アリアロッテ魔道具店
私、アリアロッテ・ブランジュは魔術師である。
「というわけなんだ、ちょっと手伝ってくれ」
「なにが、"というわけ"なんだ。私は忙しい。余所をあたれ」
しかしながら、私はしがない魔道具店の店主でもある。
我が、アリアロッテ魔道具店は、知る人ぞ知る名店で、王都の大通りから二つほど外れた裏路地に建つ、ちょっとわかりにくくて狭い店だ。ハッキリ言って、売れてない感がひしひしと漂っている。
立地が立地ゆえに殆どの客が誰かしら知人の紹介で、新規の客は殆ど来ない――どころか、開店から四年経ったが、誰の紹介もなくこの場所にたどり着いて魔道具を買っていった客なんて、二人しかいない。
だが、こう見えても私のつくる魔道具はそんじょそこらのものとは一線を画した一級品。
それを知っている学院時代の先輩後輩教師に、家族の友人知人、あとは一度訪れた人のさらなる紹介で、結構繁盛している。
「まあそう言うな。こうして今日もわざわざお前のために王都の人気店に朝早くから並び、有名かつ高級な菓子を入手してきてやったじゃないか」
「菓子は置いていけ。だがお前は帰れ」
そういうわけで、この眼の前の毎度厄介事と菓子を手に店にやってくる男も、学院時代の先輩にあたる客だ。
まあ、当時はともかく、今となっては尊敬だとか先輩にたいする礼儀だとかそんなものは欠片もないが。
「折角やってきた客に対して失礼な態度だな」
「今日は何も買ってないだろうが」
「じゃあ買ってやるから何か見せろ。というか、何故店に何も置いていない」
そう、そうなのだ。私は店に今商品を置いていない。弁明しておくが、今は置いていないだけであり、いつもはきちんと――いや多少乱雑だが、とにかく何かしら置いている。
だが、今日は置いていない。何故か。
「それはだな、材料が少し足りなかったというか……。ちょっと、つくりたいものがあったんだが、思いの外材料と金と魔力を消費してな。あまりに実用的でない上結局材料が足りず失敗したから、今、ちょうどもろもろの消費を抑えるために構想を練りなおしていたところだ」
出来ればかなり有用なものなのだが、あと少しのところで手が届かない。
「こう、なんというか、もう少しで何か出てきそうなんだが」
半日近くノートの前で唸っているのだが、中々いい案が出てこない。
「材料が足りなくなって店のものを流用したから置いていないのか。お前、馬鹿じゃないのか?」
「失礼な。材料を消失したわけでもないし、三日もあれば全部つくり直せるんだ、問題はない」
保険はきちんとかけている。今回つくりたいものは滅多に手に入らない素材を使っているのだ。消失するようなヘマは絶対しないよう、それはもう念入りに術式をかけた。
「で、エド。お前は結局何の用で来たんだ?」
菓子を片手に持つ姿は些か間抜けだが、このエドワード・アルグレイズはこんな場所で油を売っていられるほど本来暇ではない。
エドは近衛騎士団に所属するれっきとした騎士だ。次期国王として国民の期待も高い第一王子の近衛騎士をしており、剣の腕前は国内で五指に入るとかで、それなりに名も知れている。
休みならともかく、騎士服を着ているということはエドは今仕事中だろう。何故私の店に、それも菓子まで持ってきているのだ。
「お前に仕事を手伝わせるためだ。最初に言っただろう」
「言っていないな。というわけなんだ、ちょっと手伝ってくれ、とは言われたが」
「細かいな。まあいい。とにかく、手伝え」
エドが私の目の前で菓子を左右にゆっくり振りながら言った。手伝うと言えばきっとこれをくれるのだろう。
だが、エドが騎士服で来ている以上、そう簡単に頷くわけにはいかない。頷いたが最後、絶対に王宮の陰謀や貴族のいざこざに首を突っ込まされてしまう。いや、まあ、いつも結局誘惑に負けて頷いているのだが。しかし内容も知らずに頷くのは流石に駄目だろう。
「何を手伝わせたい。あと、報酬は当然出るんだろうな?」
「ああ、出るぞ。で、内容だが、術の解析を頼みたい」
「呪術か?」
エドは無言で肩をすくめる。肯定か。
「なるほど」
呪術の解析ならもう何度かエドに頼まれてやったことがある。
呪術とは文字通り人や物を呪うための術だが、魔術との明確な線引はない。もっと言うと、呪術とは魔術の一種に他ならない。魔術の中で、呪いと呼ぶに相応しい効果を持つものを呪術と呼んでいる。
