新春論争-冬太郎編-
これは企画小説『春小説』です。
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ちなみに私、よぞの春小説は二本ありますが、どれか一本見ていただければ幸いです。
「だから何度も言っているように! どうして一月一日を新春だなんて言うんですか! 一月は冬でしょう!?」
冬太郎は興奮のあまり机を思いきり叩いた。自分でも予想以上に大きな音が出たが、他の三人に驚いた様子は見られなかった。
「こちらも何度も言っているだろう? 旧暦のだねぇ……」
「旧暦なんて昔のことでしょう!」
夏彦がやれやれと首を振る。十畳程の小さな会議室の中で、四人はもう何日も同じ議題で話し合っていた。議題は『なぜ正月を新春と呼ぶのか』である。
「冬太郎くん、私は何も君の季節を奪おうとしているわけじゃないんだよ。ただ、正月の三日間を新春と呼ぶのは世間一般の常識でもあってだね……」
春日さんが穏やかな口調で冬太郎に語り掛けた。しかし若い冬太郎の興奮は冷めなかった。
「常識常識って! あんたらはいつだってそうだ! 既に決められているからとか、周りの皆がそうだからとか! それじゃいつまで経っても新しいことなんて出来るはずがない!!」
そこまで一気に言いきり、冬太郎は椅子に座り込んだ。自分の怒りが少しでも多く伝わるように、出来るだけ大きな音をたてて。
他の三人はお互いに顔を見合わせて困った顔をしていた。
「それじゃ、今日はこれまでにしましょうか。来週の月曜までに各自の意見をまとめてもう一度会議しましょう」
秋絵さんの一言で会議は終了した。
納得がいかない!
冬太郎はかき氷を思いっきり掻き込んだ。いつもは大好物の雪ウサギの味も怒りでよくわからなかった。
「おいしい?」
「ん、ああ」
大体おかしいのだ。春分、夏至、秋分、冬至ときちんと決められているのに、どうしてその境界線を曖昧にするのか。
「ねえ、嘘つかないで。味なんてわかってないんでしょう?」
機嫌を悪くした雪の声で我に返る。食卓に並べられた冬料理は雪のお手製だ。さすが料亭「かまくら」の娘なだけの事はある。これが毎日ただで食べられるだけでも冬太郎は幸せものだ、と感じていた。
「まさか、こんなにおいしい料理なのに」
「じゃあ眉間にしわをよせて食べるのはやめて」
料理っていうのはね、お客様が食べて初めて完成するのよ。そう言って雪は自分のかき氷を食べ始めた。
「なあ雪、お前、正月が新春って呼ばれることに抵抗ないか?」
「別に。呼び方なんてどうでもいいじゃない」
「しかしだなあ。やっぱり正月産業を易々と春に持っていかれるのはだな」
「春日さんはね、そんなお金お金で動く人じゃないと思うよ」
ごちそうさま。不機嫌なまま雪は台所に消えていった。確かに、雪の言う通り春日はお金を優先させて動くような人ではなかった。しかしやっぱり頭ごなしに正月が新春と呼ばれることに抵抗があった。気温だってまだ低いし、雪だって降るのにどこが春なんだ? それに雪はああ言ったが、正月産業の利益は馬鹿にできなかった。
「ほら、また余計なこと考えて食べてる」
「あ……」
気がつくと雪が台所から顔を覗かせていた。目の前にあった大好物の雪ウサギが、いつの間にか溶けてしまっていた。
「ねえあなた、私、明日用事があるから。ご飯は自分で作ってね」
「え、ああ。どこいくんだ?」
「かまくらに用事があるの。母さんに呼ばれちゃって」
オーロラ義母さんに。また料亭が忙しいのだろうか。
「ああわかった」
ありがと。雪は笑って台所に戻って行った。その笑顔に一瞬目を奪われた。やはり、妻は美しいなと冬太郎は思った。
次の日、参考資料を集めに図書館に出向いた。
これまでにも様々な本を読んで調べたが、やはり新春というのは太陰暦での季節区分で、一月、二月、三月が春だったからであるということしかわからなかった。つまり太陽暦になった現代で新春という言葉を使うのはおかしいのである。
「まだ諦めてないのね」
