仮面の男と労働種の少女
――どこへ行っても、自分という存在の代償はついて回る。
煤の降り注ぐ重機関都市。夜の都市に響くのは複合高層機関時計塔が奏でる共振器の音色と夜行機関が奏でる静かな駆動音。
そんな寝静まった街に蒸気二輪のうるさいほどに大きな駆動音木霊する。続くように警報が鳴り響いた。
それを背に、聞きながら煤が眼に入らないように首で揺れるゴーグルをかける。吹きつける風に飛ばされないよう大きな鋼の右手で、頭の帽子を押さえてしっかりと被り直す。
耳を澄ませば追いかける足音が聞こえる。蒸気二輪の出す騒音を追うように、警邏の蒸気自動車と万能式羽ばたき式飛行機械の羽ばたきの音。
自分を追う警邏の足音だ。速く、空を飛翔する彼らの足音。そして、彼らの息遣いもはっきりと聞こえてくる。ガスマスク越しの呼吸音が、背を打つ。
それと共に鉄と鋼と油、それから、火薬の匂いが風にのって伝わって来た。追いつかれれば死ぬ。死神が放つ死の匂い。
逃げなければ、そう思う。逃げなければ殺されてしまうから。まだ死ねない。ここでは。まだ、始まったばかりだから。
腰のホルスターで巨人殺し――GKが暴れていた。巨人すらも殺せると言われている巨大な銃は、蒸気二輪にて駆動する機関と地面の凹凸によって今すぐ抜けと暴れ回る。
GKを抜くわけにはいかない。まだ、都市の中では。それは人として生きる鉄則だと教えられた。市民として生きる為の。
「――――っ!」
ハンドルを切る。その時、銃声が響き渡った。弾丸が石畳を砕き破片を巻き上げる。あと少し気が付くのが遅ければ脳天に穴が開いていただろう。
都市警邏標準装備の拳銃。エルミニーナ製の傑作拳銃――フロッグショット。蛙撃ちの名の通り、飛び跳ねる相手だろうと正確に当てられるという謳い文句の機関製自動拳銃。
自動拳銃だと言って喉詰まりに期待はできないだろう。安定性において回転弾倉に劣るが、それでもエルミニーナのフロッグショットは傑作自動拳銃だ。
整備不良でもない限り、あれらが喉詰まりを起こすことはない。それがあの人に学んだ知識だった。
ちらりと振り返れば背後をぴったりと羽ばたき式飛行機がついてきている。二人乗りの飛行機からフロッグショットが真っ直ぐと向けられていた。
蒸気二輪を蛇行させて狙いを付けさせない。それでも撃たれる弾丸をなんとか躱しながら、都市の外を目指す。
蛇行したおかげで、蒸気自動車にも追いつかれてしまう。二人乗りの蒸気自動車。助手席に乗った警邏がフロッグショットを向ける。
アクセルを回しスピードを上げた。ぐんっ、と背後に流される身体を足で必死に車体を挟んで耐える。流れていく景色が更に速くなる。
請負屋調律とも呼ばれるある種の怪物調律が施された蒸気二輪は、殺人的な加速で蒸気自動車を振り切る。
都市の出入り口の門に構築されたバリケードが見えてきた。撃つならば、ここだった。GKを抜く。バリケードの真ん中を狙って、引き金を引いた。
GK専用の大威力のマグナム弾がバリケードを破砕する。大穴を穿ち、蒸気二輪はそこを通り抜けた。音が止む。追手の音が止んだ。
警邏たちは、都市の門のところで追撃をやめていた。速度を緩める。しかし、気だけは緩めることはできない。
追手はまだ、あるのだ。
蒸気二輪の駆動音。いくつもの蒸気二輪の駆動音が重なってコーラスを奏でる。背後から追ってくるのは警邏ではない。
警邏は都市内の治安維持が目的。都市の外に出てしまえば、都市法が及ばない外に出れば彼らは追ってこないのだ。
しかし、企業に雇われた請負屋やエージェントは違う。都市の外。そこからが彼らにとって本番。都市法の及ばぬ外でならば何をしても許される。いや、無視されると言うべきか。
そう、何をしても。それが例え、殺人だろうとも。それが例え、人道に反した機関実験だろうとも。企業テロルだろうとも。
都市の外は無法地帯であるから。だからこそ、ここまで逃げたともいう。ここでなら思う存分、GKを抜ける。
「…………」
右手を見る。すっかり血に染まった右手を。あの人と同じ、右手を。これからまた、血に染まる己の右手を見る。
世界は残酷だ。小さな世界よりも、ずっと、ずっと――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
大通りに店を構える喫茶店の朝は早い。いや、早いとはいっても夜行機関から主要な大機関へと切り替わる少し前だから標準的な早さなのもしれない。
少なくとも住み込みで働いている店員は、他の店よりも開く時間は、少し早いくらいだろうからそこまで早いというわけではないと認識している。
大機関が動き出すよりも少し前。喫茶店のオーナー曰わく、消音小規模夜行機関とやらで駅内と列車のみを走らせてる機関が大機関へとその役目を譲り、都市がその眼を覚ます頃。
その頃に、いつものように店を開いた。クローズからオープンへ。看板をくるりと回して店員が店に戻れば直ぐに最初のお客がやってくる。
「…………」
それは奇妙なお客だ。ここ数週間は、毎日朝一番にやってくるお客さん。煤避けだろうつばの大きな灰色の帽子を被り、襟の高いコートを身に纏い長いマフラーを巻いた大きな男だ。
それだけでは別にどこにでもいる普通の人であるが、奇妙な点は顔にある。いつもいつも仮面をつけているのだ。顔を覆う大きな面。
大きなレンズと歯車がいくつかついた大きなマスクだ。まるで髑髏でもかぶっているかのようなそれをひと時も外さない。
更に包帯を全身に隙間なく巻いている。そんな如何にも怪人然とした姿とあれば奇妙にも思えるだろう。
最初こそ、驚いた。それこそ警邏に通報しようとしたくらいだ。だが、今では店員も慣れたものだった。彼の人柄が良かったのもあるだろう。
「やあ、おはようございます」
マスク越しのくぐもった声で奇妙な客はそう挨拶をする。毎日欠かしたことはない。そんな律義さと優しげな声色からすっかり見慣れた常連の一人に早変わりした。
「ええ、おはようございます」
「今日もお美しいですね」
「あら、お上手。でも、マケませんよ?」
「これは手厳しい。私は、正直な気持ちを言ったのですが」
「それ三軒隣の女の子たちにも言ってましたよね。みんな知ってますよ」
「私にとって世の女性は皆、美しいのです。ビバ、ビューティフル。どうです? これから――」
「はいはい」
大仰に大手を広げて、恥ずかしげもなく言い切ってしまう彼は本当に容貌からは想像できないような男だと思う。そんな彼はカウンターからずっと離れた席に座る。
