愛について
閲覧ありがとうございます。
いつも思う。
木崎の愛は今、どこをさ迷っているのだろう。
俺に“好きだ”と呟くのに、高校の帰り道、別に可愛くもない女と手を繋いでいるのをわざとらしく見せてくる。
かと思えば、その日の夜にいきなり“会いたい”だなんてクソみたいな電話を掛けてきたりする。
彼の愛とはなんだろうか。
「もう寝る所だったよ」
木崎の家族と顔を合わせた事は無い。
いつ行っても人の気配のしない一軒家に、その理由を彼に訊ねるといつも曖昧に笑って答えは貰えなかった。
電車に乗り、木崎の家に辿り着いたのは電話を受けてから約30分後だった。
以前受け取った合い鍵で中に入り、電気ストーブの前に丸まって暖まっていた男に不満を浴びせる。
「丁度良いじゃん。一緒に寝ようぜ」
クツクツと歯の隙間から漏れるような笑い声を上げながら、彼が俺を見上げた。
「なんで来たの」
そして愉快そうにそう続ける。
「木崎が俺に電話寄越したんだろ」
見下げるように、寝転がる彼の横に立った。
同時に、ブスと繋いでいた右手を踏みつけたくなる。
「したよ。したけどさ」
「来ないと思った?」
木崎の唇の端が嫌な形に歪んだ。
多分笑っているつもりなのだろう。
「そう。そんで、来なかったらタカハシを呼ぶつもりだった」
「誰」
「今日の帰り、見ただろ」
「ああ、あのブス」
にべもなく言うと、また彼は笑った。
「可愛いよ。素直で、甘え上手でさ。お前と全然似てない」
「木崎はそういう女とばっか付き合うよな」
「そうだな」
「もうした?」
「してない。キスはした。数時間前、駅で別れ際に」
“死ね”と、口をついて出そうになって慌てて呑み込んだ。
そんな事を言ってしまえば、彼は本当に喜んで死んでしまいそうな気がする。
「木崎の愛はどこにあるんだ」
代わりに面倒臭い質問をした。
すると彼は少し驚いたような顔をしてまた笑う。
「お前がそんな事気にするとは思わなかった」
「……別に」
八方美人で、愛されたがりの馬鹿なのは知っていた。
まるで嘘の塊のような綺麗な人間に見えた。
中学で出会い、偶然、高校も同じ所に進んだ。何度か同じクラスになったりもしたが、特に会話を交わす事も無く、知り合いと言えるかも微妙な関係だったのが変化したのは高校一年の寒い冬の放課後だ。
いつもなら取り巻きのような友人達に囲まれて煩く帰って行くのにその日は珍しく木崎は一人で、違うクラスなのに何故か俺の席に座ってぼんやりとしていた。
教科室に提出物を出しに行って帰ってくると、教室には彼しか居なかった。
机の脇に掛かっているカバンを取りに近付くと、「いつも見てるよね」とひっそり声を掛けられる。
バレていたのだな、と思った。
社交的な彼は目に付く。どんなに他に人が居ようとも、木崎はすぐに見付けられた。
いつも人混みの中心で、人懐こい笑顔を浮かべている。
自分に無い物を持っている彼に憧れていたのかも知れない。
「そうだな」
「どうして?」
「愛されたがりで八方美人の嫌な奴だと思ってさ」
「そうか」
喉の奥で彼が笑った。
性格の悪さが滲み出たような笑い声だと感じる。
「ああ、そっかそっか。じゃあ俺達付き合おうか」
木崎は一人納得したように何度も頷き、さらりと言葉を続けた。
何故そんな風に言葉が繋がるのだろうか。
「付き合う?」
「愛されたがりの俺の事愛してよ、二見クン」
「木崎彼女いるだろ」
「それがどうしたよ」
こいつが俺の名前を覚えている事に驚く。俺なんて、自分のクラスの半数の名前すら覚えていないのに。
「別に」
「愛してくれる?」
「……良いよ」
木崎がにっこりと笑って、俺の頬に手を伸ばす。軽く腰を上げたかと思うと、そのまま唇に噛みつかれた。
「痛いんだけど」
抗議の声を上げると、今度はそこをべろりと舐められる。
犬のように3、4回舐めると満足したのか、顔を離してにこにこしたまま「一緒に帰ろ」と言った。
帰り道、手を繋いだりはしなかった。
話す事も余りなく、きっと、互いに互いが何故付き合う事を了承したのかよく解っていなかっただろう。
俺は今でも、どうしてあの時木崎が“付き合おう”と言ったのか解らない。
まるでどうでも良さそうな俺に何故「好きだ」なんて愛の言葉を吐くんだろう。
彼の愛は、俺に留まってはくれないのだろうか。
木崎が上体を起こし、俺の首裏に手を回して引き寄せ、唇にかじり付いた。
「俺の愛の場所をさがしていたの?」
唇の擦れ合う位置で彼が言葉を発する。
そうだ、と言いたい。
けれどそれでは余りに悔しかった。
「さがしてくれていた?」
答えない俺に焦れたのか、彼がまた訊ねる。前髪が触れ合う。
「木崎の愛って、何」
「解らないから欲しいんだよ」
「じゃあ木崎が俺に向けてる感情はなんなんだ」
図らずも語尾が強くなる。
彼の指先がピクリと震えたのが、首を伝わって解った。
この男が、俺を放ってどっかの阿呆女と付き合うのが気に入らない。
木崎の性格の悪さなんてきっと知らないくせに、優しくされて甘やかされて、大事にされた気でいるんだ。
この愛されたがりがどんな奴かも知らないで、隣で愛された気でいるんだ。
俺だけが木崎を知っているのに。
自惚れじゃないと言いたい。
けれど言える訳もない。
あの女達だって、気付いているのかも知れない。だから好きだと言うんだろうか。
木崎が俺に見せていない部分だってあるだろう。
この性格の悪さも“フリ”かも知れない。
愛されたい。
木崎に愛されるのは俺だけで良いのに。
いつかそうならないだろうか。
「なんで付き合おうなんて言ったんだ」
「だって、あの時お前独占欲丸出しだったじゃん。愛してくれると思ったからさ」
「独占欲?」
「そうだよ」
「……そんな事無い」
「あるよー」
楽しそうな声だった。
でも、俺からの感情だけでは彼は満足出来ないのだ。
がらんどうの心の中を埋めるには、きっと俺だけじゃあ全然足りないのだ。
「くやしい」
「何が?」
「何もかもが」
出したくもない涙が目尻から零れる。
悔しい。
なんで俺は泣いているんだ。泣きたくは無いのに。腹が立つ。
「二見」
「なんだよ」
にこにこした木崎が俺に抱き付く。
強く抱き締められて苦しかった。
木崎が酷く優しく俺の名前を呼んだ。
「ずっと傍に居て、俺を愛してくれよ」
「……良いよ」
愛を求める子供。
愛を知らない子供。
寂しさを持て余したまま成長した彼は、皆から好かれる人間になった。
この男に、俺は愛されたい。
愛されたいのだ。