振り返ると秋絵が立っていた。その手には「太陰暦から太陽暦へ」という本を抱えている。
「当然です。まだ寒いのに新春、だなんて。おかしいでしょう」
「まあ気持ちはわかるわよ。冬産業にとっては一番の売り出し時に春の気配がちらついてしまうんだものね」
言いながら秋絵は冬太郎の隣の席へ座った。ぱらぱらと本を捲り始めるその横顔は美しかった。肩より少し長いセミロングの髪。淡い栗色の瞳は秋の空のように深みがあり、視線をずらせない力強さがあった。
冬太郎の視線に気付き、秋絵は微笑んだ。慌てて自分の本に視線を戻すが、内容は一切目に入ってこなかった。
「雪さんは元気?」
突然の質問を理解できず、口をぱくぱくさせる。
「私ね、冬太郎くんと雪さんが結婚するって聞いたとき、ちょっと意外だったんだよね」
「そ、それはどうして?」
しどろもどろになりながらも質問を投げかけた冬太郎を見て、秋絵は悪戯っぽく笑う。
「だって、てっきり雪さんは春日さんの事が好きだと思ってたから」
冬太郎と雪が付き合い始める少し前、確かに春日と雪が付き合っているのではないかという噂がたったことがあった。そんな事実はなかったことは確認済みだが、当時は春雪とセットで呼ばれる程に仲が良かったのだ。
もちろん、冬太郎にとってそんなにいい思い出ではない。それをなぜ今更ぶりかえすのか。
「そんな顔しないで。別に深い意味はないわよ。ちょっと意地悪してみたくなっただけなんだから」
「人が悪いですよ、秋絵さん」
「ごめんなさいね。じゃ、私行くから」
そう言って秋絵は席を立った。全然本を読んでなかったみたいだけど、一体何しに来たんだ? 女心と秋の空。まったくわからなかった。
意外に遅くなってしまったな。
腕時計を針は既に午後九時を回っていた。これなら料亭に雪を迎えに行ってもいいかもしれない。たまには義母さんにも顔を出さないと、という考えもあった。
料亭「かまくら」は冬料亭の老舗で、その味には定評がある。その女将を務めているのは雪の母であるオーロラ義母さんだ。その繊細な技は世界中から絶賛を受ける程であり、中でも『世界氷の彫刻料理大会』で優勝した際の『七色のオーロラ』は過去にも類をみない天才的な料理だった。そこに溶けずにあるのが不思議な程に薄い氷が七色に発光する光景は、もはや奇跡だった、らしい。
駅の改札を抜け、徒歩で五分のところにかまくらはあった。駅前の雑踏が嘘のように消えさり、しんしんと降り注ぐ粉雪と、雪の上を歩く冬太郎の足音だけが聞こえているような静けさが広がっている。
「すみません」
「あらあら、冬太郎さん。お久しぶりです」
横開きの玄関戸を抜けると、ランプの光で照らされた落ち着いた店内が見える。
廊下でオーロラ義母さんが正座で冬太郎を迎えていた。
「お久しぶりですお義母さん」
「今日はお食事にいらしたんですか? 冬太郎さんの為なら腕によりをかけて作らせて頂きますよ」
「いえ。雪を迎えに来ただけんなんです。料理の方はまた今度」
あら、残念。オーロラ義母さんはそう言って微笑んだ。さすが女将ともなると、その笑顔は美しかった。
「でも冬太郎さん、今日は雪はここには来ていないんですのよ」
来ていない?
「いやしかし、お義母さんに呼ばれて手伝いに行くと昨日……」
義母さんは首を傾げていた。本当に思い当たる節がないようだ。奥の方で忙しそうな仲居さんの声が聞こえた。疑問は残るが、義母さんの様子からみて心当たりもなさそうだった。これ以上居てもお邪魔になるだけだろう。
「あ、いや。私の勘違いだったかもしれません。お忙しいところ失礼いたしました」
「とんでもない。自分の家だと思ってまたいつでもいらしてくださいね」
一礼してかまくらを出た。
シャクシャクと雪を踏みしめて駅に向かって歩いた。
本当に自分の聞き違いだったのだろうか? そんなわけはない。雪は確かに今日、義母に呼ばれてかまくらに行くと言っていた。それはつまり、雪が冬太郎に嘘をついたということになる。一体、どういう事なのだろうか?