魔術とは、魔力と魔術言語、もしくは魔法陣、またはその両方を用いて何かしらの現象を起こす術である。魔術の一種である呪術もそれは変わらない。
そして、魔道具とは道具自体や素材に魔術言語や魔法陣の描かれたものを指す。その用途、使用方法、つくり方は多岐に渡り、細かく分けることは難しい。そして、これが一番重要なことだが、魔道具に描く術式は普通の魔術よりずっと複雑だ
つまり、私が何が言いたいのかというと、私は普通の魔術師よりも魔術言語や魔法陣に詳しい。
だから、いつもエドは私にこの仕事を頼みにくるのだ。
「で?」
私は菓子から視線を外し、エドの目を強く見据える。
エドはいつも、解析を頼む際、開口一番にそれを口にする。なのに、今日はそうではなかった。まだ何かあるのだろう。
「…………はぁ」
しばらくの沈黙の後、エドは重い溜息をこぼした。手に持った菓子を投げて寄越す。
「解呪までやってくれ。あと、国家機密に関わることになる」
「ついでのように言うことじゃないな、国家機密とは」
包装を解くと、中には王都一人気の超有名菓子店のクッキー詰め合わせが入っていた。売り切れ必至の人気商品だ。朝から並んでも中々手に入らない品だと聞いたが、運が良かったのか、それともコネか。
「まあいいだろう。そのかわり、報酬はきっちり納得の行くものを出してもらう。いつも通り、現物でな」
ありがたいことに金には困っていないのだ。それよりも、貴重な素材が欲しい。
「わかっている」
「よし、では準備してくるからちょっと待っていろ」
「ああ」
開いていたノートを閉じて、一度居住区になっている奥に引っ込む。準備といっても、護身用の仕込み杖と外出時の必需品である認識阻害の効果があるローブを持つくらいだが。
用意を終え、店のドアから外へ出る。忘れずに臨時休業の札も下げた。アリアロッテ魔道具店にはよくあることだ。きっと店に訪れる客ももう慣れているだろう。
先を歩くエドの後を追って表通りへ出る。
いつも通り用意されている馬車に乗り込んで、私とエドは王宮まで向かった。
◆◆◆◆◆
赤い絨毯の引かれたきらびやかな廊下を、エドワードは慣れた様子で歩いて行く。
これまで幾人もの人とすれ違ったが、皆エドを見、その後ろを付いていく私を見、またエドを見て怪訝な顔をした。
当然だろう。今の私は私の肩ほどまである長い杖を持ち、裾を引きずるほど長いローブを身につけ、フードで顔を隠した、どこからどう見ても不審者にしか見えない出で立ちだ。そんな人物が第一王子の近衛騎士であるエドに連れられて、王宮の最奥、王族の居住区に足を踏み入れていれば、怪訝にも思うだろう。
流石に、ここまで連れて来られたことはこれまで一度もなかった。いつもは外れの方にある研究棟というかなり怪しげで危険な場所に連れて行かれる。
どうやら、今回はかなり事情が違うようだ。
エドは解呪も頼みたいと言っていた。ということは、これから呪術をかけられた人のところにでも行くのだろうか。王族の居住区に、呪術をかけられた人が、な。
「ここだ。中ではフードは外せ」
「わざわざ言わずとも、私だってそこまで失礼なことはしない」
「ならいい」
コンコン、とノックをし、エドが中に声をかける。話が通っていたのだろう、私たちはすぐに中に通された。
「連れて参りました、殿下」
エドがソファーに座る少年に言う。口調こそ丁寧だが、殿下、と呼んでいるわりにどことなく言い方がぞんざいだ。よく首にされないものである。
中に居るのは私たちを除いて六人。エド曰くの殿下と、その護衛の騎士らしき者が二人、侍女が二人、後一人は文官だ。それも見知った顔である。確か、今は宰相補佐をしているとか。中々出世したものだ。
さて、それで。私は一体どのタイミングでフードを外せばいいのだろうか。
六人はチラ、と一度私に視線を寄越しただけで、沈黙を保っている。
勝手に外して勝手に喋れと、そういうことだろうか。
「……こういっては失礼ですが、信用出来るのですか?」
口を開いたのは護衛の一人。私より二つ三つ年下だろう。見覚えはないが、もしかすると後輩かもしれない。因みに、私は十九だ。
「ああ。あと、アリア、フードを外せ。それからこの場では好きに喋っていい」
「そういうのは先に言っておけ」
言われた通りフードを外す。
