妖精が連れて来た小さな幸福
読んでもらえたなら、それだけで幸いです。
サラはベッドの上でうめき声一つ上げる事が出来ずにいた。
お屋敷で褒められていた淡い藍色の髪にはすでに艶も無く、水気を失った肌はかさついてしまっていて、まだ17歳だというのに一気に老け込んだように見えていた。
「もう…ダメかも…。」
つぶやこうとしたが、乾いてしまった喉から出たのは、ゼイゼイと苦しそうな音だけだった。
半年前まで、サラは貴族のお屋敷で女中として働いていた。
しかし、雇い主であるモルドレッド公が、王によってその身分を追われる事になってしまった。
『英雄の暗殺を狙った罪でモルドレッド公爵の領地は没収。公は投獄された。』
街の人が知っているのはこのくらい。偉い貴族が失脚したって聞いて、ざまあみろと思う事が精々だろう。だが、屋敷で働いていたサラたちはいきなり働く場所と住む場所を失うこととなった。
前から能力を見込まれて、他の貴族や商人から声を掛けられていた女中頭のメアリや仲間のアリス。執事のジョナサンは行先が決まり、それぞれ新しい職場へと旅立って行った。
だが、経験の浅い者、身寄りの無い者、老齢で長く働くには厳しい者。そう言った人々は新しい職場に移る事も出来ずに路頭に迷う。
メイドとして働き始めたばかりのサラもそんな中の一人だった。
なんとか見つけた小さなアパートメントの一室に、最初は女の子五人で住んでいた。みんなで蓄えと知恵を持ち寄り、何とか糊口を凌いだ。
だが、一人が女中として行先が決まり、二人が田舎に帰り、最後の一人も商家の見習いに決まって、最後にサラだけがここに残る事となってしまった。
サラは、八百屋のマーサおばさんの店に手伝いに行ったり、お屋敷の水くみを手伝いに行ったりしてお小遣いをもらっていた。ギリギリだけれども、生きて行くだけなら何とかなった。
だが、一週間前から急に身体の調子が悪くなった。
最初は風邪かなと思っていたサラだったが、どんどん熱が上がって身体の節々が痛くなって来る。
とうとうサラは昨日の夜からベッドの上から起き上がる事すら出来なくなってしまっていた。
枕元に置いてあった水差しの水は、もう朝方には無くなってしまった。
汲みに行かなきゃと思って身体を起こそうとしたけれども、身体に力が全然入らない。
食べるものは、もう三日も前から何も無かった。
寂しくて、怖くて。そして自分の運命が悲しくて涙が流れそうになる。
ふと見上げると、小さな丸い光の珠がくるくると回っていた。
――あ、妖精さん…。来てくれたんだ…。
妖精と言っても、おとぎ話に出てくるような女の子に羽根が生えているようなものとは違う。名前も別にあるようだったが、サラは小さな頃から妖精と言っていた。
光る羽根を持ち、透き通った身体をした小さな魔物。たまに人間の周りをくるくると回る以外には害も無いので、討伐なんかされる事はない。
サラが住んでいた田舎では、ありふれた姿だった。
この街に来てからは見たことが無かったが、その妖精は開け放したままになっていた窓から、ふいと入って来たのだった。
妖精が部屋に入って来た時には、お迎えが来たのかと思ってしまっていた。
懐かしい故郷の森。そんな木立の中で揺れる小さな淡い光。
そんな光景が思い出され、とうとう乾いてしまった瞳から涙が溢れる。
その魔物は、よく見ると出来の悪い人形のような形をしていて、うっすらと透き通っている。その身体の中央には小さな魔核が明滅しているのが見えた。
サラは村の事を思い出す。お父さん…お母さん…。そして弟たち…。
家に何度帰りたいと思ったか知れない。
ただ、ここから馬車で七日掛かる故郷に行くには旅費が必要だった。それに、口減らしで王都に出された娘が帰って来ても、きっと皆良い顔はしないだろう。
…戻る場所なんて、最初から無かったのだ。
娼館の前まで行った事だってあった。
その行動を批判出来るのは、空腹の辛さを知らない者だけだ。
ただ、その時裏口からたたき出されたのが、屋敷で一緒だった女の子だったのを見て、サラは恐ろしくなって逃げ帰ってしまった。むしろこうなってしまっては、それで良かったんだと思う。
サラの意識は段々と遠くなる。
外はもう陽が落ちて真っ暗になってしまっていた。
先ほどまで一匹だった妖精たちは、その数を増やし、部屋の中を無節操に飛び回り始めた。
赤や黄色。そして青。淡い光が部屋の中を乱舞する。