店員は気を取り直して、注文を聞く。あまりこういうこともしていられない。すぐに夜勤を終えて腹を空かせた工員たちがやってくるのだ。
「いつもので?」
「ええ、お願いします」
いつもの。コーヒーと、軽い朝食日替わり。今日の日替わりはサンドイッチだった。珍しく食べられる魚が入ってきたのでフレークにしてマヨネーズで味付けをしたツナサンドである。
魚は貴重だ。機関文明が花開いて以来、水源の汚染などで魚はどんどんいなくなった。浄水機関の発明によってある程度戻っているものはあるというが、それでも食べられる魚というのは本当に貴重だ。
今の人たちの中には食べたことのない人の方が多い。この店は、オーナーがツテで食べられる魚をどこからか調達してくるのだ。
食べたことも調理したこともなかったが、今ではお手の物だ。
「はい、どうぞ。それとお砂糖」
「ええ、ありがとうございます」
彼の奇妙なところはまだある。それはコーヒーや料理に大量の砂糖を入れること。味がおかしくなると思うが彼はそれを止めない。
まるでそうした方がおいしいとでもいうように。
「それじゃ、ごゆっくり」
そう言って離れれば彼はマスクを外して食べ始める。最初こそマスクの下の顔を見ようとしたが、彼は素早くマスクを被るので見たことがない。
次第に諦めて誰も気にしなくなった。彼の人柄の成せる技なのだろう。それに、店員も忙しい。彼に料理を運んだあとは、続々と人が訪れて途端に忙しくなる。気にしている余裕がなくなるのだ。
「御馳走様でした。今日も絶品でした。ありがとうございます」
そして、そう言って男は帽子を少しあげて礼を言って店を出ていくのだ。お金は、彼の座った席にいつも置いてある。
その後、また良く朝まで店員は男の姿を見ることはない。どこで何をしているのだろうか。それすらも知らないのである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
いつもマスクをかぶっている長身の男。その姿がまるで髑髏を被っているように見えることから彼を知る者からはスカルフェイスと呼ばれていた。
そんなスカルフェイスは、朝霧がゆらゆらと足下に立ち昇っている通りを歩いている。すっかり少なくなった鳥がいるだけで人通りはない。
朝のまだ早い時間であることもそうだが、彼が向かっている場所にも原因がある。彼が向かっているのは貧民窟だった。暴力、犯罪、ドラッグ、女であふれる異常の街。
都市管理局がもはや管理することを包囲した警邏ですら何か事件がなければここには立ち入らない。そんな場所だからこそ、人は少なく。朝という時間もあって人はいない。
十数分も歩けば、そんなスラムの端、スカルフェイスが寝床にしている元高層複合建築、現中折れした廃墟に辿り着く。
かつての戦争の時、砲弾が直撃して巨大な縦穴出来上がっており、それによって完全に廃墟となっている。階段がないため入ることができないのだが、この廃墟の二階以上の階層が今の彼の寝床である。
「うん?」
そんな住処の前に隠されてはいるが、蒸気二輪が停められていることにスカルフェイスは気が付いた。瓦礫などを見れば確かに誰かが入り込んだ形跡がある。蒸気二輪もまだ温かいようだった。
「おやおや、お客さんですか。これはこれは」
スカルフェイスはそう呟きながら廃墟へと入って行く。罠の類はない。一階部の天井に開いた穴から跳んで二階へと入る。人とは思えない軽やかな動きで跳んで音もなく着地した。
そこから更に天井から跳んで三階、四階へと移動する。
「おやおや」
四階、そこで侵入者を発見した。ベッド替わりとして使っているスプリングがすっかりとイカレて固くなって寝心地の悪いソファーに少女が身体を丸めてまるで猫のように眠っていた。
黒を基調とした動きやすそうな服装で、右腕は不釣り合いに大きな義腕。頭には大きな制帽を被り、右目には大きな空族のような眼帯。首にはゴーグルをかけている。
左腰のホルスターに拳銃はないが、その手にしっかりと傑作回転弾倉拳銃のGKが握られていた。
さて、どうしようか。スカルフェイスがとりあえず起こさないようにそろりと足を踏み出した瞬間、
「――――っ!?」
少女が飛び起きた。
「おっと、起こしてしまいましたか。おはようございます。すみません。まだ寝たばかりでしょうに」
「誰」
「ここの家主ですよ」
「……ごめんなさい。少し、借りた。大丈夫、すぐ、出ていく」
「いえいえ、構いませんよいてくれても」
スカルフェイスが見た限り、少女は眠っていないようだった。顔色が悪い。眠っていないのだろうし疲れもたまっているようだ。おそらくは何か事情があって追われているのだろう。
自分もそうだから彼にはよくわかる。それに、可愛らしい少女だ。珍しい黒髪が美しいし、青の瞳は澄んでいる。
こんな美しいものを追い出す選択肢などスカルフェイスにはなかった。むしろ、率先して保護したいレベルである。
無論、そんなことなど少女は知る由もない。そのため訝しげな表情をしている。GKを向けられてはいないが、いつでも撃てるようにしているところみるとまだ警戒されているようだ。
無理もない。容姿からして怪しいのだから。すぐに逃げ出されなかっただけマシと言える。普通なら逃げ出されてもおかしくない。
特に少女くらいの歳の女の子なら、普通叫び声の一つもあげるものだ。勿論、率先して悲鳴をあげられたいとスカルフェイスが思っているわけではない。
「お疲れでしょう。どうぞ、眠ってくださって結構ですよ」
「良い、知らない人の前で寝ちゃダメって言われてる」
「そうですか? 別に取って食おうというわけではありませんよ? 見たところお若いですが請負屋でしょう? 眠れる時に眠るのも請負屋の鉄則かと思いますが。私も請負屋のようなことをやっているので、詳しいのですよ」
「…………」
「ふう、では、良い人付き合いの始まりとして、自己紹介をしましょう。私はスカルフェイスと呼ばれています。あなたのお名前は?」
スカルフェイスは手を差し出しながらそう名乗った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
髑髏をかぶったような男は、名乗った。スカルフェイス。見た目、そのまんまの名前を名乗って手を差し出して来た。
「…………」
アンナはそれを警戒しながら見る。嘘をついてはいない。労働種は嘘を見抜ける。今のところ彼が嘘をついている感じはしない。気配もそうだ。
だが、嘘をついていないからと言って信用できるかどうかは別問題だった。嘘をついていなくても信用できない相手はいっぱいいた。