帰って妻に聞いてみるのが一番早い気がした。
朝、リビングで目を覚ました。
寝なれないソファのせいで腰が痛かった。寒さに強いとはいえ、さすがにそのままで寝たのはまずかったみたいだ。寒気がする。
雪は結局戻らなかった。何か事件にでも巻き込まれたのかもしれないと思ったが、警察に頼むのはもう少し待ってみようと家でずっと待っていたのだ。
のそのそと動き出し、スーツに着替える。朝ご飯を食べようかと思ったが、雪の作るご飯に比べればどうせ美味くもないのだと思いやめた。
今日は月曜だった。新春についての会議がある日だ。昨日集めた資料を鞄に詰めて出かけようとドアノブに手をかけたとき、家の電話が鳴った。
雪かもしれない! そう思い靴を脱ぐのも煩わしく、革靴のままでリビングを走った。
「はい! 北風です!」
「朝から元気がいいわね、冬太郎くん」
声の主は秋絵さんだった。雪でなかったことに内心落胆する。
「どうしました?」
「実は昨日ね、雪さんを見かけたんだけど……」
雪を見た! 一体どこで!
「それがその、落ち着いて聞いてね?」
「雪がどうかしたんですか!?」
食いつくように電話口に耳をすませる。
「一緒にいたのが、春日さんだったみたいなの」
「え……!」
春日さんと雪が一緒に……?
「場所は春の丘辺りなんだけど、もし知らなかったならと思って……。余計なお世話だったかしら?」
いえ、ありがとうございました。そう言って電話を切った。
嫌な想像が頭を中を駆け巡った。まさか雪が不倫をしているのか? 確かに春日と雪の間にはそういう噂があった時期もあった。でもそれは噂だけなのだと雪は断言していたし、何より雪太郎のプロポーズを受けたことがそれを真実だと告げる答えだったのだと思っていた。確かめないといけない。
雪はどこにいるのかわからなかったが、今日確実に会える人物がいた。
「どういうことだか説明しろ!」
会議が始まる一時間前。会議室には春日と春日の胸倉を掴む冬太郎の姿があった。
「あんた、雪とどういう関係なんだ!」
「な、何を言っているんだ冬太郎くん。ただの友人だよ」
「じゃあ昨日雪と二人で何をしていた!」
「とりあえずこの手を離してくれないか。苦しくて話ができない」
思いっきり乱暴に胸倉を掴んでいた手を離してやった。げほげほと春日はむせている。
「さあ、話してもらおうか。昨日、雪と二人で何をしていた?」
「それは、話せない」
その答えで頭に血が昇っていくのを感じた。机を思いきり叩いた。
「どうしてだ! 口にできないような事をしていたのか! 雪は今どこにいる!?」
大声でわめき散らす冬太郎とは対極的に、春日は落ち着いた様子で椅子に腰掛けた。
「雪くんが今どこにいるのかは私にもわからない。昨日の事を話せないのはそれが雪くんとの約束だからだ。一応言っておくが、やましいことなど何もない。ついでに私からも一言言わせてもらっていいかね?」
そこで、今まで穏やかだった春日の口調が急に厳しいものに変わった。
「妻を信じられないなら、別れてしまえ。今のままの君じゃきっと雪くんを不幸にする。これ以上話すことは何もないよ。今の君にはね」
カッとなり、自分でもいけないと思いながらも、拳を止めることができなかった。春日は椅子から転げ落ちて地面にあお向けに倒れた。椅子が倒れる派手な音が小さな会議室に響き渡った。
うめき声を上げながら、春日が立ちあがる。
「信じられないな、君は」
春日の口からは血の筋が流れていた。どこか口の中を切ったのだろう。一方冬太郎は肩で息をし、必死に溢れてくる怒りを押さえていた。殴りつけた右の拳が痛んだ。
やりすぎた。そう思ったが、頭に血が昇った状態では自分の非を認めることはできなかった。
そのまま何も言えず会議室を後にした。入れ違いで入って来ようとした秋絵と肩がぶつかったが、謝りもせず部屋を出た。
「何があったの?」
秋絵は部屋に残された春日を見て言った。その顔は少し笑っているようにも見える。
