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あったかもしれない歴史
現代ヨーロッパっぽいけとイギリスには王室がない、という物語を構想するにあたって、なぜこうなったのか考えてみたものです。矛盾点があればご指摘いただけると幸いです。
1605年 イングランド 王太子ヘンリー・フレデリックはチフスから回復、1625年王位に付く。一方デンマークのフレデリックは幼くして死亡する。
1648年 デンマーク 国王クリスチャン4世は三十年戦争で死亡。後継者がなく、甥にあたるイングランド王ヘンリー・フレデリックが継承。イングランド、スコットランド、ノルウェー、デンマークの環北海連合王国が成立する。首都はロンドン。
ヘンリー・フレデリックは穏健な政策でカトリック教徒と清教徒の融和に成功。勤勉と節制を旨とした内向きの国家となる。清教徒革命は起きず、王権神授説に基づく農本主義。
アイルランドはイングランドではなくフランスに接近
清教徒は弾圧されず、メイフラワー号はアメリカに向かわない。そのためイギリスの植民地は小規模にとどまり、ヌーベルフランス植民地はフランスを潤し続けた。