認識阻害の効果があるこのローブは、フードまで被ると全ての人から、フードを外すと私のことを一定以上知り好意的に見ている人物以外から、私が誰だか認識させなくする事が出来る。しかし、誰だかわからないだけで見えてはいるし、当然ローブを着るところを見られれば術式は無効になるので、実は普通の認識阻害のローブとしては失敗作だ。
では、何故私がこのローブを愛用しているのか、というと。このローブには、一定以上私に悪意や害意、負の感情を持っていると、存在すら認識できないようなほぼ完璧な認識阻害がかかり、さらに、無意識に私のことを避ける効果がある。効果は半径百メートルほどで、具体的な行動としては、私が通っている道を避けるようにいつもと違うルートを通ったり、別の人に頼んだり、などなど。ただ、どうしても避けられない用事や仕事の場合には効果はない。
我ながらとんでもないものをつくってしまったものだ。他にも、完全に誰からも認識されなくなるものや、逆に着ているだけで存在感が増すものなどもある。後者はともかく、前者は犯罪行為に使われては困るので、本当に信用できる一握りの人間に、本当に必要としている時に貸すだけで、販売はしていない。他にもそういう商品は多い。ただ、エドには実験台になってもらう代わりにそういったものも結構渡しているが。
「ああ、誰かと思ったら……。そうか、じゃあ君が解析と解呪をするのか」
この場で私と面識があるのはエドと、宰相補佐であり学院の同窓生である、レヴァン・オルベージュだけだ。
「一応、そういうつもりで来た。とりあえず、呪術をかけられた人に会わせてくれないか?」
他の、殿下や騎士、侍女はまだ私を信用していないようだが、ローブまで脱ぐ気はない。王宮で働く嫌味な宮廷魔術師連中に捕まっては面倒なのだ。出来れば用事はさっさと済ませて帰りたい。
「聞いていると思うけど、これから見聞きすることは他言無用で頼むよ、ブランジュ。それじゃあ、アルグレイズ騎士殿、後は頼みます。私は仕事に戻らなければいけませんので」
「忙しい時に悪いな。宰相閣下によろしく伝えておいてくれ」
「はい。それでは失礼します」
忙しい中わざわざ時間を割いていたようで、オルベージュは急ぎ足で部屋を出て行った。
「忙しいのなら何故ここに?」
「お前が信用出来る人物であるか確かめるためだ」
「ほう。それは悪いことをした。後日何かつくって渡しておこう」
ちょうどいい。今つくりかけのものが完成したら、実験ついでに渡すことにしよう。そのためにも、この依頼をさっさと終わらせるべきだな。
「で、確認出来たのならさっさと案内しろ」
「はいはい。忙しいんだろう? 付いて来い」
エドは部屋の奥、寝室に通じているだろう扉へと進む。
オルベージュが認めたこととエドが居るからか、エドに続き奥へ向かっても、五人は不信感に溢れる目を向けはすれど、文句を言うことはなかった。
◆◆◆◆◆
一人の少年がベッドの上に横たわっていた。
色のない、美しい顔の少年。ともすれば、人形のようにも見える。それほどまでに美しく、そして生気がない。
「――第三王子殿下だ。一週間前からこの状態で、宮廷魔術師長に見せたが解呪どころか解析すらままならなかった」
無言でベッドへ近づく。
血の気の失せた真っ白い顔はまるで死んでいるようだ。だが、微かに胸は上下に動いている。まだ、生きている。
「エドに言っても仕方がないことはわかってるが、殿下が苦しんでいるというのに随分と悠長に構えていたのだな。――もっと早く呼ぶべきだっただろう」
エドに非がないことはわかっているが、ついつい悪態が口をついた。
エドの判断だけで私を連れて来るには王子は身分が高過ぎる。許可を取るにもきっと苦労しただろう。むしろ、私のせいで中々許可が取れなかったのかもしれない。
私は過去何度も、国の宮廷魔術師にならないか、と勧誘を受けている。それも国王直々に言われたこともあった。宮廷魔術師が駄目だとわかると、国の研究機関でもいいと言われた。好きなことを好きなだけ研究すればいい、金や素材の心配もいらないと。それでも、私は断った。終いには勧誘が面倒になって、家を出て裏路地にひっそりと店を構え引きこもった。