「君は今、何を思っているのかな」
「早く会議が終わればいいな、って思ってるのよ」
確かに今日の会議は中止だろうがね。そう言って春日は倒れた椅子を元に戻した。
部屋に戻ると、雪が帰っていた。
「あら、今日は早かったのね。まだ夕飯できてないわよ」
台所で妻は彫刻料理を作っていた。氷が溶ける前に手早くノミと木槌で形を作っていく。その手際は見事だった。
「昨日、どうしたんだ?」
「ああ、ごめんね連絡できなくて。忙しくって」
雪は嘘をついている。冬太郎は昨日かまくらに行って、雪がいなかったことを知っている。彼女はそれを知らないのだ。
そうと知らなければ気付かなかったかもしれない。それほど自然な会話だった。しかし、一度も冬太郎と目を合わせない態度はやはり不自然に思える。
「私、彫刻料理って苦手なんだけど、一度あなたにも食べて欲しいと思って頑張って練習したのよ」
妻の笑顔はいつもと変わらないようにも見えた。しかし、今はその笑顔を信じることがどうしても出来ない。その言葉にもどこか嘘があるのではないかと疑ってしまう。
「雪、嘘をついているな?」
「え?」
せわしく動き続けていた雪の手が止まった。振り向き、冬太郎と視線を合わせたが、すぐにずらした。
「昨日、かまくらにお前を迎えに行ったんだ。雪は来ていないって言われたよ。どこで何をしていたんだ?」
「それはその、友達のところで彫刻料理の練習を……」
「その友達は誰だ? なんていう名前だ? なぜ俺に嘘をつく必要があったんだ?」
まただ。いけないと思っていても感情がそれを許さない。体が、言葉が勝手に雪を追い詰めていく。春日と一緒にいたんだろ? それだけは口にしてはいけないと知りながら、冬太郎はどうしても止めることができなかった。
「春日の事が、好きなのか?」
「……!」
その言葉を投げつけた時、雪は驚いたような目で冬太郎をみた。そしてその目はすぐに悲しい色に染まり、小さく首を横に振って、下を向いてしまった。
「私が、浮気したと思ってるんだね」
違う、そうじゃない。とはどうしても言えなかった。心のどこかで、その可能性を感じていたからだろう。
長い沈黙が続いた。
「……否定もしないんだ」
雪は顔を上げて冬太郎を見た。しばらく見つめて、やがて玄関に向かって歩き出した。
「どこに行くんだ?」
「どこに行くって言ったって……!」
冬太郎は雪の腕を掴んで引きとめようとしたが、すぐに振り払われてしまった。
「……信じてくれないでしょ」
そう言い残し、雪は部屋を飛び出していった。しばらくしてから、バタンと玄関の扉が閉まる音が聞こえてきた。
次の日、私は春の丘の近くをぶらついていた。
あれから何度もかまくらに電話したが、雪は今お会いできないと申しております。の一点張りだ。直接かまくらへ行くしかないが、それでは昨日の喧嘩のに二の舞にならないとも限らなかった。だから、先に真実を少しでも知れないかと、秋絵さんが二人を見かけたという春の丘に足を運んでいたのだ。
しかし当てはなかった。秋絵さんの話では駅の北側に向かって歩いていたという事だったので、南口にある春日の家に行っていたのではないと予想できたものの、それ意外に二人の目的地を辿る手立てはなかった。
一時間程街をぶらつき、結局手がかりは何も掴めなかった。
夕暮れ時の物悲しい雰囲気にも後押しされて、昨日軽率な行動を取った事を今更ながらに後悔していた。頭ごなしに雪を疑って、その上それを酷い言葉で雪にぶつけてしまった。春日に対してもそうだ。何も殴りつけることはなかった。
ため息まじりに駅に向かって歩いていると、正面から春日が歩いてくるのが目に入った。
とっさに物陰に隠れていた。つい先ほどまで感じていた罪悪感は、事の真相に迫れるかもしれないという期待に押しやられて消えてしまっていた。
気付かれないように距離をとって春日の後を追った。尾行なんてした経験はまったくなかったので、傍から見れば滑稽な尾行術だったかもしれない。
辿りついた先は丘の上にある墓地だった。