そんな連中に追われて、追われてここまで逃げてきたのだ。義務を労働種は狙われる。企業の情報を持っていることがあるからだ。
労働種は鉱山で働く。鉱山は企業や都市の秘密の宝庫だ。それが是が非でも欲しい連中というのはいくらでもいるのだ。
労働種が覚えていなくとも、見ていることはある。メスメル学による暗示と催眠によってそれを引き出すのだ。その際、労働種は廃人となるがそんなこと関係がない。労働種はいくら死んでも代わりがいるのだ。
「…………」
いつまでも掴まずにいると、スカルフェイスは所在なさげに手を戻して後頭部をかく。
「わかりました。では……」
おもむろに、スカルフェイスは帽子を取ってコートを脱ぎ始めた。
「なに、してるの?」
「え? 何してるって、武器を隠してるんじゃないかーって思われていたらいやなので、証拠に裸になろうかと。あと単純に美少女の前で裸になりたいだけです。局部見せつけたい!」
「……いい、武器がないのは、わかってる」
「そうですか。良い感覚をお持ちで。残念です」
「ええ……」
アンナはこの男が何を考えているのかわからなかった。怪しい男だ。というか変態だ。こういうのには近づくなと言われている。
ただ、悪い感じはしない。それに馬鹿な発言にすっかり毒気を抜かれてしまった。しかも、何やら本気で落ち込んでいる。
とりあえず、警戒は解いても良さそうだった。少なくとも、
「悪い人じゃなさそう」
「もちろんです。可愛い女の子に悪事を働くなど私にはありません。女の子は遠くから眺めて、時に近くに行ってパンツをせがむくらいです。というわけで、パンツ見せてもらってもいいですか? ――ああ、なぜか距離を取られた!?」
これを信用していいのだろうか。
「まあ、パンツはあとにしておくとして、お嬢さん、あなた労働種でしょう」
「――っ」
「まだまだ甘い。そこは表情を変えずにとぼける所でしょう」
「……」
彼の言う通りだ。アンナはまた間違えた。アンナは、帽子をを取る。三角の片耳に切れ込みが入った猫のような耳がそこにはあった。
「だったらどうするの。警邏に突き出す? そのつもりなら――」
下げた左腕をあげる。GKをスカルフェイスに向ける。
「え? 何もしませんよ。なんで私が自宅に来てくれた可愛い女の子を追い出さなければ行けないんですか、勿体無い。女の子の入ったあとの残り湯に入れたり洗濯物に触れるかもしれないのに。というか可愛い耳じゃないですか! 素晴らしい!」
「ふぇぇ」
思わずへんな声が出た。何を言ってるんだ、この男は? しかも、ふざけているわけではなく至極真面目に、本気で言っているのだ。意味がわからなかった。
「それと、気まぐれですよ。信じれませんか?」
「あ――」
アンナは思い出す。自分を気まぐれと言って助けてくれた人のことを。
「ううん、しんじる」
「それはよかったです」
「私、アンナ。よろしくスカルフェイス」
「ええ、よろしくお願いいたします」
アンナは、警戒を解いて名乗った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その後、スカルフェイスは、テーブルの上に置いてあった機関製ラジオのスイッチを入れる。そこから流れるのは共鳴機関通信による音声放送。ノイズに塗れながら陽気な音楽が流れパーソナリティーが他愛もないことを喋り倒す。
情報番組であるのだが、そのパーソナリティーは朝一のニュースを最高にお似合いで、最高に不釣り合いな甘い声で垂れ流していた。
『ハローハロー、ご機嫌なあなたも不機嫌なあなたも私にハローハロー。ラジオ放送一ご機嫌な情報番組へようこそ。こんなご時世だからこそ、陽気さを忘れてはならないと私は思っています』
この甘い声の音声放送をスカルフェイスは、好きではないがアンナが好きかもしれない。なにかしら話題になればと今までいれたことのないラジオのスイッチをいれた。
それは成功だったようだ。アンナは、食い入るように聞き出したのだ。
『――ああ、心にもないことを言ってしまいました。本当はそんなこと一つも思っていません。あ、プロデューサーがうるさいのでニュースいっちゃいまーす。
さて、本日の朝いちばんはやっぱりこれでしょう。皆さんが喜びそうなニュースを独断と偏見で私が選びました。あ、また怒ってる。プロデューサー、あんまり怒るとハゲますよー。
さあ、ハゲそうなプロデューサーは気にせず朝一番のニュースをごしょうかーい。今日の朝一はこちら! みなさん大好き、私大嫌いなあの人、超人ツァラトゥストラ氏がまたも犯罪グループを撲滅しました。私大好き、みんな大嫌い地獄の十五番都市での出来事です』
「ツァラトゥストラか」
超人ツァラトゥストラ。神は死んだと語り、神に代わり全てを救うと豪語している男。スカルフェイスにとっては、敵ともいえる存在だった。
一度だけ生で見たことがあるが、頭を弾丸で貫かれかけても平然としているような化け物だ。出来れば会いたくないと思っている。
「知り合い?」
「いや、知らんよ」
「?」
「いろいろあるのさ。大人にはな」
アンナはわからないという風に首をかしげた。
「それより、ラジオ、好きなのか?」
「……うん、世界が広がるような気がするから」
「……そうか」
アンナはまたラジオを聞くのに戻った。番組が終わって、彼女がスイッチを切るまで、スカルフェイスは黙っておくことにする。
楽しんでいる少女というのは実にすばらしいのもあるが、何より楽しい思い出を思い出している。それ邪魔するのは良くない。
「紳士というのはそいうものだろう」
先ほどまでの行動のどこに紳士要素があるのだろうか。そんなことはスカルフェイスにはまったく問題ではなく。彼が思う紳士として正しければそれでいいのだ。
しばらくニュースが続き、甘い声がから音楽に変わると、アンナはスイッチを切った。
「……ありがと」
「どういたしまして」
さて、これからどうしようか。スカルフェイスがそう思っていると、アンナが船をこぎ始める。眠っていないのだから当然だった。
「眠ると良い。ここで見ていてやろう。それとも、風呂に入るか? 浄水機関を修理したから上等なのがある」
「いい」
眠気に耐えられなくなったのかアンナはそのままソファーに倒れるように眠りについた。すぐに規則正しい寝息を立てはじめた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
