前編
1
「て、てめぇ、まさか、『魔法使い』……か?」
オレの革の上着の胸ぐらをつかんだ、いかにも野盗って感じのヒゲオヤジの表情が、その瞬間、見事なまでに一変した。
「どうやら、こいつが何を意味するかぐらいは知ってたみたいだな」
信じられぬといったようにオレの胸もとを--いや、正確にはオレの首にかかったミスリル銀の五芒星のペンダントを見つめるヒゲオヤジに、オレはニヤリと人の悪い笑みを浮かべて言ってやった。
ヒゲオヤジの顔が、面白いぐらいにサーッと青ざめる。同時にその驚愕は、後ろで一人の少女を囲んでいた四人の野盗共にもザワザワと広がっていった。
最近このセオデン王国がお隣のロイド王国と臨戦状態になって以来、こういう野盗の手合いが激増していて、街道のあちこちで村は荒らすわ、キャラバンは襲うわ、旅人に絡むわと好き放題にしている。
今、気ままに旅をしていたオレが、偶然ばったり行き当たったのも、そういった内の典型的なケースの一つであった。
正直言えば、別に『正義の味方』を気取りたいわけでは無い。どちらかと言えば、要らないもめ事には口を突っ込みたくない方だ。だが、かと言って、目の前で女の子が不幸になろうとしているのを、見過ごしていく程冷めてはいない。
それに個人的に、野盗などという連中は大っキライなので、仕方無く助けに入ったのだ。もちろんあくまでも穏便にすませるつもりで--
なのにこの連中と来たら、せっかくこのオレがごくごく紳士的に「薄汚ぇ屑どもが、いたいけな女の子泣かせてんじゃねーよ。うぜぇから消えな」と忠告してやったのに、このバカ共は聞かないばかりか、声を荒げて薄汚い手でつかみかかってきやがった。
そんな礼儀を知らない奴らに遠慮はいらない。そこでオレとしても奥の手を出させてもらった--というわけである。
まぁ上背こそはあるが、細身で鎧もつけてない、丸腰同然のオレをなめきっていたであろうのもムリは無いが、それだけにオレの正体を知った時のショックもでかかったに違いない。胸をつかむ野太い手から、ガタガタと震えが伝わってくる。
「----!!」
それまで怯えきってうずくまっていた14、5歳ぐらいの少女が、目に希望の光を浮かべてオレを見る。オレは安心させるようにフッと少女に向かって微笑むと、次に震える野盗共へと満遍なく視線を移し、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「どうだい、この紋章だけじゃあなんだから、証拠もついでに見せてやろうか?」
挑発的にそう言い放った次の瞬間、オレは静かに呪文の詠唱を始める。
ビクゥッ! 黄昏時の薄闇の中、次第に金色の光を放ち始めたオレの右手に、ゴロツキ共は凍結した。ヒゲオヤジなどは恐怖のあまり、手を放すのも忘れて立ち尽くしている。
そんなゴロツキ共にトドメを刺すべく、オレは思いっきり残忍な顔を作ると、低い声で言ってやった。
「さぁ、どうして欲しい……?」
そしてゆっくりと、光る右手を見せつけるようにして掲げていく。
「粉々のチリになりたいか……それともカリカリのベーコンになりたいか……?」
と、それだけ言えば充分であった。
「ヒ、ヒィィィィィッッ!!」
ゴロツキ共の呪縛が一瞬で解ける。そして次の瞬間には、全員そろって転びまろびつ、後ろも振り返らずに逃げ出していってしまった。
「……ふぅ……」
オレは軽く息をつくと精神集中を解いた。同時に右手の光もスッと消滅する。
いつもの手だが楽なもんだ。世間様は『魔法使い』と聞くとすぐに、火球や雷光などの攻撃魔法をぶっ放す、歩く殺戮兵器みたいに考えてくれるから、ああいう単純な連中をあしらうなど造作も無い。
ちなみに今のはハッタリで、オレにはそんな物騒な力は無い。『魔法使い』と一言で言っても、その魔法の力は一人一人違うのだ。だが、相手が勝手に誤解する分は知ったこっちゃ無い。訂正してやる義理は無いし、大体オレは自分の魔法の力が嫌いなのだ。正直、人に知られたくも無いし、こんな脅し以外には使う気にもなれない。
なにせ、オレの持つ魔法の力というのは……
「あ、あの……あ、ありがとうございました!」
オレが一人自虐的な気分に陥りかけていたとき、それまでグスグスと涙をぬぐっていた女の子が、おずおずと声をかけてきた。
可愛い子だった。それも、とびっきり。これまで夕暮れだったし、距離があったから良く分からなかったが、なるほど、これならあのゴロツキ共が悪さをしてみたくなる気持ちも分かる気がする。まだまだ幼さが残る顔立ちは旅塵に汚れて、着ているものも男みたいな色気の無い格好だが、間違い無く磨けば光る玉ってヤツだ。
「本当に困ってたんです。あなたが助けてくれなかったら、どうなってたか……本当にありがとうございました!」
少し低めだが、鈴を転がすように澄んだ、そして甘い声である。
「あ、ああ」
思わずドキッとして口ごもるオレに、女の子があふれる感謝を込めて深々と頭を下げようとしたそのとき、足でもくじいていたのか、不意に女の子はバランスを崩すと、オレの方に倒れかかってきた。
「きゃっ……!」
「お、おい、大丈夫か!?」
慌てて抱き止めるオレ。柔らかい感触が身体一杯に広がる。一瞬、役得に顔が緩みかけたオレだったが、すぐにいぶかしさが甘美な思いに取って代わった。
胸が、無い。全く無い。
そして偶然手が触れてしまった、このお馴染みの感触は……?
