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その3 三日め 友、近隣から来たる 続々来たる 1

この日、田中一郎は長年の友人の元を訪ねた。


彼にとっての母校、相手にとっても母校で職場である大学の教授、慎一郎の自宅へ。


かつて大学でしのぎを削った面子が珍しく東京に集っていたから。


それぞれ忙しい立場のいい歳した大人だ。4人揃う機会は意識して作らなければできない。


次はいつあるか。


そもそも集まれるのか。


定年はまだ先ではあるけれど微妙なお年頃になってきた彼らが久方ぶりに旧交を温めようというわけだ。


いつものことだが、一番最初に到着するのはなぜか田中と決まっている。


「イチローおじさん、こんにちは」


玄関先で長男・一馬ははきはきと応対し、彼を自宅へ招き入れる。今の季節にふさわしい、新緑の緑をその身にまとわせたしなやかな若木のような伸びやかな印象を醸す青年だ。


「今日はお母さんは」


「出かけてるよ」


勝手知ったる場所のこと、遠慮は一切なく田中は上がり框に足をかけた。


「イチローおじさんだ」

三男・三先は明るく挨拶する。少し長く伸ばしたさらさらとしたくせのない髪は父親から受け継いだもの。目元が秋良にそっくりで笑顔に愛嬌がある。それに反し、


「どうも」


と少し無愛想なのは次男・双葉。


この次男が、顔立ちといい、雰囲気といい、一番父親の慎一郎に似ている。


あの、何を考えてるかわからない学生だった友人の若い頃を彷彿とさせて何とも愉快だ。


息子たちに接待を任せている父親はといえば、縁側に腰掛けて片手を上げて友人を招いた。


「横着するなよ」


どうぞと差し出された座布団を使い、田中は言う。


「子供が三人もいるわけだから。彼らにも仕事を与えるべきだろう」


友人はなんとも素っ気なく言う。


この口調がやはり次男とつながる。彼だけではない、長男も三男もそうだ。息子たちは、好むと好まざるとに関わらず父親の影響を受け、影を追い続けているのだろうな、と田中は思う。


「蛯名と宗像は?」


「追っつけ来るんじゃないか」


「秋良ちゃん、出てるんだって?」


「ああ、今日は本来休みだったんだが」


「ゴールデン・ウィークの最中にか? 珍しくないか」


「その通り。けど、休みであって休みではなかった。自宅待機に近いものだったから、案の定。欠員が出て早朝から飛び出して行った」


慎一郎の妻、秋良は航空会社の客室乗務員だ。当初、国際線を担当していたが、さすがに子供が三人もできると家を何日も空ける国際線への乗務は難しい。二人目が産まれたのを機に国内線への希望を出し、それが受理されて現在に至る。今は後進の指導にも当たる立場だ。

「おや、昨日はテーマパークで遊んでたんじゃないの」



「今回はいろいろと重なって直前でキャンセルした」


「息子たち、怒っただろうー」


「末っ子はね、やはりね、すねていたが」


「結果的にレジャーは回避で正解だったと」


「そういうことになる」


「秋良ちゃん、今日は帰ってこれるのかい」


「いや。現地で一泊して朝の便で東京へ戻ると言っていた」


そこへ。はいどうぞ、と言わんばかりの粗雑さで、ふたりの間に飲み物が入ったゴブレットを乗せたお盆がどんと置かれた。


次男だ。


「双葉君……だっけ」


「はい、そうです」


いい加減確認するの止めろよ、覚えろよおっさん! と言いたそうな目で田中を見る次男は、生意気そうなところがやはり慎一郎を彷彿とさせた。少し話してみたくなって田中は続けた。


「学校はどう」


「まあ、普通にやってます」


「将来の進路は決めたの」


「一応。でも、言いません」


ああ、生意気だ。


けれど、子供が威勢よくひねくれている姿を見るのは嫌いじゃない。


これは将来が楽しみだ。


これ以上話したくないと、ぺこり、一礼して下がる双葉に、田中はにこにこ顔で、父親は苦笑して見送った。「お前の子供だなあ」と言って。


晩婚だった慎一郎は、彼らの年代としては年齢が若い子供を持っていた。


歳が離れたかみさんを娶ったからだが、結婚当時、彼女は三十路のとば口に立っていた。女性としては1990年代中盤の常識から行くと完璧な行き遅れ。晩婚だ。にもかかわらず親ふたりの年齢を考えると気持ちいいくらいに三人の男子がぽこぽこと誕生した。