宮廷魔術師たちは激怒したことだろう。自分の職に誇りを持って仕事を全うしてきた彼らには、私の態度は大層腹立たしいに違いない。国王直々の勧誘を断り何をするのかと思えば魔道具屋だ。更に言うならば、私の店は最悪な立地にありながら、繁盛している。それも客は王宮でも優秀だと名高い者たちばかり。宮廷魔術師の全てがそうだというわけではないが、一部が私によくない感情を抱いているのは事実だ。特に、宮廷魔術師長は。
宮廷魔術師だけではない。騎士や大臣、文官、侍女の中にもそういう者はいる。国に従わず隠れて怪しげな研究をしている危険分子、そのように思われているのだ。
第三王子は生きている。まだ、生きている。だが、後三日もすれば確実に死に至るだろう。
「……そんなに危険な状態なのか?」
見た限り顔色が白く生気はないが、痩せこけているわけでも苦しんでいるわけでもない。死人には見えても死ぬ一歩手前には見えないのだ。エドは驚いたように目を見張っていた。だが、私の次の言葉で、その顔が凍りつく。
「三日で死ぬ」
第三王子の手を握り、慎重に魔力の残滓を辿っていく。第三王子に術をかけたものは余程呪術に長けているのだろう、中々術式が見つからない。
集中を始めた私の邪魔をしないためか、単に衝撃的な事実を前にして声が出ないのか、エドは黙って私の作業を見守る。
それから、どのくらい経っただろうか。実際の時間は恐らく数分だろうが、体感では一時間にも二時間にも感じる。そしてようやく、目当ての物を探し当てた。
「見つけた」
ゆっくり、見つけた術式をなぞっていく。
「生気を……糧? 養分か……? 生命力を吸収する術式なのか? あとは、魔力、水……食べる、死、十日、あー、これは……花が、咲く?」
読み取りながら、丁寧に術式を表面に浮かせ王子の体の上で固定化する。
「見たことがない術式だな。残りは防御と反撃、探知系か」
この状態から無理に呪術の術式を引き剥がそうとすると、王子もその場にいるものも無事では済まないだろう。探知は、この術式を解こうとするものを探知するためのものだ。だがついで程度に入れただけだろう、大した効果はない。これならすぐに無効化出来る。
だがその前に。
「エド、出て行け。暴走すると危険な術式がかなり盛り込んである。そこに居られると集中出来ない」
呪術部分はともかく、術式の大部分を占める防御反撃探知系は全て見覚えもあり対処も問題なく出来るが、念のため出て行ってもらった方がいい。余計なプレッシャーを背負いたくはないのだ。
「わかった。気をつけろよ。後を頼む」
「ああ。三日経って出てこなかったら部屋に入って来い」
「……そうならないことを祈っておく」
エドはそう言って、そっと部屋を出て行った。
「さて、では始めようか」
エドにはああ言ったが、死ぬ気も死なせる気も毛頭ない。他とは一線を画した一級品の魔道具をつくる魔道具職人の技量、存分に振るわせてもらおう。呪術程度、今つくっているものに比べれば何のことはないのだ。
◆◆◆◆◆
アリアロッテが第三王子にかけられた呪術を解呪している一方、寝室から追い出されたエドワードは、リビングで第三王子の護衛たちに状況の説明をしていた。
「詳しい術の内容はわかっていないが、かなり危険な状態らしい。――邪魔になるから絶対に中に入ろうとはするなよ」
話を聞いて中に飛び込もうとしていた騎士たちを、鋭い視線で制す。
エドワードは第一王子の近衛騎士をしている。それでいて、国でも五指に入る剣の実力を持ち、さらには次男とはいえ侯爵家の出身と地位も高い。
エドワードに鋭い視線を向けられた騎士たちは、すごすごと元いた場所へと戻った。
しかし、自らが仕える王子の生死が得体の知れない人物に任されているという状況に納得がいっていないのだろう。険しい、苛立った顔で、護衛の一人が言う。
「本当に、あのローブの人物は信用出来るのですか?」
いかに尊敬するエドワードや、若くして宰相補佐にまで上り詰めた秀才レヴァン・オルベージュが、信用出来る人物だ、と言っても、どこの誰ともわからない、態度もあまりよくない人物を信用することは出来なかった。
エドワードは疲れたように嘆息した。いつものことだ。店にいる時以外は認識阻害効果のあるフード付きのローブを羽織り、肩ほどまである長い杖を持った怪しい風貌のアリアロッテは、どこに行っても警戒されていた。本人も生活がしづらい様子で、そのこともあり店に引きこもりがちだ。
