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牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
1・森の奥にて
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殴りあい、ゆめ2

 ようやく俺は理解できた。こいつは擲射で撃破したはずの〈バッタ〉だ。弾丸は命中した。が、角度がまずかったのか、材質が不適切だったのか。脳幹のほうには侵入することなく、弾片となって顎を砕いただけに終わったのだ。


 面倒なことに〈禍霊〉は頭を撃っただけでは死なない。頭蓋を完全に砕く、より正確には脳幹を破壊せねばならない。でなければ何度でも復元できる。タフなものだ。


 あぁ、畜生が。俺は銀の銃弾を撃てる。だが俺の敵は狼男や吸血鬼ではなかった。


 とにかく、状況の整理。敵は俺に右の掌を見せつけるだけで殺傷できる。そのうえ彼我の距離は敵の手相を認識できるほどの狭さでしかない。つまり強烈な赤外線を真っ先に浴びるのは顔面であって、また眼球は熱傷に弱い。困ったことに、心象の具象化は物理的な視覚に依存するのだ。


 詰んでいるとしか表現しようがない。


 しかし敵は微動だにしていない。茫洋と俺を見つめているだけ。いや、そうするしかできないのだ。ステラがすんでのところで、こいつを木偶にしたのだ。


『瞼を閉じろ。心を鎮めろ。〈魂〉が乱れるとパフォーマンスが低下する』


 花梨の芳香とともに語りかけてきた。なにか、もどかしい感じがした。まるで母親らしさを演じるような声音だ。が、あいにくと今の俺には効用がない。


 顔が砕かれたバケモノの視線を逸らすことはできなさそうだ。さらには息が苦しくなってきた。笑い声が掠れた音になってきていた。


『だから、なにも見るな。意識から外界を排除しろ。完全に掌握されるぞ』


 掌握される。つまり侵心をあつかえるとステラはさらりといったわけだ。


『なんだってんだ。なにが幼稚な導術だ。こんなん、俺はロクに使えねぇってのに。それともなんだ? ステラから見りゃ、俺も話になんねぇほど低レヴェルだと? 畜生……』


 徐々に荒くなっていく自分の呼吸音に怯えながら、俺はなおも〈バッタ〉の真っ赤な目玉だけを見ていた。そして、次の瞬間にも頭が潰されるのでは、と妄想していた。


『ヤックン、さっさと瞼を閉じろっ!』喰いかかるようにステラが吼えた。


 その大声に全身が震えた。ついでに瞼も閉じていた。


 まったく、莫迦らしいまでに容易いことだったのだ。花梨の香を感じながら、呼吸を整えることに集中しようとする。だが、あの赤い目玉を忘れることはできそうにない。震えと汗は一向に収まらない。


『静かに、静かに……』ステラの甘い声が何度も繰り返された。


 あれほど頼もしいステラの声は今はまったく効果はない。視界が閉ざされたことで、かえって破滅の到来を想像してしまう。あわせて、どうしてこんなヘマをやらかしてしまったのかと後悔するのだ。


 思いかえせば、二匹続けて仕留めたと思った瞬間からだ。それで有頂天になった。で、そこを奇襲された。とたんに混乱し、悪手を続けて打ってしまった。


 己のとんだマヌケさに辟易する。とくに死の危機にあるというのに、ステラに任せるしかないという事態に、だ。まさに背信だが、俺の守護天使の抵抗も無駄に終わるのでは、とまで思ってしまう。いや、あまりの不出来さに呆れはてて、守護を放棄するのでは……。


 まさにその時だ。身体すべてに雷鳴が轟いた。堤防を破って黒い水が襲ってくる、そんな心象が浮上してきた。一瞬、これで死んだのか、と錯覚してしまった。


 俺は瞼を開けた。

 

 再び〈バッタ〉と視線を交わすことになった。それと同時に脳の奥底でパチンコが跳ねまわるような感触が走った。たまらず絶叫する。あまりの痛さで絶叫する。活導態なのに”痛み”を感じた。REACTOとは違う感触だ。この事態については即座に理解できる。


 侵心を喰らわせやがった。しかも大深度の。

 

 俺の身体はバケモンの木偶にされちまった。


 シット、とステラが激しく罵った。ついで〈禍霊〉は一気に右手を突っこんできた。鼻に触れようとした直後、奴の右腕は弾けるように振りあげられていた。さらに静止。俺は猫の声が聞こえたような錯覚を感じた。それも、怒り狂ったような。


 死から逃れたことに安堵する暇もなく、俺はまた瞼を閉じる。ごめんさい、ごめんなさいとステラに謝りながら。これでどうにかなるとは思えないが、とにかく謝る。


『いい経験ができたじゃないか、ヤックン。いかに掌握されることが恐ろしい事態であるか。もっとも対処は単純だ。絶対の信念が絶対の防壁となる。おわかり(Do you )になられて(understand)?』


