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モネの薔薇  作者: 葦考
4/6

4."セックス・ワーカー"(2)


「こんにちはー」


 マルセルがいつものように浮足立ちながら入店してきた。エマは空席を確認すると、手を挙げて〈こっち〉と合図してから、客を数えるボードに ”2”と書き足した。

 ふと顔を上げると、シリルの後について、見たことのない小柄な男がいる。軍服は着ていないようでここの客にしてはひと際若く、エマよりは少しだけ年上のように見えた。二人が連れて来たようだったので、ボードの数字を “3”と訂正してから、3人分のグラスを運ぶ。


 エマはグラスを置きながらその男を見た。初めての場所にきょろきょろと辺りを見渡しながら席に着くその客を、仔犬みたい、と思った。


「エマ、紹介するよ。こいつはルイ。まだガキんちょだからジュースを入れてやってくれ。おいルイ、エマだよ。あそこにいる店主の娘さんで、ここを手伝ってるんだ」


 マルセルの紹介で、ルイは自分をまじまじと見ている少女に気が付くと、二人の視線がばちっと合った。エマにじっと見られているルイは、一瞬硬直すると、思い出したかのようにマルセルに視線を移した。


「おい! ガキじゃねえよ。もう酒も飲める」

 そう言いながら、マルセルを睨んだ。


「15はまだガキんちょだ。いいのか? 酒飲むと、身長が伸びなくなるらしいぞ」

 にやりと笑みを浮かべて挑発するシリルに、仔犬が威嚇するような顔を向けている。

 間もなく、観念したようなため息をついた。


「……モネ…ド」

 ルイが口をもごつかせながら何かを言ったので、聞き取れなかった三人は耳を傾けた。


『モネ…?』


「……レモネード! 」


 マルセルとシリルが笑いを堪えている。エマもくすくす笑いながら、酒とレモネードを取りに行った。



 ルイはカウンターに行ったエマを睨みながら、その横にいる男たちの群れを見た。時々、その群からわあっと声が上がったり口笛が鳴らされたりしていて、群れの視線が一人の女に向けられていることに気が付いた。


「なあ、あの(ヒト)、何してんだ」

 ルイは怪訝そうな目を、頭だけ見える “ショーウィンドウの女”に向けながらマルセルに尋ねた。

 その時、群れの隙間から男たちを挑発するように誘う下着同然の姿が見えたので、ルイは反射的に視線を反らした。


「あー、言ってなかったけど、この店ね……」



 マルセルに耳打ちされたルイは、次第にその耳を赤らめていく。


「なっ……!」


「お前はまだ子供だからだめだぞー。ここは大人が楽しむ場所だ」


「だっ、誰がっ……! 病気もらっても知らねーからな!」


「お前にはそのままでいて欲しい。なあシリル」

「ああ」


 ルイを挟むように座っている二人が、両側からその肩を叩いてなだめた。

 その時、酒とレモネードを持って来たエマが、怒ったような声を上げた。


「病気なんてないよ! みんなちゃんと検査してるもん!」


 そう言い放ったエマに、三人は思わずぎょっとした。

 魚のように口をぱくぱくさせていたルイが、マルセルとシリルに軽蔑の目を送り始める。


「お前ら、こんなガキにまで、そんなこと……やらせる店に来てたのかよ!」

 

 ルイが何を考えているのか、二人には分かった。

 マルセルが焦ったように、自らを釈明する。


「ルイ、変な言い方はよしてくれ! エマはウェイトレスしかやってないからな! なあ、エマ!?」


 そう言われたエマは少しムッとしたような顔で反論した。


「私だってウェイトレス以外のことしてるもん。マルセルには、特別にしてあげたでしょ?」


「マルセル、お前っ……」


「なっ、何をだ!? エマ!? 誤解を生むような言い方やめてくれ!……なっ、シリル(おまえ)もそんな目で見るなよ! 」


「何慌ててるの……。この前マルセルにパパのご飯持って行ってあげただけじゃない。あっ、内緒だったの?」



「「「……」」」




「?? ポールさん、次ですよ。はい鍵、203号室です。はーい!いま行きまーす!」


 エマは淡々と自分の仕事をこなしている。

 冷汗をかいた男たちは取り繕うようにグラスの酒やレモネードを飲み進めた。





*    *    *





「エマ」


 トマがカウンターに来たエマを呼び止めた。そろそろ日も暮れてしばらく経つ時間で、客足によっては手伝いの上がりを促すことがある。エマはさっき受けた注文の酒だけ運んでおこうと、つま先立ちで酒瓶に手を伸ばした。