それでもローブが手放せないのは、怪しい奴であると思われるより、アリアロッテ・ブランジュであると知られる方が余程面倒なことになるからだ。
「お言葉ですが、私にはあのような人物が信用できるとは到底思えません。宮廷魔術師たちが解析すら出来なかった術式なのですよ!?」
「お前がどう思おうが、第一王子殿下にも国王陛下にも許可は頂いている。お前は俺やオルベージュだけでなく、第一王子殿下や国王陛下まで信用出来ないというのか?」
出来ない、などと言えるはずもない。
「その様なことは……」
護衛の騎士は悔しげに唇を噛んだ。
口を噤んだ護衛の騎士の代わりに、今度はソファーに座る少年が口を開く。ただ、内容は護衛の騎士とは大きく違う。
「叔父上、セルディにかけられた術は、ちゃんと解けるのですよね?」
不安と確かな信頼を滲ませ、自らに言い聞かせるように、少年はエドワードに尋ねる。
少年――エドワードの甥であるエルクライド・アルグレイズは、呪術をかけられ今まさにアリアロッテに解呪されているセルディウス第三王子の代役を務めていた。
第三王子に呪術がかけられたと知られては、色々と困るのだ。だから、国は代役をたてることにした。
元々第三王子はあまり活発でなく、部屋に引きこもりがちで、顔は知られていない。逆にエルクライドは活発すぎるほど活発だが、社交界に行くくらいなら下町に遊びに行くというような活発さで、やはりこちらも貴族や王宮で働くような身分のものには顔は知られていない。
どちらも顔はあまり知られておらず、背格好も似ている。アルグレイズ侯爵家は国王の信頼も篤く、その侯爵家の次期当主子息であるエルクライドは第三王子との仲が良い。
そういう事情で、エルクライドは代役を務めることとなったのだった。
その、エルクライドの言葉に、エドワードは確信を持って頷く。
「ああ。所詮、あれは人がかけた術だ。アリアに解けないわけがない」
三日経って出てこなければ、などとアリアロッテは言っていたが、エドワードはそんなことになるなどとは微塵も思っていない。多少の時間はかかるだろうが、必ず解呪するだろう。少なくともエドワードの見てきたアリアロッテ・ブランジュとはそれだけの実力を持っている。エドワードは、この世にアリアロッテよりも優れた魔術師など存在しないと、本気で信じていた。
だがそれは、あながち間違いでもない。
ただ、一つ、エドワードもエルクライドも、大いなる勘違いをしていた。
術を解くことが出来たとして、それまでに起きた変化は――?
今はまだ、この場の誰にもそれはわからない。
丸一日後、引きつった顔でアリアロッテが出てくるまでは。
◆◆◆◆◆
私は第三王子の寝室で眩しい朝日を浴びながら、地面に手をついてうなだれていた。
呪術は、解けた。第三王子の命も、無事だ。我ながら惚れ惚れするほどの手腕であったと思う。
だが、問題が残ってしまった。弁明しておくが、決して私の実力不足ではない。ただ、遅すぎたのだ。私が手を付けた時には、既に手遅れだった。
何も知らず眠る第三王子の魔力の流れを辿る。
「さて、これは、どうするべきか……」
命に別条はない。今後も、ある意味では、普通に、今まで通りに生活出来るだろう。体調は万全なのだから。しかし、ある意味では、の話。実際にはこれまで通りとはいかないだろう。周りがきっとそうさせてはくれない。
頭を振りため息をつく。
意を決して、第三王子から視線を外し、最初に通された部屋へと続く扉に手をかける。
ありのままを話すしかない。首を刎ねられることはない、と思いたいが、事が事だけに、微妙なところだ。
「エド」
扉を開き、エドを呼ぶ。
何人か人が増えているようであるし、皆何かを聞きたそうにしているが、そんなことを気にかけている余裕はない。全て無視し、エドを手招いた。
「アリア、どうした?」
「早急に国王陛下を呼んで欲しい。重大なお話がある」
エドが誰かに目配せすると、すぐさま部屋を出ていく。国王を呼びに行ってくれたのだろう。エドが頼んだということはそれなりに信用の出来る相手のようだし、任せてよさそうだ。
「まさか第三王子殿下に何かあったのではなかろうな、貴様!」
今までのやりとりを見て、恐らく第三王子の護衛だろう若い騎士が吠える。別の騎士に羽交い締めにされているので吠えるだけだが、もし身体が自由だったならば、確実に私に掴みかかっていただろう。