結婚のきっかけを作ったのは女の方から。


もったりと進展しないふたりの間柄に見切りをつけた秋良が、他の男と結婚する気になったのを知るに及んで慌てた慎一郎は、恐るべき早さで行動し、見合前日に対面する相手から彼女を掠め取り奪っていった。効率が悪いことは嫌いだと言ってあっという間に結婚してしまったのだが、それを言うならもっと早く縁をつないでおけ! ばかたれ! と友人知人一族郎党に叩かれまくったことも懐かしい。


今はそれぞれに末も拡がり、彼らは第二の人生を考える時期に立とうとしている。


会話の内容も結婚前と後ではかなり変わった。社会的な立場での学術的な話題になると何ら変わりはないが、こと私生活になると話題の質が一変した。一に子供、二に子供、三四がなくても五に子供だ。


特に慎一郎は我が子のことになるとお茶目になるぐらいに心配し、あれこれ悩み、溺愛しているのが伝わってくる。ここで必ず口にするのが自分自身の年齢のことだ。


彼は四十を越してから初めての子を得ている。人によってはその頃に初孫を持つ者もいるから、年の差を意識せずにはいられないらしい。


この話題が出る度、だからもっと早く縁づいておけばよかったんだ、と諭されるのがわかっていて繰り返すあたり、相当気になっているようだ。


「お前のところは? もういい歳だっただろう」


慎一郎は聞く。田中の子息について言っている。


「おかげさまでやっと所帯を持つ気になったよ。今時は初婚年齢が遅いからなあ、本人はまったく自覚なかったらしいが、男も女も30半ばで新婚さんだ。これから子供を持つにしても諦めるにしても考える時間は短い。無事生まれてもいずれお前が直面した問題に頭を悩ますことになるだろうて。親の立場としては、まあ、やっと肩の荷が下りたというか、心配の種が増えたというか……今時は普通に暮らすこと自体奇跡に近いようなものだろ。健康に息災でいてくれればいいと思いつつ、自分らはカミさんと一緒に歳を食っていくのさ」


「いくつになっても悩みは尽きないものなんだな」


「だな。それより、お前。自分のことを考えにゃならんだろ」


田中は身を乗り出す。


「退官後のことか」


「そうそう。どうする。何か計画は立ててるのか」


「今すぐ言えることは特には。でも、これも近々に決断しないといけないだろうな」


イチロー・カルテットと渾名された四人はそれぞれ希望どおりの職責に身を置き、それなりの栄達を果たした。が、年齢は四人とも等しく取る。同じ時期に同じように新学期にはいると来学期の学習計画を立てる生活もあと何回続けられるか。


立ち止まって考える時期にさしかかっている。


「宗像は武先生と横山先生を目指してるらしいが?」


田中はまだ来ていない友人を引き合いに出す。


「未来の学長候補様か」


「らしいぞ」


「僕はごめんだな、わざわざ忙しくなるような仕事、選ぶ気が知れない」


「同感だ」


ふたりは軽く笑った。慎一郎はつぶやくように言った。


「できることと言ったら、いよいよ御役御免になった時に、経歴書に書き加えられる業績か論文をひとつでも増やしておくぐらいだ。もし叶うなら……もう少し教える立場であり続けたい」


「学生は何も現役の通学生だけに限らないからなあ」


「自分もそれは思う。時々単発でうちの学校や他の大学の通信学部のスクーリングに招かれるんだが、そこに来る学生たちは年齢も様々、しかし学習意欲はすさまじいものがある」


「ああ、俺も経験したことがある。何百人と入る講堂に学生がびっしり埋まっているのに私語が一切ない。針を落とした音も聞こえそうなくらいしんとして集中してるところを現役生に見せたいくらいだ。半端な授業ができなくてこちらも緊張する」


「質問の質もレベルもまちまちだが、何かを得ようとする意欲は刺激を受けるし」


「だなあ」


「それこそ社会人生活をリタイアしたのを機に生涯学習をと復学したり、大学の通信教育を考える人もいる。他大学で採用されているように、インターネットを介せば遠方からも講義を視聴や参加ができるから、通学生と何ら変わらない講義と質疑応答が可能になるんだ。近い将来、学びの方法はまた変わる。時代が変わるように俺たちも意識を変えればもう少し活動できる場は増えると思う」


