む。みっちり一日激しく稽古して、休むときは休み、遊ぶときは遊ぶ。そうすることで、気持ちのメリハリができ、リラックス効果とアドレナリンコントロールができるようになり、いざというときの集中力が逆に増す。空手だけでなく、受験勉強にも参考になる方法らしい。
「なんでもかんでも、長い時間をただ惰性でやればいいというものじゃないのよー?」
堀内は部員達にそう言って、短期集中型の稽古がより効率よくなるアドバイスをくれた。
スタミナの課題も、ヨガ呼吸法と長距離ランニングのノウハウを朝練に加えた。呼吸法の鍛錬は、地味だけど基礎体力と並んで重要なものだから、みな手を抜かずにやっている。
インターハイ予選の頃には、春季大会と比べものにならないスタミナアップの効果が現れるそうだ。きちんとやれば、の話らしいが。
新しい稽古や知識をどんどん取り入れてゆく柏沼高校空手道部。その様子を一番楽しんでいたのは、他でもない、主将の田村だった。