「やっ……」
事故とはいえ大事なところに触れられて、女の子が真っ赤になってオレから離れる。だが、『女の子』というのは、この場合は違っていた--
「お……男……なのか?」
唖然としてどう見ても女の子にしか見えない目の前の姿と、現実を味わった手とを見比べるオレの前で、少女、いや少年は、恥ずかしそうにコクンとうなづいた。
2
パチパチパチパチ、焚き火の炎が夜の闇を照らし、弾けた火の粉が風に舞う。
かすかに秋の霜気の漂う、肌寒い夜である。どこか遠くから獣の鳴く声が聞こえてくる。
そんな物寂しげな夜、オレと、ミシェルと名乗った少女……もとい少年は、毛布にひざをくるめて、ささやかな夕食を取っていた。
「--どんな理由があるかは知らねぇけどな」
熱いスープを一口すすりながら、オレはミシェルに言った。
「今、この国は開戦前夜で物騒なんだぜ。オレみたいな腕に自信があるヤツならともかく、お前みたいな女にしか見えないガキが、一人で旅していいご時世じゃねぇぞ」
ミシェルはしゅんとして、オレの説教を聞いていたが、やがてポツリとつぶやいた。
「……人を……探しているんです……」
「人探し? もしかして生き別れの妙齢のお姉さんとかか?」
半分はオレの願望込みの軽口に、だが、ミシェルは小さく首を振ると続けた。
「『魔法使い』なんです。それも『生ける伝説』と言われる人で……」
「……伝説の魔法使い?」
はて、誰のことだろう? オレは眉をひそめながら、器に盛られた熱々のスープに顔を近づけると、ふうふうと息を吹きかける。
「はい……伝説の呪文、《性転換》が使えるという魔法使いなんです」
ずべしゃぁぁぁっ!
「どわぁちっちちちちち……」
オレは思わずスープに顔から突っ込むと、あまりの熱さに辺りをのたうち回った。
「あ、あの、大丈夫……ですか??」
激烈なオレのリアクションに、ミシェルがおろおろと尋ねかけてくる。
「い、いや、何でもネェよ」
顔中ぐっしょりかかったスープをぬぐいつつ、オレはぶんぶんと首を振った。そして内心の動揺を悟られぬように、話をミシェルに振り返す。
「しかし、一体全体何でそんなわけのわかんねぇ魔法使いを探してるんだよ……?」
言って愚問と気が付いた。ミシェルみたいな男がそんな魔法使いにあって望むことなど決まっている。
「……もしかして、女になりたいのか?」
オレの問いに、ミシェルは一瞬恥ずかしそうに口ごもったが、だがすぐに真剣な面持ちでうなづくと、静かに事情を話し始めた。
--それは今から一週間ばかり前のことだった。国境にあるミシェルの住む村が、突然ロイド軍の一隊に急襲されたのだ。
国境とは言え大した戦略的な価値も無い小さな村なので、警備兵もほとんどおらず、平和だった村はたちまちにしてロイド兵たちに蹂躙された。家が焼かれ、物資が奪われ、村人たちが次々と犠牲になる中、ミシェル自身も女の子と見間違えられ、危うく飢えたロイド兵達の毒牙にかかるところであった。
が、そのとき、一騎の白馬の勇者が現れた。
それは誰あろう--偶然、この近隣を視察していた、このセオデン王国の第一王子であるエリックその人であった!