 口調はいたってくだけていたが、強くなじっているのだ。身体的なのか心理的なのかわからないが、俺は歯を鳴らして頭を揺さぶっていた。


『つまり侵心は〈魂〉の揺らぎを狙ってくるからな。ならば、潔く鎮まる心になんの欠陥があろうか、ということだ。ドゥ・ユー・アンダスタン?』


 正直、理解しきれていないが、ようは俺を勇気づけているのだろう、たぶん。


『まだ納得できないというのなら、ひとつ確認してみよう。左手にあるものは?』


『SIG・P232だ。弾は残り一発だけだがな』


『うん。もうひとつ確認してみよう。右手はなんだ?』


『こいつは〈技の腕〉だ。心象を現象となして、なにもかも破壊できる武器だ』


『では、最後に確認してみよう。〈禍霊〉を討つという意志に揺るぎはないか?』


『ほざけ、莫迦。〈禍霊〉は手荒くブチ殺す。この夢でやるこたぁそんだけしかねぇべ』


『じつに充分だ』


 たしかに俺の武装は解かれたわけではない。しかし左の膝を壊されて、立つことができない。つまり翔歩が使えない。


『では、私から指摘する。ここでのヤックンは導術者だ。導術者であるのは幸いだ。導術を駆使する者、心、砕けぬかぎり屈服することはありえない。さらにあなたはひとりではない。戦友であるこのステラがいる。であれば、ヤックンが敗北することはない』


 なるほど。俺の敵はなんとも不気味かつ強い。が、俺は死んではいない。そして大守護天使ステラの加護を得ている。これ以上の優位はあるというのか?


 とにもかくだ。俺はステラへの信頼を再確認できた。彼女の監視は絶対だ。確信できる。今度こそ、心静かに視界を閉ざすことができた。


 しだいに呼吸のリズムが緩くなってきていた。すると、左脚のくすぐったさが収まってきた。また、死への恐怖よりは反撃の期待のほうが強くなってくる。


 ふと響いてくる、準備して、というステラの言葉。


『よしよし。想起。千早振る神鳴りが鎗厳しくに、撃てば砕きて細れと散らす。雷鎗。指数は……二。目標、最脅威度。全ショット一点。想起、完成。待機』


宜候ステディ。発顕する間際は攻撃のみを意識。その時間に〈魂〉がもっとも騒ぐのだ、否応なしに。つまり掌握されやすい。この点に要注意』


『アイ・ガッチャ。いつでもどうぞ、守護天使様』


『私は高強度で標的を掌握し、対処行動を制止する。ただし、一瞬だぞ。その一瞬にぶちのめせ。要項は以上だ、ヤックン。レディ……ファイアッ!』


 ステラの号令と同時に俺は瞼を開く。眼前にはでっかいドブネズミ。その右腕は背中へねじあげられていた。うん。咄嗟に反応できる体勢ではない。とにかく、そいつが最脅威度存在。俺が貫き砕くべきは、その頭蓋。そこへ向けて俺は右腕を突きあげる。


 その時、金切り声が聞こえた。幻聴ではない。さりとて眼前の奴のでもない。なんだ、と訝しんだ。瞬間、俺と標的の視線とがあわさった。


 グチャグチャとした頭痛が生じる。同時、右肩から先がどこかに消えた。いや、視界にはある。が、それは誰かの腕だ。……なぜか、誰かの腕がある。


 ステラがこの事態について告げる。『右腕(Right arm )制御(uncontorol)不能(lable)!』


 よりにもよって右腕が掌握された。せっかくの想起も道具が作動しなければ無意味だ。この場面で、この状態。血の気が引いていく。


 ステラの低い呻きが響く。急にぼんやりとしていく視界の中で標的の上半身がコマ送りのように近づいてくる。ただし、奴の右腕は硬直したまま。


 はたして俺にできる対処とは? もはや、これまで? 


 いや、違うはずだ……。いや、まだだ!


 俺は残った腕を運動させる。P232を標的のこめかみに。銃口を押しつける。引金を絞る。炎と轟音。標的の顔面からより体液が派手に吹きだす。うまいことに眼球も押しだされてきた。


 薬莢が吐きだされたが、スライドは後退位置で固定されている。ホールドオープン。銃弾を吐ききり、P232は武器としての存在を停止した。

 

 次の武器は俺の右腕、右の掌。俺を捉える視線が消えると同時に身体の制御が戻ってきていたのだ。


 崩れてくる標的へ右掌を指向させる。人差指と中指の間から橙の光が溢れる。その先には灼熱の侵徹体が十個、束になっている。外れることなんざぁ、絶対にねぇ。


「テッ!」


 目を灼く青紫の閃光。刺さるような熱気。また爆ぜる音。粘液が打ちつけてくる感触。

 

 破壊がなされたことを意味する刺激がいっしょくたになって、俺を襲う。

 

 感動している余裕は俺にはない。右肘をすぐに顔へと引きつける。重いものがドサリと被さってきた。

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