「黙れ小僧」
私が口を開く前に、エドが低く鋭い声で言った。たった一言だが、それだけで部屋の中が静かになる。
重たい空気の中、皆の視線が私に向かう。第三王子は随分慕われているようだ。
だが。
「私から言うことは何もない」
私は視線を逸らすことなく言う。全ては国王に話をしてからだ。今、彼らに何かを言うわけにはいかない。
ほどなく、重苦しい空気の漂う部屋に、国王がやって来た。随分と急いだようで、息を荒げ、額に薄っすらと汗が浮いている。
「話があると、聞いてきたが…………。まさか――」
部屋の空気から何かを感じ取ったらしい国王の顔から血の気が引く。
恐らく、国王も他の皆も第三王子は亡くなった、と勘違いしているのだろう。別にそういうつもりだったわけではないが、しかし真実を今ここで告げるわけにはいかない。
「陛下、お話は中で」
暗い顔をした国王をエドが半ば引きずって連れて来る。
「護衛の方は外でお待ちください」
エドと国王だけを引っ張りこんで、返事を聞かずに扉を閉める。閉めた後は開かないように念入りに魔術を施し、さらに防音の結界も部屋全体に張る。
「おい、何のつもりだエドワード。それに、君はアリアロッテ嬢か。そうか、アリアロッテ嬢が解呪を行うと言っていたな。それで、第三王子は、セルディウスは無事なのか?」
「少し落ち着いて下さい、陛下。第三王子、殿下の命に別条はありません。詳しいお話をします。とりあえず座りましょう」
急かすように問いかける国王を引きずり、窘めながら、ベッドサイドの椅子に座らせる。自分は反対側に椅子を持ってきて座り、エドは座ることはせず私の横に立ったまま第三王子の顔を覗き込んだ。
「確かに、顔色は随分とよくなったな」
「ああ、まあ」
真っ白だった顔には今は血の気が戻り、頬が薄っすらと赤く色づいている。人形のようだった昨日とは全く違う。
「……眠っているだけのようだな。いつ頃起きるのだ?」
父として心配なのだろう。顔を見てホッと息を吐いた国王が第三王子の頭を撫でる。
「魔術で眠らせているだけですので、起こそうと思えばいつでも。少し体力は落ちているでしょうが、起きてすぐに今まで通り動くことが出来ると思います」
「そうか」
国王はしばし目を閉じて黙考する。
「して、話とは、何だ?」
ジッと私を見る目には、嘘や誤魔化し許さない強い色が宿っている。
もとより、嘘を吐く気も、誤魔化す気もない。私は、ありのまま、第三王子の身に起きたこと、そして今の彼の状態を、国王に語った。
◆◆◆◆◆
アリアロッテ魔道具店は今日も忙しい。
「ルディ、コレとコレ、あとソレも商品棚に並べておいてくれ」
「はい」
今は先日崩した店の品々各種を作り直しているところだ。
「ルディ、それが終わったら店番を頼む。倉庫に材料を取りに行ってくる」
リストを片手に商品の陳列に悪戦苦闘しているルディに声を掛け、なくなった材料を補充するため倉庫へ向かう。
ルディはつい最近私の元へやって来た、私の弟子兼助手だ。
まだ不慣れなルディに店番を任せきりにするわけにはいかないし、さっさと済ませてしまおう。幸い、作り直しはもうほとんど終わっているので材料の補充はこれで最後だ。
必要な材料を取り出し手狭な倉庫を後にする。
「重たそうだな。持とうか?」
聞き覚えのある声が耳に届いた。
「ああ、ぜひ」
言いながら手に持った荷物を押し付ける。別にそう重たくもないが、持ってくれるというのなら持ってもらおう。
「全部持たせるのか?」
「嫌なら別にいいが」
「いや、構わん。一昨日は迷惑をかけたしな」
荷物を持って元きた道を戻っていく奴の背を追う。
「安心しろ、今回のことに関してはあまり迷惑だと思っていない。むしろいい助手を貰って助かってるよ」
「ならいいが……、何かあればすぐに連絡しろ」
「わかっている」
報酬を貰った上優秀な助手を紹介してもらったのだ、こちらの損失は多少名誉と信頼が損なわれた程度であるし、むしろ感謝してもいいくらいではないだろうか。この程度のことで損なわれる信用も信頼も元から必要としてはいないのだから。
「で、お前は何故勝手にこちらに入り込んでいたんだ、エド」
押し付けられた荷物を私が指定した場所に置き、何食わぬ顔でカウンターから店内へと出て行くエドに問う。さっきは荷物を押し付けるために見逃したが、いくら知らぬ仲ではない常連だとはいえ、家主の許可無く居住区に入り込むのは如何なものだろうか。
