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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高梨 梛
第1章 雨の日の遺言
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第8話 偽の孫

 午後の光が、玄関の大理石に淡く反射していた。

 食事を終えた恭介を藤堂が応接室に案内する。

 藤堂は当然と恭介を上座に座らせた。

 応接間に背の孫で、恭介は居心地悪そうに座っている。


「……なんで俺が」


 小声で呟くと、足元でヴァレリーが尾を揺らした。


 そこへ足音。


 現れたのは、三人の男と一人の女。

 60台後半のやや太り気味男とそのよりやや若い男。

 若い男の服装は整っているが、どこか派手。

 痩せて神経質そうな女に付き添う男はどこかおどおどしていて気弱そうな印象を受けた。

 一瞬だけ、恭介の服装、靴、所作を見て、ほんのわずかに眉が動く


「……この方、だれ?」


 小声。

 藤堂は即答する。


「千束恭介様、ヴァレリー様を保護され、当家へお連れしてくださった方でございます」


「……ほう」


「そう……」


 それだけ。

 感謝の言葉はない。

 全員目は笑っているが、視線は素早く恭介を測る。


「このようなことが、二度とあってはなりません。当家の家令として、千束様にはヴァレリー様の保護をお願いしたところでございます」


「大袈裟だな」


「本当にそうね」


「相続人の一人だから、しかたないんじゃないの」


「そう、ですね」


 使用人が戸惑った様子で藤堂を呼びに来た。

 何事かを聞かされた藤堂が微かに眉を寄せる。


「少し、失礼いたします」


 藤堂が応接室を出て行った。


(居心地わりぃ……)


 恭介はこの状況に置かれる要因となったヴァレリーを見た。

 ヴァレリーは我知らずといった態度をしている。

 暫くして応接室の扉が叩かれた。


「入れ」


「失礼いたします」


 洗練された所作で藤堂が入ってきた。

 わずかに緊張しているように見受けられた。

 藤堂が静かに告げる。


「実淳様のご子息のご子息を名乗る方が、面会を求めておられます」


 空気が止まる。

 宗三郎が眉を寄せる。


「息子は行方不明のはずだ」


「はい。戸籍上の確認はこれからでございます」


 進が柔らかく口を開く。


「会いましょう。遺言にも“行方不明の息子の孫”とありますし」


 尚子が不安げに視線を落とす。


「でも……本当に?」


「だからこそ確認するんです」


 進は穏やかに笑う。


「血縁者を門前払いにすれば、外聞も悪い」


 恭介は眉をひそめる。


(外聞、ね……)


 藤堂が一礼する。


「お通しいたします」


 現れた男は三十前後。


 控えめなスーツに、緊張を隠しきれない表情。

 ……だが、その目だけは妙に落ち着いていた。


(緊張してる割に、目は落ち着いているな)


 恭介は小さく眉を寄せる。


「はじめまして。……祖父の訃報を、最近になって知りました」


 宗三郎が問う。


「証明は」


 男は封筒を差し出す。

 動きが滑らかすぎて、緊張している人間のそれではない。


 戸籍の写し。

 そして古い写真。

 若き日の実淳と、幼い少年。

 藤堂の目が一瞬だけ細くなる。


「……面影はございます」


(匂いは……違うがな)


 ヴァレリーが恭介の足元で目を細めた。

 男は俯く。


「認めていただけなくても構いません。ただ、祖父がどんな人だったのか、それだけでも知りたくて」


 進が一歩前に出る。


「そんなことを言わずに。ここはあなたの家かもしれない」


 言葉がやけに滑らかだった。

 恭介はその横顔をちらりと見る。


(……お前、嬉しそうだな)


 男は静かに頷く。


「検査でも何でも受けます」


「もちろんする」


 宗三郎が短く言う。

 藤堂が続ける。


「本日は客室をご用意いたします」


 進が明るく言った。


「長旅だったでしょう。紅茶でもいかがです?」


 男は少し笑う。


「ありがとうございます。紅茶が好きで」


進はすぐに応じ、ティーカップをテーブルに並べる。

そのとき、ふと視線を横にやると、尚子が無言でテーブルの縁を見つめていた。

神経質そうな目つきが、進をさっと緊張させる。

進は小さく肩をすくめ、ポケットからハンカチを取り出すと、

尚子用のスプーンとシュガースプーンの柄を白い布で軽く拭った。

無意識の仕草のように見えるが、動作は完璧に無駄がない。


「祖父に似たのかもしれませんね。砂糖は二つで?」


「……ええ」


男はにこりと笑い、進は砂糖を二つカップに入れる。

進はスプーンを戻すと、少し誇らしげに胸を張る。

尚子は目を細めるが、口を挟まず黙っている。

ヴァレリーは、壁際からじっと全員を見つめていた。

小さな尾の先を揺らすだけで、その表情は何も語らない。

ただ、何かを静かに見守っている――その様子は、誰にも気づかれない。


 宗三郎が怪訝そうに


「初対面で分かるものか」


 進は肩をすくめる。


「なんとなくですよ」


(なんとなく、ね……エスパーか?)


 恭介は胸の奥に小さな違和感を覚えた。

 そのとき、ヴァレリーが男を見上げた。


 じっと。

 動かない。


 男は膝を折る。


「君が、祖父の猫か」


 手を差し出す。

 ヴァレリーは近寄らない。

 だが逃げもしない。

 ただ、距離を保つ。

 恭介の足元に戻る。

 その自然な動きに、男の視線が一瞬だけ揺れた。


「……懐いていますね」


「いや」


 恭介は首を振る。


「勝手にいるだけだ」


 進が笑う。


「動物は正直ですから」


 その言葉に、藤堂の目がほんのわずかに鋭くなる。

 だが、すぐに柔らかな笑みに戻った。

 だが、すぐに柔らかな笑みに戻った。



 その夜。


 恭介は廊下でヴァレリーを見下ろす。


「なあ」


 小さな声。


「どう思う」


 ヴァレリーは答えない。

 ただ、暗がりの向こうを見ている。

 応接間では、進の声が響く。


「家族は迎えるべきです」


 あまりにも正しい声音。

 恭介はため息をつく。


「……面倒な家だな」


「否定はしない」


 ヴァレリーの尾が、ゆっくりと揺れた。

 屋敷の均衡は、静かに崩れ始めていた。

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