「そこに活路を見出す、と」


「退官した先人たちも数多く辿った道に倣うというかね。手段は違ってもやることは同じだよ。まあ、きちんと業績を残せないと採用すらおぼつかないだろうが」


「そうそう、知ってるか? 某国立大の学長は、定年前に山ほど履歴書書いたっていうぞ」


「明日は我が身だな」


「だなあ……」


二人は手元に視線を落とした。


「お前は今日いらっしゃる宗像先生に、今のうちからゴマを摺っておいたらどうだ?」


「未来の宗像学長様にだな」


「来たけど」


自分達の話に夢中になっていて、他に人がいるのを忘れていた父親と客人に、双葉が声を掛けた。


「宗像おじさん。それと蛯名おじさん」


父の友人をもうふたり案内した次男はまったくお辞儀になってない頭の下げ方をしたが。


「きみい、双葉君! 大きくなったねえ!」


後から到着した父の友人である宗像に、髪の毛をわしゃわしゃとなで回され、もみくちゃにされて、自分より背が小さいおじさんにいじられ放題になった彼は、触るな、ジジイ! というメッセージを目線に乗せ、心底嫌そうな顔をした。


それが面白くてならないらしい宗像はあれこれ言って息子につきまとう。


「覚えてる? 君がこーんなに小さかったころ、親父の背中にくくりつけられて一馬君と一緒に学校へ来てた時、僕が面倒みてあげてたの」


これは残念ながら事実だ。


秋良は仕事柄家を数日単位で空けることが度々あり、母親不在時はベビーシッターに預けることなく父親が面倒をみた。父親は今で言うところの主夫ではなく普通に仕事をしていたので、出勤時には子供を文字通り抱えてベビーカーを押しながら大学の門をくぐる姿が度々見受けられた。大概は誰かしら面倒をみる者がいたり――友人と言う名の同僚、つまり宗像や教え子たち――寝ている間に仕事を済ませたりなどして場を保たせたものなのだった。


後に母校で教鞭を執ることになった宗像が同僚たる友人の子供たちの相手をする頻度はとても多く、慎一郎と宗像とではどちらがより多く子供たちの面倒をみたかわからないくらいだ。


そして、所詮小さな子供だ。ぐずってどうにもならないこともままある。そんな時、慎一郎は迷わずベビーキャリーで背負ったまま会議に赴き、講義に立った。父親の会議や講義中はとてもおとなしくすやすや寝む赤子を見守るように、さくさくと議事は進行し、生徒たちは講義に集中する。室内は静謐に包まれた。慎一郎が子連れ出勤する日はあらゆるところで私語がめっきり減り、仕事がはかどったとは今でも語られるエピソードだ。


「こいつさ、何人子供を作ってもさ、紙おむつですら替えるのがへたくそで、見てらんなくて。僕が替えてあげてたんだよ」


「……ありがとうございます」


「おむつ替えが間に合わなくて僕の膝の上で何度もおもらししてくれたの。覚えてるかなあ」


「すみませんでした」


覚えてるわけないじゃないか、と双葉は顔をしかめた。


思春期に足を踏み入れた子供に、おむつがどうのお漏らしがこうのという話題はNGだ。しかし。宗像は手控えない。


「秋良ちゃんより親父そっくりになってきたじゃないの、お気の毒に!」


「はあ」


「おやー、声変わり始まったんだね、可愛い声だったのに親父そっくりのおっさん声になっちゃうんだねえ、じゃ、脇毛も下の毛も生えてきた?」


「………………知るかっ!」


ぱくぱくと金魚のように口を開け閉めしている双葉は耳の裏まで顔を赤くし、やっとの事で言葉を出したはいいけれど二の句が出せずに父の友人たちから逃げ出した。


「大学はうちへ来るんだよ、僕が面倒見てやるからねー」


誰が行くか、クソジジィー! 