「店を開けたまま徐ろにキッチンで研究を始めるような奴を待つ気にならなかったからだ」
エドは呆れたように言った。
「なるほど。ルディ、茶を二人分淹れてきてくれないか」
いつも通りカウンターの上に置かれた高級菓子の包みを開け、商品の陳列を終え突然のエドの訪問にオロオロしているルディにお茶の用意を頼む。
今日の菓子は第一王子イチオシの人気店で幻とまで言われている絶品マドレーヌだ。いつも買ってくるより明らかに量が多い。ルディにも食わせるためか。
順応性が高いのかにこやかな笑みを浮かべキッチンへ向かうルディを見送り、マドレーヌを一つつまむ。流石甘党の第一王子イチオシ店だけあってそんじょそこらの菓子屋では到底太刀打ち出来ない美味さだ。きっと値段もそんじょそこらの菓子屋では太刀打ち出来ないほど高いのだろう。
「単純な疑問なんだが、お前、高給取りかつ金の使い道がほぼないとはいえ、よく私にこれだけ貢げるな。周りから何か言われたりしないのか?」
最高でエドの給金ほぼ一月分、安いものでも一月分の食費くらいはかかる。それを月に何度も持ってくることもあるのだ。自分で食べるのならそれもいいのだろうが、対外的にはたかだか学生時代の後輩で贔屓にしている店の店主であるだけの私にここまで金をかけていると知れば周囲は黙っていないだろう。というか、相手が誰であろうと女に貢いでいるというだけで既に問題がある。
隠しているというわけではないようだが、幸い世間一般ではエドは甘党だと思われている。しかしそれは世間一般の話であり家族や同僚はそれが事実ではない事を知っている。では何故エドがこのように菓子に金をかけているのか、と考えた時、具体的に誰とはわからないだろうが大体の人が女の存在を疑うのではないだろうか。
もう一度言うが、隠しているわけではないのだ。貢いでいる相手が私だと知るのもそう難しくはない。
「得体の知れない魔術師に貢いでるというのは近衛騎士としての印象的にもあまりよくないんじゃないか? まあ美味いから、くれるというならありがたく頂いておくが」
二つ目のマドレーヌは我慢して、箱を閉じる。開けているとつい手が出てしまいそうだ。
エドを窺うと、呆れたような困っているような微妙な顔で私を見ていた。
「確かに傍から見れば貢いでいるようにしか見えないんだろうな。度々忠告は受ける」
吐き捨てるような言い方だ。度々受けるという忠告を迷惑に思っているのかもしれない。
「だが、俺がお前に押し付けられた試作品という名の貴重品に比べれば菓子の一つや二つ程度安いものだ。何なんだ、アレらは。素材からしてまずおかしいだろう。龍の逆鱗だのユニコーンの角だの妖精の涙だの……。素材の値段だけで国庫一年分は余裕じゃないか!」
渡した数々の試作品を思い出しているのか、エドの顔がどんどん引きつっていく。終いには頭を抱えてうずくまってしまった。
「それに加えて見たことも聞いたこともないような複雑かつ難解な魔術付与だ。魔道具自体の性能や効果も革新的で画期的で便利なものばかり。俺の給金なぞはした金にもならんな」
「気にするな。そういう渡した物の中でも貴重過ぎるものの大半は処分するのが勿体無くてお前に押し付けただけのものだ」
「今すぐ返品させろ」
「拒否する。うちは返品は受け付けていない」
「……はぁ」
余程扱いに困っているのだろう。エドの口から重たい溜息が零れた。
だが私はエドに試作品を押し付けることを止めはしない。信用でき、それなりに渡したものを扱え、しっかりと的確な意見を言ってくれる人など早々いないのだ。そんな貴重な人物を逃がす訳にはいかない。
「まあ、そんなわけでこれがこの間苦戦していた物の試作品だ」
カウンターの下から取り出したのは一振りの剣。鞘も柄も特にこれといった装飾はなく、一見何の変哲もないただの剣にしか見えない。実際、鞘と柄は本当に何の変哲もないものだ。
「今度は何だ?」
エドは静かに立ち上がり差し出した剣を手に取る。結局、なんだかんだエドも私が作ったものに興味があるのだ。だから頼めば断らない。
「付与と錬金を駆使して作った人工鉱石だ。流石にオリハルコンには遠く及ばないが、ミスリルよりは強い、はず。ある程度の強度と魔力の通しやすさは保証する」