不意に、異臭で目を覚ます。何かが焦げる匂い。炎の匂いはさほどしないから危険ではないだろう。ゆっくりとアンナは目を開けた。すっかりと暗い。どうやらほとんど一日中眠ってしまったようだ。
「う、ううん――おとう、さん?」
調理機関の前に立つスカルフェイスがいた。そこにあの人を重ねてしまう。背も恰好も違うのに。臭いは、そこからしているようだった。
「起きましたか。良く眠れました?」
「うん」
「それは良かった。それで、お腹が空いたと思って料理をつくってみたのですが」
そこにあったのは焦げた何かだった。どうみても食べ物ではない。ごみですね、と言ってスカルフェイスもそれを捨ててしまった。
「……調理機関と食材、借りていい?」
「いいですよ」
許可をもらって、アンナは調理機関の前に立つ。旧式の調理機関。ほとんど加熱しかできないものだが、調理機関なだけあって普通のキッチンと異なり、火だけは自由自在だ。
その横にある冷蔵機関を覗き込む。おそらくは買ったばかりなのだろう食材が滅茶苦茶に詰め込まれていた。とりあえず、それを綺麗に入れ直してからいもと肉を取り出す。
作るものは決めていた。一番の得意料理だ。いもの皮を剥いて、切って行く。肉も細かくしてからいもを焼き油で揚げていく。
濃い目の味付けにして、完成したのはトニッシュ。アンナが最も得意とする料理であり、ある都市では母の味とされるものだった。
「はい、どうぞ」
「おや、私の分まで? ありがとうございます」
彼の前に皿を置くと、彼はおもむろに砂糖を取り出す。それをどさりとトニュッシュにかけた。
「ええ……」
あれでは味がおかしくなるのではないか。そう思うが、彼は一向に気にせずどさりとまた砂糖を入れた。見ている方が気持ち悪くなりそうなほどだ。
匂いからして甘さが分かる労働種であるため、吐き気を催す。
「では、私は上で食べてきますので、ごゆっくりどうぞ」
スカルフェイスはそう言って、階上に上がって行く。四階のベランダからひとっ跳びで五階へ。人間離れしているが、匂いからして義足の力だろう。
労働種特有の獣のような匂いがしないから労働種ではないはずである。
「とりあえず、食べよう」
とりあえずトニッシュを食べる。
「うん、おいしい」
アンナが食べ終わるのとほとんど同時に、上からスカルフェイスが戻ってきた。持って行った皿は空になっている。
「おいしかったですよ。ありがとうございます」
「いえ、寝かせたもらったので」
砂糖まみれで本当においしかったのだろうか。それはわからないが、賞賛はありがたく受け取っておく。
「じゃあ、私、もう行く」
「どこへ行くのですか? もう夜です。宿もないでしょう。お金もないのでは?」
「……」
「一晩いて、明日の朝仕事を探しに行けば良いのでは? というかいてください」
「……わかった、一晩だけ」
「はい、ではお風呂にどうぞ。わかしてきました」
一階の比較的綺麗な部屋に浴室がある。
「では、ごゆっくり。私は上にいますので」
スカルフェイスはそこまでアンナを案内してから四階へと戻って行った。
「…………」
シャワーで手早く済ませようか。そう思ったが、浴室を見ると湯船に湯が張っている。温かな湯船を見せられると我慢するのは少し難しい。
それに、一晩戦って逃げての繰り返しで汚れている。服はあちこち砂埃や土で汚れている。髪もごわごわしてきているからゆっくり入ろう。
そう決めてアンナは、まず腰に巻いている銃帯を外す。様々な道具がくっついた銃帯を用意されていた籠の中に入れて、帽子は洗濯機関の上に。
上着を脱いで内と外にあるポケットに入っているものを取り出す。それも籠にいれてから上着をぱんぱんと振って土や砂を落とす。黒だから汚れは目立たないが労働種の鋭い嗅覚によればかなり臭い。
「洗濯機関、借りよう」
そう決めて、上着を綺麗に畳んで籠の中へ。厚いブーツを脱いで端に揃えて裸足になる。久し振りの裸足に気が楽になった。
ズボンを脱いでやはりたくさんのポケットの中に入っているものを取り出してこれも畳んで籠へ。シャツを脱いで畳み、下着を脱ぐ。
ようやく生まれたままの姿になった。労働種としては、布の服を着ていた為、今の装備は多少窮屈だ。尻尾も隠さねばならないからなおさら窮屈に感じる。
だから、裸というのは気が楽だった。解放感と自由を感じる。ようやく自由になった尻尾をふりふりと振って具合を確かめてみた。
「うん、大丈夫」
あまり窮屈だと具合が悪くなる。こればかりは少し不満。
「あ、これも外さないと」
つい忘れそうになる眼帯も外す。慣れてしまえばもうないのと同じだからつい忘れてしまう。久しぶりに双眸で世界を見る。変わらず、世界は広く、残酷だ。
「……」
扉を開けて湯室に入る。湯船にはったお湯は未だ熱く、白い湯気が視界を満たした。蒸気とは違う少しだけ優しいもの。気分を良くして身体に湯をかけた。
少し熱めの丁度良い温度。何度かかけて砂汚れと煤汚れを落としていく。自分で用意した石鹸で身体を洗う。指先から、足先。足と腕、尻尾は特にしっかりとマッサージしながら洗う。髪と耳はさらっと。
身体は、見ただけでバランスが崩れているのがわかる。右腕のせいだ。右腕。義腕。大切な人の形見。身体の小さなアンナには不釣り合いな鋼鉄の巨腕。男の人の大きな大きな腕。
手入れはしているが、このところ戦いが多かったから少しだけ反応が鈍い。中の歯車機関の調律も少しだけ狂っているように聞こえる。近いうちに修理屋に持っていく必要があるだろう。
握り拳を作る。ぎぎぎ、と少し古い型の為か軋みが上がった。あとでしっかりと手入れしなければならないことを頭の予定表に書きこんでから湯船につかる。
「ふぅ……」
軽く息を吐いた。疲れが溶けだして消えていくよう。肩まで使える湯船を伝えたという極東都市からの商人は本当にいい仕事をした。アンナが小さいためどの湯船でも足を伸ばせるからあまり関係はないのだが。
「んー」
伸びをする。ぴんと、脚と腕と背中と尻尾を伸ばす。十分に湯につかって身体を温めてから湯船を出る。風呂場を出ると冷たい空気が火照った身体を覚ましてくれた。
今はまだいいが、このままでは病気になるだろう。都市は冷える。都市を支える蒸気機関を冷却するために冷やされているからだ。そのため夜はいつも以上に冷える。
布で身体と義腕を拭く、髪と耳と尻尾は入念に乾かしてからトランクから着替えを取り出す。
「何もなかった……」
トランクに仕掛けられた盗難防止用の仕掛けは作動していない。こじ開けられてもいないし、ここに近寄った形跡もない。
四階の居間と呼べる部屋で彼は今も座っているのを労働種の感覚は掴んでいる。