遠くから双葉の叫びが聞こえてきた。


「あーあ。逃げられちゃった」


「当然だろ」蛯名は言う。


「ハラスメント寸前だよ、未来の学長様。言動には気をつけたまえ」


「そうかなあ、これも若者とのコミュニケーションの一環だよお」


違う違う、と蛯名は首を横に振る。


「やっぱお前も次男萌えか」田中は軽口を叩いた。


「なんだよ、萌えって」


むっとして宗像は返す。


「ああ、でも、振られちゃったなあ。将来の学生候補が一人減っちゃうかもしれない。タカトー、うちへ進学してくれるように頼んでおいてくれよ」


「親が教える大学へは行きたくないだと」


「大丈夫! その頃にはお前は定年で辞めてる! 学校にいない!」


宗像はさらっとおそろしいことを言ってくれる。


苦笑しながら慎一郎は続けた。


「あれは航空大学へ行くんだそうだ」


「航空……って、じゃ、パイロットになる、つうの?」


「らしいな」


「親父の夢を子が叶えるって?」


「どうなんだろうな、どちらかというと母親が働くところを見続けている印象の方が勝ってるんじゃないかな」


えええー、そいつは残念ー、と宗像はぼやき、奥へ向かって声をあげる。


「双葉くーん、パイロットは、うちの大学からでもなれるんだよお、大卒からでも、大学院卒からでも、志願できるんだよおお!」


返答はなかった。


「ここで一番いじられるのは今も昔も双葉君なんだよな」


蛯名はぽつりと言った。


「そうそう。赤ちゃんのころからずーっとだなあ」


「上の子も末っ子もいるんだけど」


「何故なんだろうな」


慎一郎はひとり首を傾げた。


後から来た友人二人は「はあ?」と言う。


心の中の声はきっとこう言い合っている。



そりゃ決まってるだろう、顔から反応から全てがお前に似てて面白さピカイチだからだ!



うーんと首を傾げてる友人と突っ込みたくてたまらない友人ふたりを横から見て田中は、縁側で薫風に身をさらし、はるか昔に思いを致した。




◇ ◇ ◇



田中の家は代々続く学者一家だ。


祖父は元帝大の教授。


父親も国立大学の教授。


祖先に遡るとその地における重鎮として名を馳せた学者を代々排出している。


もっと言うと、母方にも学者が多い。


一家レベルではなく婚家含めて学者一族と言っても過言ではない。


その末席に預かるのだから、兄弟も祖父や父、ひいては先祖の後を追うべく日々精進している。


子の職業観や将来像は何と言っても親や親族の影響を多大に受ける。


たくさんの書籍に囲まれ、TVやラジオ、芸能とは無縁の、始終研究なり読書をしている親を見続けていればそれが普通の家庭像と映り、その他の生き方には目が向かない。


田中も子供の頃から、ごく自然に学者を志していた。


偉い先生になる。


おじいちゃんやお父さんみたいな、博士になる。


そう広言し、それを実践する生き方をしてきた。


新しい知識を蓄えていく為の勉強が好きだった。


『何故』に答えてくれる世界は魅力的だった。


いくら学んでも尽きることのない興味は次、さらに次、と彼を駆り立てた。


食事をするように新しい知識を飲み込んだ。


自分が会社員などの職業人として生計を立てる生き方は想像もできなかったからだ。


博士が目標だったので、単なる教職ではなく最高学府での就職を希望していた。


実情は親兄弟を見ていたからよくわかる。


狭い門だ。


けれど、自分ほど努力してるし、勉強してるし、適性のある人間はないと信じていたから、目標を達成すること以外の心配事はなかった。


そのはずだったのに、青天の霹靂と言うべきか。


思わぬ好敵手が誕生した。


高校二年の時、進級して日が浅かった。


あいつ、教職目指すんだってよ。


友人がもたらした噂の元となったのが、高遠から尾上に姓が変わったばかりの慎一郎だった。


当時、同学年に自分と同じような家庭環境で同じような進路を目指す男子生徒があと二人いた。宗像と蛯名だ。成績順にクラス分けをされていたので、田中を含めた教授希望者三人と慎一郎は同じクラス。慎一郎を除く三人は三人ともお互いをライバル視していたのに、そこにさらにもう一人加わるのか。


同学年にそう多くいて欲しくないのに、なんてこったい。


「あいつ、航空大学へ行くって言ってなかったか」


話を持ってきた友人・宗像に問い返す。


「らしいけどな。当初の予定通り、パイロットになっとけよ」


少し面白くなくて宗像は愚痴った。そして、彼は田中に問う。


「お前、気にならないのか」


「俺? ならない」


田中はさらっと答えた。


「先のことを憂いても仕方ないからな」


そして、慎一郎に俄然興味を持った。


民間機の操縦士も狭き門だ。


狭き門からもっと狭い門をくぐる気になった級友の心変わりの理由を知りたかった。


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