なんだ、墓参りか。
そういえばお盆も近かった。春日の身内が亡くなっているという話は聞いたことがなかったが、いくらなんでも墓場で逢引はないだろう。
その場で帰ろうとも考えたが、事のついでに誰の墓なのか見ていくことにした。
春日は熱心に手を合わせていた。五分を過ぎた頃、軽く墓の前を掃除してその場を離れた。よし、今なら大丈夫だろう。
誰もいなくなったのを確認してから、その墓の前に立った。桜木春奈。墓石にはそう彫られていた。どうやら春日家の人間ではないらしいが、一体どういう関係なのだろうか。
「暴行の次は尾行か。つくづく最低な男だな」
いきなり背後から声をかけられ、驚いて振り向く。水桶を持った春日が立っていた。迂闊だった。
「まさか雪くんにまで同じ事をしていないだろうな?」
そう言いながら春日は水桶を置き、柄杓で墓石に水をかけ始めた。
黙って何も言わない冬太郎を見て、驚いた様子で柄杓を置いた。
「雪くんにも、手をあげたのか?」
「……いや、手はあげていない」
その言葉だけで全てを理解したかのように、春日は小さくため息をついた。何も言い返せなかった。それどころか顔をあげることさえできなかった。
「先日、雪くんと二人でここに墓参りに来た」
「……え」
「口止めされていたが、これ以上君に馬鹿な行動を取らせるわけにはいかん。雪くんが不憫だ」
春日は冬太郎を一瞥し、お墓に手を合わせた。
「雪くんはな、なぜ私が元旦を新春と呼ぶことにこだわるのか聞いてきたんだ。もし理由がないのなら、主人に華を持たせてやってはくれないか、とね」
驚いて顔をあげた。雪がそんなことを?
「もちろん、理由もなく自分の主張を押し通そうとする程私は若くはない。その理由を説明するために、私は雪くんとここへ来たんだ」
そこまで言うと、春日は振りかえり冬太郎の目をじっと見た。今度は視線をはずすことができなかった。
「ここに眠っているのはね、私の妻だ」
妻? いや、しかし墓石の名前は……。
「正確には妻になる予定だった女性、かな。彼女は結婚式の一月前に車に轢かれて死んだ。もう十年以上も前の話だ」
淡々と語る春日の口調は、時が過ぎて忘れてしまったというよりも、感情を抑えて語らないと、辛くて仕方が無いという感じだった。
「彼女は本当に謙虚な性格でね、私は彼女がわがままを言ったところを聞いたことがなかった。何かプレゼントをしてあげるから欲しいものはないかと聞いても、その気持ちだけで十分だと決して受け取らなかった。そんな彼女が死ぬ間際に病院のベッドの上で私に一つだけお願いをしたんだ。なんだかわかるかね?」
わからなかった。もしも自分が死ぬ間際、妻に一言お願いをするとしたら、一体何を願うだろうか?
「ずっと、私の側にいてください。だ。彼女がたった一つ、生涯私に言ったわがままだ。私はそのわがままを叶えてやりたい。それだけだ」
春日は水桶を持ってゆっくりと歩き出した。
「君みたいな若者を見ると実に腹が立つ。愛する人と一緒になれたのに、その幸せを全然わかっていないんだからな。結婚というものは、そんなに普通のことじゃないんだ」
あまりの話の内容に立ちすくんでいたが、肝心な事を聞き忘れていることに気付いた。
「新春にこだわる理由はなんですか!」
春日が立ち止まり、振り返らずに言った。
「彼女が死んだのが一月一日で、彼女は春が大好きだった。たったそれだけの、馬鹿馬鹿しい理由だよ」
だけど私には、他にどうしようもないんだ。そう言い残し、春日は一度も冬太郎を振り返らなかった。死んでしまった妻への愛は、その後十年経っても変わることなく、しかしどれだけ尽くしても伝わることもなかった。春日はその悲しみを誰よりもよく知っているのだ。そして、妻がいるという幸せも。
春日が見えなくなり、しばらく立ち尽くした後、冬太郎は駆け出した。会わなければならない人がいる。会って、話をしなければならない。
「困ります冬太郎さん! 雪は会いたくないと……!」