「良い人、なのかな」
少しは信用してもいいかな、とアンナは思う。何かするなら無防備な風呂の最中のはず。そのためにわざわざ隙も晒していた。だというのに、彼はなにもしなかった。なら、少しは信用していい。
着替えて、帽子をしっかりとかぶりGKをいつもの位置へ。それから、労働種の身体能力を使って四階まで一気に跳ぶ。
「どうだったかな?」
「気持ちよかった」
「それは良かった。じゃあ、寝ると良い。明日も早いのだろう」
アンナはこくりと頷く。昼間に眠ったが、温まったらまた眠くなってきた。
「ソファーを使うと良い。私は、上の工房で寝るので」
「ありがとう」
「気にしないでください。可愛い女の子の力になれるのですから」
「…………それじゃ、おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」
彼は上の階へ跳びあがって行った。アンナも再びソファーに横になる。GKを左手に持ったまま、目を閉じるのであった。
アンナの規則正しい寝息。彼女が眠ったことをスカルフェイスは確認する。
「眠りましたね。さて、行きましょうか」
ここから先は仕事の時間だ、とでも言うようにスカルフェイスはアンナを起こさないように廃墟を出て行った。
「…………」
アンナは目を開ける。請負屋と似たようなことをしていると言った。一体彼は何をしているのだろうか。夜の仕事は大概後ろ暗い。夜の闇の暗がりと同じく暗いし黒い。
考えられる仕事は、いくつかある。請負屋。ただ、これは似たようなことをしていると言っていた為除外される。
だからそれ以外。男娼、殺し屋、スパイ、テロリスト。犯罪者とかそんなものだろう。
「…………」
ふと、そこまで考えて、意味のないことだとアンナは気が付く。彼が何をしていようが、関係ないのだ。そう関係がない。彼が何者であっても。
世界の果てを目指せるのであればなにも関係はないのだ――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
機関都市の夜は街の大半が寝静まる。しかし、ある一部の場所だけはここからが本番とばかりに活気を増していく。
歓楽の街。夜こそが本番という欲望の街だ。ありとあらゆる欲を満たす為の店がここにはある。表にも裏にも、地下にすら。
知る人ぞ知る蒸気の供給の止まり冷やされた夜の蒸気管の中にだけ存在するという秘密の店すらもここには存在している。
悪法たる禁酒法への抵抗運動とばかりに運営される地下酒場は当たり前。欲望のはけ口たる娼館など掃いて捨てるほどにある。
一部のコアなマニア向けの違法自動人形の店だとか、あるいは年端もいかぬ少年少女の店、殴り合いが出来る店なんかもどこかにはあるだろう。
その果てに究極の禁忌である殺人すら金次第で行える店があると、まことしやかにささやかれていたりする。ここで発散できない欲はない。ありとあらゆる欲望のはけ口。ここが楽園。紳士淑女が一夜の夢を金で買う場所だ。
そんな歓楽街のほかのどこよりも綺麗に舗装されわずかな段差すらない石畳をスカルフェイスは歩いていた。その奇妙な出で立ちもここでは追及されない。
歩く者、すれ違う者皆一様に仮面をつけている。包帯までまいているような過剰な奴はいないが、ここにいる者は皆正体を隠している。
都市広報や、噂好きで、あることないこと新聞記事にできるほら吹き記者に見つかれば都市が立ち行かなくなるような大人物や紳士がここには来ているのだ。
だからこそ、ここでは仮面をつける。誰も彼もが仮面をつけて他人を詮索しない。ここに犯罪者がいたとしてもわからないだろう。
警邏ですら立ち入らない場所。そんな歓楽街をスカルフェイスは歩いていく。目指す場所は、裏通りに店を構える小さな娼館だった。
普通なら浮浪者やごみ漁りがいるはずの裏通りには誰もおらず、代わりに痩せ細った鼠顔の支配人がスカルフェイスを出迎えた。
「お待ちしておりました旦那。どうぞ中へ」
「ああ」
スカルフェイスは日中とは違い、どこか険しい声色で招かれるままに中に入った。淡赤色の機関灯が照らす艶やかな雰囲気が彼を迎える。
甘ったるい空気と酒のアルコール臭、規制薬品の匂いが店の中を満たしていた。共鳴器から流れる官能的な音楽に交じって女と男の嬌声が響いている。
標準的な娼館の姿。少し違うと言えば、大きな広間にほとんどの客がいるということくらいか。他人の行為を見ながら自身の行為も行える。
ここは、見られて喜ぶ連中御用達の店だ。勿論、スカルフェイスは見られて喜ぶ趣味はない。ここに来たのは仕事の為だった。
「こちらへどうぞ」
鼠顔の支配人は奥の部屋へと入る。そこは階段があった。まるで生き物の食道とも思えるようなそこをスカルフェイスは降りていく。下へ、下へ。地下の蒸気管や下水道すらも越えて下へ、下へ。
終点の扉をくぐれば目的地だ。そこは表の店とは雰囲気が異なっていた。もはや違う場所というくらいに。昼と夜というくらいには大きな違いがあった。
暗い。まず暗い。何かの生き物の消化器官の中だと言われても信じられるようなそんな気がするような暗がりだ。
響くのも艶やかな音楽でも女や男の嬌声ではない。蒸気を噴き出しながら機関の駆動する音。歯車が回り、シリンダーが稼働しピストンが奏でる重く低い音が響いている。
そこにあるのは巨大な機関だ。壁一面歯車の巨大機関。ただ見ただけでは何に使うものなのかすら見当がつかない。
おそらくは高名な機関数秘学の著名な碩学が設計したのだろう無駄のない機関がそこで駆動していた。
『来たな』
部屋に備え付けられた共鳴器から声が響く。低い声だった。それでいてしわがれている。おそらくは老人だろう。共鳴器の中にある映像板にも老人の影が映っている。
『ついに我々、高名にして無名なる学問の徒がその姿を表舞台に晒す時が来たのだ。貴様にも機関の産声が聞こえるだろう』
共鳴器の声はそういう。スカルフェイスにはわからない。ただ黙って老人の声を聴く。
『おお、偉大なりし先駆者チャールズ・バベッジ、碩学王トーマス・エジソン、共鳴器の女帝ニコラ・テスラ。今こそ、我らが彼の偉大なる者たちを超えるときだ』
偉大なりし者たち。世界を変容させた者たち。それを讃え、賞賛し、喝采し、今こそ超えんと叫ぶ老人の言葉を聞きながらスカルフェイスはついにこの時が来たのかと、悟った。
『故に、前途を阻む者を抹殺するのだ。偉大なる機関実験。我らが超越し新世界を語る為に。神は死んだとのたまう気狂い。我らが成功作にして失敗作超人ツァラトゥストラを抹殺するが良い。それが貴様の存在理由だ。顔のない男。髑髏が顔の男よ。もはや、逃げられぬぞ』
