春よ行かないで
「今、地球職業選択会議の大会議室の扉が閉められました。これから、人類の「職業」決定の投票が行われます」
テレビのアナウンサーが淡々とした調子で話し、テレビカメラが、扉が閉まっていくシーンを大写しにしている。
地球は、ある日、神の指示によって人類全ての職業が一定の期間同じになることが決まった。
それは、神のご意志であるから、理由は問われない。もしかすると、「全ての人が同じ境遇」ということを人間に、身をもって体験させているのかも知れなかった。
「職業」決定のプロセスはこうである。
まず職業決定ための会議である「地球職業選択会議」に出席する地域の代表者が、世界中の地域で選ばれる。
その代表が集まって会議を開き、「議長」が選出される。この議長が「自分で決めた職業」を神に告げる。すると神様が、次の0時になると同時に、地球上全ての人間をその職業に変えてくださるのだ。
地球職業選択会議の代表になる者は、事前に「もし自分が選ばれたらこの職業を神にお伝えする」というような具体的なことを言ってはならない。公約の様な形で民衆に告げてはならないのだ。つまり、地域の代表になった人間が成りたいと思う職業になる。
そして、人々の心中が定期的に神様に見て取られ、現在の職業の支持率が50%を割り込むと、また会議が招集されて別の職業に変更される。
今まで、幾つもの職業が選択されてきた。そのつど、どこの地域の代表はこの職業を選ぶだろう、などと予測、憶測がなされた。
人類の職業が一つになってしまうのは、不便では無いかと思うかも知れないが、そこは神様のすることである。足りない物、必要な物は不思議と無くならないのである。
だが職業というのは好き嫌いもあるし、向き不向きもある。始めてしばらくは面白がってやっていても、そのうちに嫌な面が見えてきたり、思いのほか過酷だったという様なことが分かって、最初は高かった支持率がしばらくすると急落してしまったり、始めは不人気だったが、やってみると面白いといって、かなり長く続いた職業の時代もあった。それでも、どうも人間は、あまり長く一つのことをやっていると倦怠期のような物をむかえて、「あぁ、何か違うことをしてみたいナァ。何か面白い職業が」などと、フッと思うときが来るのである。そんなことが瞬間的に人間たちの心で重なって、「支持率50%」を下回る。そうなると、「いや、やっぱりいまのままでいい」と思ってみても間に合わず、有無を言わさず次の職業選択会議が招集されてしまうのである。ただ、そういう時は、民衆の声を取り入れて、前回と同じ職業が選択されることもある。
こうなると、次の職業は、地域の代表がどういう人物かが大きな問題であり、その代表たちの中で「選ばれる力」を持っているかが重要と言うことになる。
地球職業選択会議の議場はは荘厳な宮殿様の建物である。議場のある建物前の広場に大勢の民衆が集まり、固唾をのんで見守り、メディアが議長決定の瞬間を逃すまいとカメラを向け、レポーターも間断なく話し続けている。
「次の議長は今回もアメリカが有力です。アメリカのトランパー代表は実業家を希望するのでは無いかと予想されています」
ほかのレポーターは、
「議長選挙は、フランスのミットラン代表の選出が有力視されています。彼は、芸術に造詣が深く……」
さらにほかのレポーターは、
「今回の選挙で最も有力と思われるのは中国の……」
どのレポーターも、自国の代表の長所を挙げ有力だと後押ししている。確かに、選挙である以上は、国家間の根回しや、世界に及ぼす力、カリスマ性なども問われる。単純な人気投票ではない。
議場の建物前の広場では、民衆たちもそれぞれに意見を戦わせている。
「またアメリカの代表が議長になるのか?自分達のことしか考えない、資本主義の手先が!」
中年の男が誰にともなく叫んだ。少し酒が入っているようで、顔が赤い。
「資本主義の何が悪い。おまえだってその恩恵で生きて来たのだろう?」
別の中年男が突っかかっていく。こちらの男はしらふのようだ。こんなちょっとした言い争いを切っ掛けに波紋のように周囲に広がり、口争いから発展して手を上げる者も出てくる。方々で小競り合いになり、警官が駆け込んできて必死に群衆を押さえ込み始めた。
地球職業選択会議の議長選挙は200を越える地域の代表が集まり、代表1人につき1票の投票権を持ち、自分以外の誰か1人の候補者に必ず投票する。そして代表の1人が過半数を獲得することで選出される。
何を基準に投票するかは、それぞれの代表の考え方しだいである。それは、言って見ればポーカーゲームのようなものだ。相手の顔色を読んだり、支持したときの自国の利益なども考える。腹の探り合いだ。
