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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高梨 梛
第1章 雨の日の遺言
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第10話 初動

警察が到着したのは、通報から三十分後だった。

制服警官と、鑑識に年配の刑事。

屋敷の空気が一段と重くなる。


「状況を説明してください」


宗三郎が口を開き、藤堂が補足する。

夕食。

席を移しての紅茶。

就寝。

今朝の発見。


刑事が問う。


「昨夜、皆さん、同じものを召し上がった?」


「はい」


藤堂が即答する。


「全員、同じ茶葉、同じポットから」


「砂糖は?」


進が自然に答える。


「テーブル中央に共通の壺がありました」


「ああ、そうだ」


宗三郎が頷く。

刑事が壺を手に取った。


「……異常は今のところ見当たらない」


蓋を開け、匂いを嗅ぐ。

白い砂糖。

異変はない。

普通だ。

恭介は黙ってそれを見る。


(全員同じ紅茶……)


刑事が続ける。


「他に口にしたものは?」


尚子が震えながら答える。


「特別なものは……」


進が補足する。


「彼は甘党でした。砂糖を多めに」


宗三郎が低く言う。


「だが、我々も入れて飲んだ」


「ちなみに、砂糖を入れてないのは、僕と…そこの探偵だけですよ」


圭祐が補足した。

刑事は頷く。


「現段階では急性中毒の可能性が高い」


メモを取る音。

屋敷の時計が鳴る。


「個人個人にお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」

宗三郎たちは頷いた。



別室を借り、事情聴取が始まる。

順番に別室へ呼ばれる。

宗三郎は鷹揚な態度で椅子に座った。


「みなさんがここにいらっしゃたのは、兄である一条寺実淳氏が亡くなったからというので間違いはありませんか」


「そうだ。兄の葬儀や財産分けがあったからな」


「その財産は…」


宗三郎の顔が歪んだ。


「遺言書で兄の孫と飼い猫にいくそうだ。信じられん」


「飼い猫に…」


刑事の呆れを含んだ声。


「どうかしてるとしか思えん。それに見計らってように現れた孫とかいう男。どこからか聞きつけてきたに違いないんだ。進のやつは妙に媚を売っていたが、当てが外れたな」


「昨夜は何時頃、部屋に?」


「多分、十一時頃じゃないか?」


「それからは一歩も?」


「ああ」


「そうですか…」




尚子は落ち着かずしきりとハンカチを握り直していた。

反対に普段はおどおどしている進は落ち着いていた。


「昨夜は十一時頃、寝室へ戻りました」


「その後は?」


「妻と一緒でした」


尚子が小さく頷く。


夫婦のアリバイ。


自然だ。


「書斎へは?」


「行っていませんわ」


一瞬の間もない返答。


刑事は特に追及しない。


「分かりました」




いささか派手な格好をした圭祐が中へと入ってきた。

前の三人と違い、緊張感はないように見えた。


「刑事さんも大変だ」


圭祐を見た刑事は、軽薄という言葉を自然と思い浮かべた。


「仕事ですからね」


「知ってる? この家に探偵がいる理由」


聞いてもいないことを喋りだす。


「知りませんな」


「亡くなった兄さんの飼ってた猫がさ、遺言が公開された後に行方不明になったんだよ。で、見つけてきたのが、あの探偵。今後、猫が行方不明にならないようにって藤堂の奴が雇ったんだよ」


「藤堂とは?」


「兄に仕えてた家令さ」


「猫に遺産を遺されたとか……」


「そう! しかも半分も! 馬鹿じゃないのって思ったよ。実の兄妹にこれっぽちも遺さないんだぜ」


遺産が思うように入らなかったことへの不満が、圭祐の声に露骨に滲んでいた。

刑事は話を切り替える。


「昨夜は……」


「みんなと一緒に部屋を出たよ」


「時間は?」


「いちいち覚えている必要はないでしょ。あっ、一歩も出てないから。それよりもさ、これ」


話をはぐらかすように、圭祐は刑事の前にカフスを置いた。

刑事が片方の眉を上げる。


「落ちてたんだよ、あの猫がよく寝てる場所に」


「この持ち主が猫に何かしたと?」


「さあ、それは知らないけど、それ、宗三郎兄さんのカフスなんだよ。怪しいとは思わない?」


圭祐の口元が、わずかに吊り上がった。

それは“発見”ではなく“提示”の笑みだった。

(どうにも好きになれんな……)


「こちらをお預かりしても?」


「もちろん」


進は尚子に言われて部屋を出た。

廊下で恭介とすれ違う。


「大変なことになりましたね」


穏やかな声。

恭介は短く返す。


「そうですね」


そのとき。

ヴァレリーが、進の足元を横切った。

進はほんのわずかに体を引いた。

ほんのわずか。

誰も気づかない程度。

恭介だけが見る。


(……あれ?)


昨夜は笑っていた。

猫を嫌がる素振りなど一度もなかった。

だが今は、触れられるのを避けるような動きだった。

小さな違和感。

ほんの針の先ほどのズレ。


現場に再度、宗三郎たちを集めた。

刑事が言う。


「全員同じ紅茶を飲んでいるなら、共通物に個別の差があった可能性もある」


恭介が視線を上げる。


「共通物じゃない?」


「個別に摂取したものがあるかもしれません」


だが。

今のところ何も見つからない。

砂糖壺も、茶葉も、カップも。

すべて“普通”。

恭介はカップを見つめる。


(毒なら……全員倒れてるはずだ)


ヴァレリーが、被害者の椅子の足元で一瞬立ち止まり、

何事もなかったように向きを変えた。

そして、床の一点――

スプーンが落ちれば転がりそうな位置 で止まる。

恭介は目を細める。


(……何かあるのか?)


だが証拠はない。

理屈もまだない。

あるのは――

進の第一声の速さ。

そして、さっきの一瞬の後退。

恭介は小さく息を吐く。


(考えすぎか)


まだ、何もつながらない。

だが。

小さなズレは、確実にそこにあった。

雨は、まだやまない。




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