「…………」
『沈黙は是とみなす。明日だ。明日、ツァラトゥストラがここに来る。もし貴様が失敗したのであれば、容赦なく我らはこの都市を灰燼と化し超人を殺そう。我が娘もそれで目を覚ますだろう』
「了解した。偉大なりしカール・ルートヴィヒ」
老人の声は消えて、機関が駆動する音だけが響く。靴音を響かせてスカルフェイスは、階段を昇る。昇っているのに、堕ちている感覚がした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
明け方。まだ霧が都市を覆うくらいの時間にアンナは、蒸気二輪を押しながら大通りを歩いていた。まだ、霧が音を反射する時間。静寂が都市を支配している。そんな中を大音量の駆動音を響かせて走る趣味はアンナにはなかった。
スカルフェイスには、お礼として朝食と書置きを残しておいたので、問題ないだろう。
「さてと……」
蒸気二輪を押しながら店を探す。どこか喫茶店のような人の集まる店。酒場の変わりに、ここでは紅茶とコーヒーが表向きの酒替わり。
そういう店には人が集まり請負屋がやる仕事も集まる。まずは、そこで日銭を稼ぐ為に仕事を探す。有名になれば、街に落ち着いて専属という形になることも出来るが、アンナにはそれは望めない。
労働種とバレてはならない。世界の果てを目指すという目的上、一つ所にとどまることもできないので、臨時の請負屋として仕事を探す。
できれば力仕事などが良いと思う。朝早い時間ではあるが早すぎる時間というでもないはず。既に日が登るのと同時に都市中央の大機関は動き出しているのだから一軒くらいは開いているだろうと当たりをつけて大通りを歩く。
予想通り、一軒の喫茶店を見つけた。ちょうどオープンしたところだ。表に蒸気二輪を停めて、喫茶店へと入る。
綺麗な木造の店。木造の店は珍しい。自然の木自体が減っているという事もある。木は貴重だ。紙にも、燃料にも、家具にだってなる。床や扉だけは木という建物は多いが、全てが木で出来た純木造の店は珍しい。
それだけ稼いでいるか、作ったものが裕福であったかだ。あの人の家は前者だった。中は綺麗だ。しっかりと掃除されているのだろう。床には煤汚れ一つない。
入口で煤を落としながら、アンナはゆっくりと足を踏み入れる。足音と共に木の小気味の良い軋みが響く。思わず耳を動かしてしまうくらいには良い音色だった。
「良いお店」
「あら、ありがとう。可愛いお客様? 一人? こんな時間にお嬢ちゃん一人は、危ないわよ」
店員はピンクブロンドの可愛らしいエプロン姿の女性だった。カウンターに座るアンナに彼女はそう言う。
如何に武装していようとも子供を請負屋とは思わないだろう。そういう、遊びをしている子供と思われるのがオチだ。こんな時間からやっているのは大層気合いが入っていると思われていそうであった。
「問題ない。仕事を探しに来た」
「うーん、ごめんね。店員は間に合っているわ」
「違う、請負屋の」
「お嬢ちゃんが請負屋。うーん、本当?」
「本当」
真っ直ぐに店員が眼帯に包まれていない青い瞳を覗き込む。アンナは真っ直ぐに相手の翡翠の目を見返した。
「うん、嘘じゃないみたい。そっか、なら何か注文して。仲介料変わりなの」
「えっと……ミルク」
「はーい」
グラスに、ミルクを一杯注がれてすぐに出てきた。それを飲み干すと、
「じゃあ、こっち来て」
店員は、そう言ってアンナを奥の部屋に案内する。奥の部屋にはテーブルと壁一面の張り紙がしてあるボードがあった。
「カードだして」
ナンバーカードを差し出す。それを店員は受け取ってテーブルの上に置いてある機械へと通す。キーをカタカタとタイプしてミルクの代金をナンバーカードから引いて、アンナに返す。
「はい、これで良しっ! さあ、好きな仕事を選んで」
アンナは頷いて、仕事を見ていく。張り紙に書かれている仕事は様々だ。それらを見て、一つを手にしようとしたとき、
「ん――?」
アンナの鋭い聴覚は、爆発を捉えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ぐおおお――」
爆炎と爆煙の中から大きな影が飛び出してくる。スカルフェイス。それに追従するのは、一人の男。
青のような黒髪に同じ色の瞳を太陽のように輝かせて。否、真に輝いている。さながら正義の味方の如く腕を組んで彼はそこに立っていた。
漆黒に棚引くマフラーは首に。ケノトロンの輝きを宿す機関時計は彼の腰で爛々と輝いている。
――超人ツァラトゥストラ。
男はそう呼ばれる者だった。正義の味方。誰もが夢想する、夢の具現。光を纏い、機関を駆動させて彼は全てを救う。
「そこまでだ、顔のない男。髑髏顔の男よ。お前では、私には勝てない」
「あーあー、言ってくれますね。まったく」
「純然たる事実だ。神は死んだ。偽りの歴史、偽りの世界。平面なりしこの世界の真の姿すら忘れたお前たちに、俺は殺せん。だが、安心すると良い。全て、俺が救おう。」
「キャー! ツァラトゥストラ様ー! 好きー! 結婚してー!」
大真面目な話に飛び込んでくる黄色い声。それは女の声だ。少女がそこにいる。まるで男の子のような作業着とでも言わんばかりの恰好をした女がそこで大きく手を振っていた。
「ああ、また君か、フレドリカ・ニーチェ。造物主が、創造物に恋をしてどうする」
「余所見は、行けませんね!」
突撃するスカルフェイス。両の拳を握り振りかぶる。直撃する。相手は余所見をして彼の動きを見ていない。
しかし――。
「問題はない」
しかし、男に拳が当たることはなく。スカルフェイスの背後にいる。
「また、それですか。どうやっているんですかね」
「ん? これが不思議か。説明はしたはずだが。難しかったか。ならば簡単に言おう加速した。それだけのことだ。真空管に増幅されたエネルギーが機関を超過駆動させるのだ。永久機関は、無限の回転の中で加速していく。その加速が時を振り切った時、俺自身を含めて加速に巻き込むのだ。まあ、早々使えるものではないな」
加速して、加速して、加速して時を振り切れば未来へ行ける。それを思考に限定してやれば未来予知となる。見えていようが見えていまいが関係ないのだ。
無論、そんなことを言われてもスカルフェイスにはわからない。
「いい加減殺されてくれませんかね。そうでないと」
――この街が終わるんですよ。
「そういうわけにも行かん。俺にはやるべきことがあるのだ」