1回の投票が行われ、議長が決まらなかった場合は休憩が1時間挟まれる。そしてまた投票。これが「決まるまで」続けられる。睡眠とか食事という休憩は持たれない。そのため、長時間に及んだ場合は、投票の合間の1時間休憩で各自勝手に食事を取ったり眠るなどする。そのためこの投票を「根比べ」とも呼ぶ者もいる。
議長選挙は、投票のたびにその結果がまず「過半数獲得者が出たか否か」だけが、議場建物の上についている専用煙突からの狼煙で外部に伝えられる。狼煙の色が白なら決定。黒なら未決である。
選挙が始まり何度かの投票が行われたが、いずれも黒い色の煙が煙突から噴き上がり、そのたびに、広場で見ている民衆から溜息が漏れた。メディアのレポーターもそれらの声を伝えながら、繰り返し繰り返し、なんとかこの退屈な時間を繋ごうと声を張って話した。
投票は二日目の夜に入っていた。もう、誰もが疲労の色を隠せない。代表の多くの心に「誰でもいいんじゃないか」という気持ちが湧いてきた。ろくに眠っていないから半分夢うつつの者もいた。
「それでは、投票を始めます」
選挙管理委員の声で投票が始まる。代表者が各自に配られた小さな紙の投票用紙に議長に相応しいと考える人間の名を書き、二つ折りにして投票箱の前へ歩いて行き、黒い隙間のような投票口に用紙を滑り込ませる。
投票が終わると、即座に開票が始まる。
開票担当者が箱を開け、投票用紙を一枚ずつ取り出し広げて、記入された名前を読み上げる。
議場内が少しざわつき始めた。この二日、票が割れて「議長はいつ決まるかわからない」と思われていたが、今回の投票では、途中でハッキリと傾向が見て取れた。「まさか……」という空気が流れた。「またあの国だろ?」とか「今回は、上り調子のあの国」とか、あるいは「波風を嫌って、当たり障りの無いあの国の代表に」というような、ありがちな思い込みの中で、多数の国の代表の心中に「意外な一致」が生じたようだった。
開票が終わったことが告げられた。その結果は明らかだった。そこかしこから驚きの声や落胆の声、思いもしなかったというような声が聞こえた。
選挙管理委員長が一つ咳払いをした。
「開票が終了いたしました。開票の結果、ご覧のとおり、地球職業選択会議議長は、日本代表、石井氏が選出されました」
楕円に組まれた議場の席で日本代表は青ざめた顔で立ち上がり、周囲の代表たちに会釈した。
明け方のまだ空の暗い時間だった。会議場建物の多数のライトを浴びている煙突から白い狼煙が上がった。広場が歓声に包まれた。すぐさま公式発表がされ、待ってましたとばかり各国のメディアが中継を始めた。
「地球職業選択会議の議長は、日本代表の石井氏が選出された模様です。もう一度お伝えします、日本代表の……」
今回の結果が多くの人にとって実に意外であったことは、レポーターが演技で声を上ずらせなくても、そうなってしまっているのを見れば明らかだった。
「次の我々人類の職業は、明日の午前10時に、議場建物の広場前に面したバルコニーで石井氏から発表されます」
こうなると、今度は、皆「次の職業は何か」と言うことで話題が持ちきりになった。
「日本人は何を選ぶんだ?やはりビジネスマンか?それとも学者か?……日本て、どこにあるんだっけ?」
人々が話し合うだけでは無い。各種メディアが特別番組を組み、専門家を呼ぶなどして予想をした。
ついに職業発表時間が来た。側近が言う。
「議長。お時間です」
「うむ」
石井は緊張の面持ちであった。バルコニーに向かう扉が開かれると神々しい日の光が差し込んだ。彼の表情は自信に満ちあふれたものに変わっていった。夢を見るような表情にも見えた。
ゆっくりと歩いてバルコニーに出た彼は、広場に集まる群衆に拍手と歓声で迎えられた。彼は、目の前に集まっている人々に一礼をすると、顔を前方上方に向けた。群衆は静まり、彼のことばに耳を傾ける。彼が口を開いた。
「次の、人類の職業は『高校二年生』に……」
わずかに声が震えていた。だが彼の目は一点を見つめ、その姿勢には微塵も後悔の無いのが分かった。
どこからか、
「本当にそれでよいか?」
そう聞かれた。だが石井はたじろぐこと無く今一度、
「職業は『高校二年生』」
そう答えた。
「分かった。今夜0時。間違いなく、そなたら人類を全て『高校二年生』にすると約束する」
広場の群衆は、呆気にとられた。
「職業が、高校二年生……?」
「俺たち、高校二年生!」
「永遠の高校二年生?!」
「そりゃあ、思いつかなかったなぁ」
「たのしみだぁ~!あしたから!」
大群衆の歓呼の声が湧き上がった。
「ありがとう、ニッポン!」
「J P N ! J P N !」
『高校二年生 時代』の始まりだった。