第2話 古時計
翌日の午後。
商店街の一角にある動物病院の前で、恭介はベンチに座っていた。
腕を組み、深いため息をつく。
その足元では、黒猫が尻尾をゆっくり揺らしていた。
「振られました」
恭介が言う。
診察を終えたばかりの獣医、岸は、白衣のポケットに手を入れたまま笑った。
岸は癖のある少し長めの髪を後ろで一つに束ね、
人好きのする顔に眼鏡をかけている。
眼鏡の奥の少し垂れた目を細めた。
「若いねぇ」
「昨日のことですよ」
「だから若いんだよ」
恭介は天井を見上げる。
「いやー……きついですね」
「何が?」
「帰り道に、何度もニヤリと意味ありげに顔を見られたんですよ、こいつに」
恭介は足元を指さした。
黒猫――ヴァレリー。
ヴァレリーは冷ややかな目で恭介を見上げると、
「ニャ」
と一声だけ鳴いた。
その鳴き方は、まるで
「愚かだ」
と言っているようだった。
岸は吹き出した。
「この猫、性格悪いね」
「でしょ?」
「ニャ」
ヴァレリーは面白くなさそうにそっぽを向く。
恭介はまたため息をついた。
「はぁ……」
「まだ引きずってるの?」
「人生初告白ですから」
「それは大事件だ」
「でしょう?」
岸は笑いながら肩をすくめた。
「まあ、人生ってそんなもんだよ」
そのときだった。
商店街の奥から声が飛んできた。
「恭介ー!」
振り向くと、古道具屋の店主・秋山が手を振っていた。
「ちょっと手を貸してくれ!」
恭介は立ち上がる。
「また重い物ですか?」
「そうだ!」
秋山は店の奥を指さした。
「イベント用の展示を準備するんだ」
商店街では、毎年秋に文化イベントが開かれる。
古い品や歴史ある物を並べて、ちょっとした展示会をするのだ。
恭介は肩を回した。
「分かりました」
ヴァレリーも立ち上がる。
「ニャ」
「お前も来るのか」
「当然だ」
と言いたげな顔だった。
岸が笑う。
「頑張って」
「はい」
恭介は古道具屋「秋山堂」へ向かった。
秋山堂の店内は、いつもと同じように物で溢れていた。
古い棚。
陶器。
古い看板。
置物。
そして店の奥に、それは立っていた。
大きな柱時計。
重厚な木のケース。
長い振り子。
本体に施された繊細な彫刻。
恭介は思わず声を出す。
「うわ……」
秋山が誇らしげに言う。
「明治の終わりの時計だ」
「本物ですか?」
「本物だ」
秋山は時計を軽く叩いた。
コーン……と低い音が響く。
「うちの看板商品さ」
秋山は時計を見つめながら、ほんの一瞬だけ表情を曇らせた。
ヴァレリーはその周りを歩く。
猫の目が細くなる。
恭介が聞く。
「これを展示するんですか?」
「そうだ」
秋山は腕を組んだ。
「ただな……」
時計を軽く押す。
びくともしない。
「重いんだ」
恭介が触ってみる。
「うわ」
思った以上に重い。
秋山が言う。
「大人二人でも運ぶのが大変でな」
「昨日も動かすのに苦労した」
ヴァレリーは黙ってそれを見ていた。
そのとき。
外で風が吹く。
落ち葉が転がる。
カサカサカサ。
恭介が笑う。
「秋ですね」
秋山も頷いた。
「この音がすると、冬が近い」
店の奥で時計がゆっくり揺れていた。
カチ……
カチ……
時間が進む。
恭介は振り子を見上げた。
「きれいですね」
「だろう」
秋山は満足そうだった。
その夜。
商店街は静まり返っていた。
秋の風が吹く。
落ち葉が道を転がる。
カサ……
カサ……
風が止まり、落ち葉が動きをやめた。
カサ……
誰もいない古道具屋の店内。
柱時計は、そこにあるはずだった。
だが――
翌朝。
秋山堂から叫び声が響く。
「時計がない!!」
その声が、商店街の朝を揺らした。