「そうですか」
ならばこそ、話が通じないのであれば、スカルフェイスは、己の機能を解放する。
「右腕、解放――」
包帯が、破けるように解かれた。そこにあったのは鋼の腕。ガチリ、ガチリと機関が組み換わり、高圧縮された重蒸気を吐き出す。
ギアが回転し、クランクが回る。むき出しの歯車機関は、組み換わり、その腕の機能を解放する。シリンダーが回る。旋律が奏でられる。大気が振動する。
「なるほど、剣か」
それは対艦機関式共鳴剣。右腕に生じた剣。シリンダーが奏でる詩によって大気を揺らし、刃は赤熱する。
「両脚、解放――」
それだけでなく、脚もまたその機能を発揮する。
――撃発音、二つ。
次の瞬間には、既にスカルフェイスはツァラトゥストラの前にいた。十歩ほど離れていたはずの距離はたったの二歩でなくなった。
振るわれる共鳴剣。それを受けるのはツァラトゥストラが手にした道路標識。
「無駄ですよ!」
旋律を奏でる共鳴剣に斬れないものはない。旋律と熱が道路標識を切り裂く。
「良い旋律だ。これは、さすがにまずいか」
距離を取るツァラトゥストラ。
「逃がしません! 我が旋律に酔いしれて死んでいくが良い!」
両脚に施された、機能を開放する。それは内蔵兵装。撃発音と排莢音を響かせてスカルフェイスは疾走する。
反動加速打撃兵装。そんな名を持つ機関兵装。内蔵された特殊弾を炸裂させて打撃力を向上させるための兵装。だが、機能はそれだけにとどまらない。反動を利用して使用者を加速させることすら可能とする。連続炸裂させれば空すらも跳べるほどの反動を生み出す。
「ああ、確かに、お前の旋律は素晴らしい。酔いしれて死ぬのも悪くはないが――まだやるべきことがある」
対応するツァラトゥストラは、その拳を振るわれる共鳴剣にあわせた。刃に触れれば彼とて切れる。ならば刃に触れなければいいのだ。
灼熱程度ならば、超人の名にふさわしくその身に傷を負わせることなどできないのだから。巨大な剣の腹を叩く。
続く二連撃目、左の拳が唸りをあげる。それがスカルフェイスに直撃する刹那、轟音が響き渡った――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
放った弾丸は真っ直ぐに男の脳髄へと直撃した。大口径拳銃GKが放った弾丸の直撃を受けて男の頭が破裂する。
爆音を聞きつけて、その場にやってきて見れば知り合いが戦っていた。どういう状況かもわからなかったが、ただ撃った。
「スカルフェイス」
アンナは彼へと駆け寄る。
「なぜ……助けたのです」
「気まぐれ」
「……そうですか」
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫。あなたの顔を見ただけで私は元気百倍です。股間の元気も百倍です」
「そう」
普通に元気そうなスカルフェイスは無視して、撃ち殺したはずの男を見る。その男は、平然と立っていた。破裂したはずの頭は元通り。そこにある。
「いやいや、久しぶりに死んだ。回帰あとはまったく気分が悪い。さて、お嬢さん。君は何者かな? 関係者という風には見えないが」
「請負屋」
「ふむ。そうか。俺の邪魔をするのかなお嬢さん」
「状況次第」
「では、心配はいらないとは思うが、一応、言っておけば、彼は悪の手先だ。親玉の方に俺は用がある。このままでは、この街ごと機関実験を開始しかねない。それは世界の崩壊をも意味する可能性がある。正義は我にあるとは言わん。ただ、その愚かな男を抑えておいてくれるだけでいい。報酬は、支払おう」
「いくら?」
「これくらいだ」
五本の指が提示される。
「わかった」
「うむ、では――」
そう言ったその時だ、
「何か、来る!」
アンナの感覚が、地の底から這いあがる何かを知覚した。その瞬間、地が揺れる。都市が、割れる。悲鳴の合唱が響き渡り、地の底から機関が駆動する。
轟音を響かせて、重低音をかき鳴らし、重蒸気を噴き出しながら地下から巨大機関が浮上する。その大音量の駆動音にアンナは耳を塞いだ。
それは巨大な城だった。いや、城というよりは船か。巨大な翼を広げて、蒸気を吹き出しプロペラが回る。本来ならば浮き上がることすら不可能に思える歯車仕掛けの巨大な要塞が浮かび上がっていた。
「なに、あれ……」
あんなもの見たことがない。
「あの爺発動させましたね」
「ふむ、まったく君が時間を取らせるからだ」
『ふははははは! 見るがよい、我が娘をたぶらかせるツァラトゥストラよ! これぞ我が機関。我が魂。我が妄想の産物! 空中機関要塞ルサンチマンよ! ふははははは!』
機関の浮上ととに街中の共鳴器から老人の声が響く。
「まったくカール老め、年甲斐もなくはしゃいで。娘の前だからか」
「キャー、ツァラトゥストラ様ー!」
『ええい、娘から離れろおおおおお!』
その瞬間、曰く、ルサンチマンから砲撃が放たれる。爆音とともに砲弾が男――ツァラトゥストラへと向かう。やられる。アンナはそう思った。
しかし、
「まったく、危ないではないか。ここには老の娘もいるのだぞ」
飛翔した音速の弾丸を彼は受け止めていた。まるで軽いボールでも持つように人よりも大きな砲弾を受け止めてぽんぽんと手で遊ばせていた。
『貴様を抹殺するのが先じゃわい!』
「まったく、それでは本末転倒だろうに。さて、あれを落とすのが先か。あのままでは、大機関都市まで向かいかねん」
そのまま、ツァラトゥストラは、振りかぶって砲弾を投げた。発射されたのと同等の速度で投げ返された砲弾はルサンチマンへ直撃し爆炎をあげさせる。
『ぎゃあああ!? わしのルサンチマンがああああ!? 貴様ァ! もう許さん全弾発射してやるぞ、いいな、やるからな!』
喚き散らす老人の声。それと共に発射される数十の砲弾。しかし、その全てをツァラトゥストラは受け止め撃ち返してみせた。
老人の悲鳴がこだまする。その娘という人物は、それを見て黄色い歓声をあげていた。アンナは、どうすればいいのかわからなくなってきた。とりあえず、逃げた方がいいのだろうが、
「逃げる方が被害大きい気がする」
「でしょうね」
労働種としての勘が、逃げるよりここにいた方が安全だと言っている。ただ、どうにも嫌な予感というものがするので無事にいられるかは別問題とも。
「さて、そこの二人」
そんなことを考えていると、件のツァラトゥストラが、
「あれを落とす。住人の方は、俺が砲弾を跳ね返しながら先ほど避難させた。だから、落としても問題ない。はた迷惑だから、あれに乗り込んで落とそうと思うのだが、何分一人だ、手が足りん。そこで、二人に協力してもらいたい。きちんと報酬はだそう」