「ソフィを呼んで来てくれるかい?」


「ソフィ?」


 エマが不安定に酒瓶を取ろうとしていたのを制して、トマが代わりに瓶を取る。


「彼女に電話が来てるんだ」


 この店に勤める“ショーウィンドウ”の休憩は基本的に本人たちに任せてある。今日の”ショーウィンドウの女”はソフィで、彼女はさっき休憩を取ったばかりであった。ソフィに群がる男たちを少し不憫に思いながら、エマは彼女を呼びに行った。





*    *    *





 しばらく家主が戻らないショーウィンドウを眺めてから、シリルはマルセルに目配せをしてルイを見た。

 隣席の客からもらった新聞に載っている数字のパズルを(うな)りながら解いている。


 精神的にも、体格的にもまだ大人になりきれていないこの少年を<『キャンディー(ここ)・ハウス』>に連れて来たのは、彼の好奇心に負けたからではない。自分たちがその横顔に、今では手の届かない懐かしさとある種の罪悪感を感じているからであった。だからと言って、この無垢な少年をこのままここにいさせるわけにもいかないのだ。

 

 目配せされて気づいたマルセルは、咳払いをしながらルイが解いているパズルを覗き込んだ。


「あー……、それ、面白いかい?」


「ああ、俺、こういうの好きなんだ。意外と」


 その割には進んでないな、という言葉を飲み込んで、マルセルは「へー」とだけ言ってシリルを見た。

 シリルは目を細めて「もう一度」と促すようにあごを振っている。


「あー……、


 そこ3じゃない?」


「……ほんとだ」


「へぇ、なんだか面白いねぇ、これ」


「マルセル、もういいよ。ルイ、お前いつ帰るんだ」


 ルイはひとつ数字を書き込んでから顔を上げた。


「二人が帰るまでいるよ」


「だめだ。もう遅くなるから先に帰れよ」


「なんでだよ。別にいるだけだったらいいだろ。その……やるわけじゃないし」


「お前みたいなガキんちょがここにいること自体が問題なんだ。だいたい、すぐ帰るからって言ってただろう」


「俺は言ってねーよ。マルセルが連れて行ってくれるって言ったんだ」


 ルイがマルセルを見た。

 シリルもマルセルを見た。

 マルセルは無言で一点を見つめている。


 はあ、とため息を吐いたシリルは「今日だけだぞ」とつぶやいて飲み干したグラスを端によけた。


「まあ、とにかくガキんちょが来る場所じゃねーの」


「ねーの」

 空になったグラスを運びながら、通り過ぎ際にエマがシリルの言葉尻を真似た。


「本物のガキには言われたくねえ」


 そう小声で言い放ったルイの言葉を、エマはしっかりキャッチしていたのか、二、三歩離れてから振り向きざまに舌を伸ばして「べ――」と声なくやり返した。


「あいつッ……」


 エマはふんと鼻を鳴らして(きびす)を返して行った。





「ねえ、あの人何しにここにきたの?」


 花園への階段を上がろうとしているマルセルを捕まえて、エマが不機嫌そうに至極当然の質問をした。売春宿であり酒場でもあるこの場所に、ただジュースを飲みに来た客は初めてである。


「いや、俺らがいつも行くところに行ってみたいって、しつこかったんだよ。兄ちゃんが最後に行った場所だからだって」


 “ショーウィンドウ“ の方から、わあっと歓声が上がった。戻ってきたソフィが何かサービスをしたらしい。


「エマ、仲良くしてやってくれよ」

 そう頼むマルセルに、エマはあからさまにぷいと顔を背けた。


「セドリックの弟なんだ」


 セドリック――。ああ、聞いたことがある。


 沈んでいた記憶を辿った。


 静かな宴。エマがこの店に来て初めて見た、寂しい宴だった。

 そのときに名前が挙がったのが、セドリックだった。

 約束の日に戻らなかった兄。

 生きているという便りも、死んだという通知も未だにないという。

 帰らない兄をずっと待っているのだろう。


 ぼうっと考えながら、ボードの数字を“2”と訂正する。


 エマはちらとルイを見た。

 “少年”と呼ぶには遅く、“青年”と呼ぶには早いようなその人は、ふてくされたように頬杖をつきながら、花園へ出かけた二人の帰りを待っていた。






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