2.静かな宴(2)
「ねえソフィ、"宴"って何するの?」
客が帰った後のテーブルを一緒に片付けながら、エマがこっそり尋ねてきた。彼女の首元には、先ほど常連の客に貰った可愛らしい誕生日プレゼントがきらきらと光っていた。エマが『キャンディー・ハウス』で手伝いを始めてから三週間が経つ。時々分からないことがあると、こうやってソフィにこっそり聞いてくるのだ。ここの客の会話を盗み聞きすることが多く、そのため、とんでもない単語の意味を尋ねてきたときは、どうしたものかと頭を抱えたこともあった。答えづらい質問のたびに、ソフィはひとり冷汗をかいている。
「誰かが言ってたの?」
ソフィは質問で返した。
「マルセルさんたちが、昨日言ってたの。明日は宴だって」
「そう……」
ソフィは二人のいるテーブルをちらと見た。
知っている。ここでの "宴"がどういうものなのかを。そして、彼らの今日の宴がどういうものなのかを。
「テーブル、全部片づけたら教えてあげる」
ソフィがそう言うと、エマは張り切って片付けの手を早めた。速くしすぎて雑に拭かれたテーブルをソフィが綺麗に拭き直す。
「さて」
二人は片付けたテーブルに着いた。周りにはまだ客がいるが、皆もう程よく酔っている。たまに手が上がるので、接客もこなしながら、ソフィはちゃんと教えようと思った。
「エマは、私たちの国がこの前何を始めたか知ってる?」
エマに尋ねた。
「戦争…?」
「そう、戦争。ここに来る軍人さんは、いつか戦争に行かなきゃいけないの、みんな」
<みんな>。その言葉にエマのぷらぷら揺れていた足が止まったのが分かった。
「期間が過ぎて、戦争から無事に帰ってきた仲間を、ここのお客さんはみんなで祝福して迎えるの」
それがこの店の "宴"。
エマがマルセルとシリルの方を見た。
「戻ってこなかったら…?」
静かに尋ねたエマの質問に、ソフィは少し間を空けて答えた。
「……約束の日までに戻ってこなかったら、その人は死んでしまったと考えるのよ。そうやって自分たちの気持ちに区切りをつけて、その時は、仲間の勇敢さと、天国への旅立ちを祝うの」
それもこの店の "宴"。
ソフィの予想通り、エマの表情は納得していないようだった。
「死んじゃったことを祝うの?」
「……そうね、変よね」
あっさりとそう答えたソフィにエマは何かを言おうとしたが、ソフィの寂しそうな顔を見て口を開くのをやめた。
「エマ、二人が始めるみたい」
そう言うと、ソフィは静かに立ち上がった。
* * *
騒がしい店内で、皆がそれぞれに今日の晩酌を楽しんでいて、あるいはたわい無い会話をしながら順番待ちをしている。
そんな中で、シリルとマルセルがおもむろに立ち上がって、グラスを高く掲げた。
それを見た隣席の客が二人に向かって同様にグラスを持って立ち上がる。やがてそれは雫の落ちた波のように伝わっていくと、ついには客の全員が二人の方を向いて立ち上がっていた。店内の会話がなくなると、店主は軽快なジャズの音量を最小限にした。
閉店後のように静まった様子を見て、何が起こるのかとエマは感じた不安を押し込めていた。
「みんな、ありがとう。今日は我が友の祝宴の日だ」
男たちの視線はテーブルの上、三つ目のグラスにあった。シリルが声を張って言うと、グラスの氷がカランと溶けて、シリルに応えたようだった。
「À Cédric」
マルセルが静かにそう唱えると、周りも次々にグラスを掲げた。
『À Cédric』
男たちが鳴らし合わせたグラスの音が虚しく響く。
それをひと息に飲み干すと、間もなくいつも通りのたわい無い会話の続きに戻っていった。
一瞬のことだった。
静かな宴が始まり、静かに終わった。
< セドリックに >
この場にいるはずだった仲間を想って。
Cédric Ardouin (セドリック・アルドワン)
家族は父方の祖父母、両親、歳の離れた弟妹。軍学校で出会ったマルセルとシリルとは兄弟のように仲が良かった。面倒見もよく、しばしば二人の喧嘩の仲裁役になった。二人と初めて『キャンディー・ハウス』に来た翌日に、出征を命じられる。補給員として赴いていたが、四ヶ月後に現地の戦況が悪化、激しい前線部隊への配属が決まったため、一階級特進を受けた。その後の行方は不明。のちに戦死として処理される。享年22歳。