そんな提案をしてきた。
「私は、良い。あの倍出すなら」
「良かろう」
「はあー、もういいです。私もやりますよ。対艦なら、私が必要でしょう」
「良し。では、行くぞ」
「いやいや、その前にどうやってあんな高いところにいる奴を狙うんです。私はともかくお嬢ちゃんでは届かない」
「うむ、そうだな。良し、フレドリカ」
「なんでしょう!」
ツァラトゥストラが呼べば元気良く作業着の彼女――フレドリカは手をあげて返事をする。なんでも言ってくださいと瞳にハートを写しながら表情をきらきらと輝かせていった。
「船を用意してくれ。俺と、この二人が乗る用の」
「ハーイ、任されましたー!」
「いや、無理じゃ」
普通は無理だろうと思うような頼み。それを彼女は断ることなく遂行する。彼が砲弾を撃ち返して落ちてきたルサンチマンの残骸を集めて、彼女は組み立てを開始した。
螺子を回し、歯車を組み合わせ、形を作って行く。たった数分の間に、彼女は船を作り上げる。トロッコを三つ繋げて羽根を付けただけのような羽ばたき式飛行機械。
「できましたー!」
「良くやった。では、寝ていると良い」
「ごはっ」
「行くぞ二人とも」
フレドリカを気絶させた彼は、操縦席に乗り込むと手招きする。それにしたがって乗り込む。依頼を受けた以上アンナに断る気はなく、スカルフェイスも溜め息を吐きながらも乗り込んだ。
「よし行くぞ。まずは、お前の右腕でルサンチマンに大穴を開けて中に入る。老を捕まえたらお前の共鳴剣で、船体をバラバラにする。破片は全て私が受けもとう」
これ、私いらないんじゃないだろうか。そう思えてきた上に、あのデカブツを吹き飛ばすってどれだけの衝撃なんだろうかと考えて、現実逃避しかかる。
「良しでは行くぞ。あの辺りが良い」
だが、仕事になれば、本能的に右腕を構える。肘にあるスターターロープを引く。ガチン、と音がなって機関が駆動する。
がちり、と腕の中で歯車が切り替わる音を聞いた。それと共に高圧蒸気が圧縮され流されていく。拳が赤熱する。
高速回転する歯車の音の高鳴りと共に手の甲の圧力計が高まって行く。そして、
「充填完了――」
「行け。船体に大穴を穿て、青春は貫通だ!」
飛行機械から飛び出す。右腕を大きく振りかぶって、第一の圧力弁を開放した。撃発音の如き音を出して、中に充填した蒸気が肘から噴き出す。
低い凄まじいまでの風切音が鳴るとともに、アンナの身体が勢いよく回転する。続けて、第二圧力弁を開放すると同時に腕を突きだした。
轟音が生じる。拳とルサンチマンの装甲がぶつかった音。熱と衝撃で装甲が歪む。だが、貫通には至らない。ゆえに、アンナは最後の圧力弁を開放する。
身体が軋むような衝撃と共に拳が押し出され、装甲が砕け散った。歪みが最高に達し、大穴を穿つに至る。
「ふぅ」
「なあああああ!?」
そこは艦橋だった。老人が腰を抜かしていた。
「老よ。久しいな」
「ツァラトゥストラああ!!」
あとから入ってきた彼を見るなり老人はへっぴり腰で殴りかかる。それをひょいと躱して彼は老人を気絶させて肩に背負った。
「さて、ではこいつを落とすとしよう」
飛行機械に戻ってから、スカルフェイスに彼は言った。
「ああ、行きますよ」
スカルフェイスは、共鳴剣を起動する。奏でられる旋律。美しき、葬送の歌が奏でられ剣は赤熱する。その腕を伸ばし、ルサンチマンを切り裂いた――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふむ、終わったな。では、また、どこかで会おう。労働種の娘、骸骨の男。もし何かあれば俺の名を呼ぶがいい。お前の声を聞いた時、俺は必ず来よう」
そう言って、ツァラトゥストラは去って行った。カール・ルートヴィヒは警邏に捕まり、彼の娘であるフレドリカは去って行ったツァラトゥストラを追う。
「――それじゃあ、私も行く」
蒸気二輪にまたがりながら、アンナはスカルフェイスにそう言った。
「今度はどちらに?」
「とりあえず東に行ってみる。中央煙突まで。世界の果てに行くための情報を集める為に」
世界のどこからでも見ることが出来る巨大煙突。世界の中心とも言える場所にある巨大機関都市まで。
「そうですか。世界の果て。良い夢です」
「笑わないの?」
「笑いませんよ。あなたの夢が叶うことを祈っています」
「あなたは?」
「さて、どうしましょうか。とりあえずは朝食ですかね」
「そう。……あまり砂糖ばかりかけないでね。身体に悪いから」
「気を付けますよ。では」
「うん、ばいばい」
そう言ってゴーグルをかけようとして、
「おっと、そうでした。はい、これをどうぞ」
スカルフェイスがアンナに新しいゴーグルを手渡す。機関製の多機能ゴーグル。拡大、暗視、その他様々な機能のほかに音声放送すら聞けるという優れものだった。
「餞別です。どうぞお受け取りください」
「……ありがとう。じゃあ、代わりにこれ、あげる。古いのだけど」
自分のゴーグルと交換でアンナは多機能ゴーグルをつける。
「それでは、またどこかでお会いしましょう」
「うん、また」
そう言ってアンナは蒸気二輪を走らせる。次は、どんな街か楽しみにしながら――。
蒸気浪漫冒険活劇第二弾。
第一弾で登場した労働種の少女がとある街で仮面の男と出会うお話。
やはりスチームパンクは良いものです。とりあず、巨大空中戦艦とか、生身で戦う艦船と戦える超人ツァラトゥストラとか、共鳴剣(高周波ブレード)とか好きなワードが出せた楽しかったです。
皆さまはどうでしたでしょうか? 楽しんでいただけたのなら幸いです。
今回はこの世界についてのキーワードをいくつか出しました。
平面なりし世界とか、偽りの歴史とか。
トーマス・エジソンやチャールズ・バベッジ。そして、女になってるニコラ・テスラとか。
狂った歴史とか、男が女になっているのはスチームパンクでは良くある話です。
まあ、それは置いておいて、これらはそのうち語られるのではないかなと思います。たぶん、おそらく。次があれば。
次はどうしようかな。自動人形の心の話とか、世界の果てに何があるのかという話とか、空族なんかも出したい。
とりあえず、次のことなんてわかりません。また次回があればお会いしましょう。
そろそろこの短編シリーズに通しで付けられるタイトルが欲しいところ。蒸気浪漫冒険活劇じゃない奴。
しかし、思いつかない。誰かそれっぽいのを考えてくれないものか。
ともかく、スチームパンク流行れ。ではでは。