「ミスリルより強ければ十分だろう」
エドは剣を引き抜き軽く振るった。透明感のある青い剣身が綺麗な弧を描く。
「相変わらずいいものを作る……」
「当然だ」
鉱石の作成から成形まで全て私が手ずからエドに合わせ作った剣なのだ。おかしなものが出来ては困る。
しかし、我ながら美しい剣を作ったものだ。
「ふむ、素晴らしい出来だ。――素晴らしい出来、なんだが……、エド」
楽しそうに滑らかな動きでクルクルと剣を振り回すエドの気を引く。
「店内で剣を振るのはそろそろやめてくれないか。物が壊れる」
私は綺麗にパックリと一筋の切れ込みが入ったカウンターを指す。あれほど振り回していてこの程度の被害にとどまる辺り流石としか言い様がないが、出来れば店は壊さないで欲しかったと思う。
「ああ、すまん。そんなことより、この剣、付与はされていないようだが?」
人の店を壊しておいてそんなこととは随分な言い草だ。まあ大した傷でもなくすぐに直せるものなので私も実のところそこまで気にはしていないが。というか、それを知っているから気にせず振っていたのだろう。
「まだ試作段階だからな。使ってみて気に入るようだったら付与を施したものを作り直すが……」
まずは剣自体の性能を見極めなければならないために今回付与は施していないが、性能を見極めた上で希望するのなら付与を施したものを新たに作成する予定だ。
「作り直すのか? もったいないな」
「細かい付与を施すためには素材の段階から色々と手を加える必要があるんだよ。特にお前に作っているものは細かすぎてウチ以外じゃまず無理だな」
「だろうな」
「だがまあ、コレはある程度量産することを目的とした品だからな、お前が今使っているのより劣るだろう」
今腰から下げているのはエドの剣として素材から厳選した逸品だ。量産目的の品とはまるで出来が違う。
「……武器の性能が良すぎて腕が鈍りそうだ」
エドは剣を鞘に収め、小さく肩をすくめた。
その、性能の良すぎる武器を十全に使いこなしているうちはエドの腕が鈍ることはないだろう。むしろ、扱いの難しい武器ばかり試させているせいで腕が上がっているような気がする。
――と、丁度説明を終え一段落ついたところでお茶を淹れに行っていたルディが戻ってきた。
「アリアさん、お茶入りましたよ」
ルディは丁寧に二つのカップと皿をカウンターに置く。
エドは甘いモノが嫌いだというわけではないが、好んで食べることもない。いつも私が一人で菓子を食べ茶を飲むのを眺めている。故に、今、カウンターには三つではなく二つのカップが置かれている。一つはいつも通り私の分。そしてもう一つはルディの分だ。
「さあ、ルディ、休憩にしよう」
「えっと……」
「エドのことは気にするな。いつものことだ」
カウンターの下から折りたたみ式のイスを取り出しルディに座らせる。
「それより、お茶と菓子をいただくといい。それとも、ルディは甘いモノは好かないか?」
「そんなことは。……それでは、いただきます」
エドに遠慮してかおずおずと手を伸ばしたルディは、マドレーヌを一口食べてを口元を綻ばせた。
「美味しいです!」
「そうだろう。コイツはよく高級菓子を手土産に面倒を持ってくるから、これからも色々な物が食べれるぞ。遠慮無く食べろ」
ルディは目を輝かせしきりに頷いた。きっと甘いモノが好きなのだろう。嬉しそうにマドレーヌをモゴモゴと口に詰めている。
「一時はどうなることかと思ったが、案外上手くいきそうだな」
エドがルディに聞こえないよう小声で言った。私もエドに合わせ小さな声で返す。
「ルディは素直だからな。頭もいい。私も教えがいがあって楽しいよ」
「楽しそうで何よりだが、あまりやり過ぎるなよ。お前のようなのが増えたら困る」
「失礼な。これでも国内随一の魔術師と自負しているが?」
「優秀なのはいいが趣味に走りすぎだ。せめて貴重品の量産はやめてくれ」
「……善処する」
呆れるエドの眼差しには気付かないふりをして、私は二つ目のマドレーヌを口に放り込む。
これから色々と忙しくなりそうだ。平和な日常もいいが、偶には彼らと刺激的な非日常を過ごすのも悪く無いか。
幸せそうにマドレーヌを頬張るルディと、腹いせのつもりか珍しくマドレーヌに手を伸ばすエドを見て、私はそっと口元を綻ばせたのだった。