オーロラ義母さんの制止を振り切り、冬太郎はかまくらの奥にある雪の部屋へ駆け込んだ。
「雪!」
勢いよく襖を開けたが、部屋には誰もいなかった。
遅れて義母さんが部屋に入ってきた。長い廊下を走り、息があがっている。
「困りますよ、冬太郎さん」
「雪はどこです?」
「だから、あの子は今冬太郎さんには……」
最後まで聞かずに走りだした。後ろで義母が冬太郎を呼んでいる声がする。 このかまくらの中で、他に雪がいそうな場所といえば一つしかなかった。思いきり力を込めて襖を開けた。
「雪!」
「あなた?」
そこは調理場だった。調理着を着た雪がノミと木槌を手に立っている。
「雪、俺が悪かった。この通りだ、許してくれ!」
わき目も振らずに頭を下げた。他に従業員がいたかもしれないが、そんなこと気にしていられなかった。
「春日さんに話は全て聞いた。お前が俺の為に春日さんに相談を持ちかけたことも聞いた。全ては俺のためだった。なのに、俺は……! 本当に馬鹿だった!」
顔を上げるのが怖くて、さらに続ける。
「今更俺の言葉なんて信じてもらえないかもしれない。しかしこれだけは言わせてくれ。俺は……お前と結婚できて本当によかった! これから先、もしお前が他の誰かに惚れることがあっても、俺は必ずもう一度お前を振り向かせてみせる! だから……!」
「あなた、顔を上げて」
最後まで言わせてもらえず、俺はゆっくりと顔を上げた。と同時に思いきりビンタをされた。後頭部まで響く重たい一撃だった。
おそるおそる雪の顔を見る。てっきり鬼の形相をしているものだと思っていたが、意外にも雪は微笑んでいた。
「馬鹿。他の誰かに惚れたりなんかしないわよ」
そう言って笑ってくれた。雪には一生敵わないな、そう思った。
と、その時調理場の明かりが落ちた。雪がシルエットになって浮かび上がる。
「どうしたんだ」
「停電かしら?」
ふと気がつくと、調理場には雪と冬太郎の二人しかいなかった。そして、明かりがまったくないはずの調理場で、雪がシルエットとなって浮かび上がっているのはどういう事だ。
「雪、それ……」
雪の後ろに光る物があった。雪が皿に乗ったそれを冬太郎の前に差し出した。へへへ、と照れくさそうに雪が笑う。
「やっと完成したんだよ。あなたに食べて欲しくて頑張ったんだからね」
それは『七色のオーロラ』だった。透き通るような薄い氷の向こうに、雪の笑顔が見えた。
「すごく綺麗だ……」
『七色のオーロラ』の向こう側に見える雪に向かってそう言った。
「ね、一緒に食べようか?」
「ああ、そうだな」
七色の輝く薄い氷を挟んで、二人の顔が近づいた。ゆっくりと目を閉じて、オーロラが黄色に輝いた時、冷たいキスの味がした。
「女将さん、調理場の明かりなんで消しはったんですか?」
「一人前になった娘へのご褒美かしらね」
「なんですのそれ?」
「しばらく、立ち入り禁止よ」
そんな、困ります! そんな仲居さんの言葉をそ知らぬ顔で聞き流し、オーロラ義母さんは廊下の奥へ歩いていった。
後日、正月を新春と呼ぶことが会議で決定した。
「冬太郎くん、本当にいいのね?」
「はい、依存ありません」
「そうかい、じゃあ解散だな」
夏彦さんはそう言ってさっさと会議室を出ていってしまった。冬太郎も妻が待つ家へと急いで帰っていった。
残された秋絵と春日は、資料を片付けながら会話をしていた。
「結局、君の予定通りってわけだね」
「違うわよ。冬太郎さんと雪さんが元のさやに戻るなんて予定外」
「冗談だろ?」
「……そうよ。当たり前じゃない」
「……女心は複雑だよ」
二人がそろって会議室を出ていった後、一枚の資料が残されていた。
『作戦プランA もしも妻が亡くなっていたとして』
正直一万文字以内にまとめきれませんでした。
もーぐだぐだです。ごめんなさい。
それはそうとして、初の企画参加は楽しかったです。
また機会があれば是非参加させていただきます!
特にダメだったところの指摘、よろしくお願いします。