白馬将軍との異名を取る王子とその親衛隊たちは、瞬く間に敵兵を蹴散らし、ロイド軍は潰走した。村はすんでのところで全滅を、そしてミシェルもまた貞操の危機を免れたのだ。
そんな華麗にして颯爽たる美貌の王子の姿は、鮮やかにミシェルの心に焼き付いた--要するに一目惚れをしたのである。
オレもエリック王子の噂ぐらいは聞いている。国中の女の子にモテモテだが、本人は堅物と評判で、二十歳になっても縁談どころか、浮いた噂の一つも無い。普段は直属の騎士団のメンバーとばかり行動を共にし(またそれが主に似て美男子ぞろいで、ますます国中の女子たちを「自分は誰それが推しメン」と騒がせていたのだが……)、色恋沙汰には見向きもせずに政務や武芸に励んでいるという。
「……それで、その王子のために女になろうって言うのかよ?」
ミシェルは頬を染めてコクリとうなづいた。いや別に今のままでもそうしていると、恥じらっている美少女(それも極上の)にしか見えない。
「でもよぉ、エリック王子はクソ真面目で女にゃ興味が無いんだろ? ちょっと発想が飛躍しすぎじゃねぇか?」
オレが投げかけたその疑問に、ミシェルはますますかぁぁっと紅潮すると、恥ずかしそうに、でも同時にとても幸せそうにつぶやいた。
「その時、王子様はおびえているボクを優しく抱き起こそうとしながら、こうおっしゃったんです。『ああ、何て可憐な人なんだ……君こそ私が求めていた人だ……』……って☆」
「アア、ハイハイソウデスカー」
幸せすぎる記憶を反芻しながら、『恋する乙女』そのものと言った様子になるミシェルに、いささかげんなりするオレだったが、そのとき不意にその整った顔に影が差したかと思うと、一転しょんぼりとした声になってミシェルは続けた。
「でも……そのときボクは思わず王子様を拒んでしまいました。だってボクはこんなだけど『男』だから……それにこれまでもずっと村のみんなから『気持ち悪い』って言われてきたんで……。でも、もしも……もしもボクが本当に『女の子』だったら、ためらわずに王子様の胸に飛び込んで行けたのに……」
じわっ、ミシェルの瞳に涙がにじむ。そしてその大きな瞳をうるうるとさせながら、オレの目を上目遣いに見つめてくる。
「ねぇ、ロイアスさんも『魔法使い』なんでしょ? だったがもしかしてその『伝説の魔法使い』をご存じじゃありませんか?? お願いです! どんなささいなことでも良いんです! 教えてください!」
そのあふれる熱意と凶悪なまでの可愛らしさに、思わずたじろぐものを感じたが、しかしオレの答えは無情だった。
「……あいにくだが、知らないね。それにそんな『魔法使い』がいるなんて聞いたことも無い。つまらねぇ、噂を信じてねぇで、村に帰りな」
「そ、そんなぁ……」
オレの言葉にがっくりうなだれると、ポロポロと涙をこぼすミシェル。
「でも……もうボクには帰るとこが無いんです……両親はボクが小さい頃に亡くなってて、置いてもらってた叔父さん一家も、今回の襲撃でみんな死んでしまいました……それにどうせ帰っても『男女』って虐められるだけだし……」
「………………」
そう言ってさめざめと泣くミシェルの姿に、オレは内心弱ってしまった。何の自慢にもならないが、オレは泣いてる女の子にとても弱いのだ。こいつは男だが、見た目はあくまで女の子。どうにも胸が痛んで仕方が無い。
それに天涯孤独という身の上にもついつい自分を重ねてしまう。しかもそこに至るまでの経歴もとても他人事とは思えなかった。
そしてその結果、結局オレはこう言わざるを得なくなってしまった。
「わーったよ。仕方ねぇなぁ。そんな『魔法使い』がいるとは思えないけど、とりあえずお前の落ち着き先が見つかるぐらいまでは、一緒に旅をしてやるよ。そいつを探す手伝いをしながらな。それでいいだろ?」
「……えっ!? 本当ですか!!」
ミシェルの顔がぱぁぁっと輝く。ううっ、可愛い。あいにくその気は全く無いのだが、でもこんな表情を向けられると悪い気がしないのもまた事実だ。
--かくして、オレはこいつと一緒に旅をすることになった。
それがいかに馬鹿馬鹿しいことか、誰よりも充分承知しながら……