――まるでおとぎ話で聞く、大魔術を使う魔法使いみたい…。
――王子様…助けてください…。
サラはその光景を見て、魔法使いが大魔術を使う時のように腕を上げ、思い切り念じてみた。
ふわふわとした気分に、自分が本当に魔法が使えている気になる。
「王都内での大魔法の使用は厳禁だ! 今すぐ止めよ! 」
ドアを蹴り破って入って来たのは、若い衛兵だった。
開け放たれた窓から見える光の乱舞に、こんな場所で大魔法を使おうとしている者が居ると思い、慌てて突入して来たのだった。
衛兵は少女の姿を見て、周りを飛んでいたのが妖精だったことに気が付く。
何事が起っていたか理解した彼は、衰弱していたサラにポーチから官給品の回復薬を取り出して飲ませた。
「すぐに水を汲みに行ってくれ! ひどい熱だ! 」
おでこに手を当てて、熱がある事が解ると同僚に叫ぶ
妖精たちはその姿を見て、窓から飛び出して行く。
「大丈夫か!? 」
不安そうな灰色の瞳が少女を見つめると、うっすらと少女は目を開けた。
ピカピカに磨かれた鎧が目に入る。
「王子…さま? 」
「ああ。そうだ。迎えに来たぞ姫! 」
朦朧とするサラに衛兵は答える。
こういう場合、落ち着くまでに気を失うとそのまま死んでしまう事がある。
それを知っていた衛兵は、サラに話しかけ続ける。
井戸に走ってもらっていた同僚の衛兵が走って帰って来る。
腰のポーチを開けて、三角巾を取り水に浸してサラの額に乗せる。
「すまん! 治療術師を呼んで来てくれ! 」
「解った! なんとしても死なせるなよ! 」
同僚の衛兵が詰め所へと走る。
「本当に迎えに来てくれたのですね…。」
「ああ…そうだ。君の魔法に呼ばれて来たんだよ。」
*
「いってらっしゃい。あなた。」
いつまでも可愛い妻が、娘を腕に俺に手を振って来る。
今日の勤務は昼番なので、明け六つの鐘が鳴る頃に家を出て、衛兵詰め所へと向かいながら、衛兵は妻が結婚前に語った話を思い出していた。
衰弱して倒れていたサラを放っておけず、面倒を見ると言うか、お節介を焼いているうちにそんな関係になっていた。
最初はかなり年上の女だと思っていたのだが、食事をご馳走している間にみるみる回復し、その姿を美しい娘へと変えて行った。
そして一昨年に結婚して、今は娘が一人居る。
「よう。王子様。」
衛兵詰め所に向かう道すがら、同僚が声を掛けて来る。
「だから、それは止めろって言ってるだろ? 」
一部始終を知っていたこいつは、娘が回復して俺と付き合い出したころ、衛兵の間にこのエピソードを吹いて回った。
おかげで俺はその当時しばらく隊長からも王子様と言われていた位だった。
奴が言うにはあんな可愛い子を手籠めにするなんて許せんと言う義憤からだったらしい。
「それにしても、あの光が魔物のせいだったなんてな。」
ふと思い出したように同僚が言う。
「ああ…そうだな。確かに魔法としか思えんな。」
俺も目を閉じてあの光が乱舞する光景を思いだす。
「そうそう。明日からはこうやって話も出来なくなるな。宜しく頼んますぜ。隊長。」
そう言って笑いながら同僚はお先にと俺の肩を叩いて走って詰め所まで向かう。
あの魔物は、動物が死んだ瞬間に放出する魔力を吸収して生きてる。それで死にそうな動物が居ると、近くで回って仲間に教え合う習性があった。
小さいころに牧場で育った俺は、家畜が死ぬ前によくあの魔物が周りを舞っているところを見ていた。
部屋に入った瞬間に娘の命が尽きようとしている事に気が付けたのはそのためだった。
おかげでサラをすんでのところで助ける事が出来たのだった。
ただ、これはこの街では俺しか知らない事だろう。
最近は王都の治安も良くなり、死にかけた人間が路地裏に倒れている事も無くなった。
もうあの魔物たちが王都で乱舞する事は無い。
ただ、あの魔物…いや、妖精には感謝しなくてはならないだろう。
俺にとって大事な妻と子供を運んで来てくれたのだから。
『お父さんはね。妖精さんが魔法で連れて来てくれたんでしゅよー。』
俺は娘に話しかける妻の姿を思い出す。
――彼女の前では出来るだけ王子様であろうとしなくてはならないな。
そうして今日も仕事に励む事を心に誓うのだった。
短く読めるようなお話にしてみました。
最後にホッとなるようなお話を書いて行きたいと思っています。
妖精はクリオネを想像して書いています。