第8話 静かな視線
商店街の空気が、変わっていた。
さっきまでの祭りの喧騒は消え、人々は小さな声で話している。
提灯の灯りだけが、静かな通りを照らしていた。
恭介は会館の前のベンチに座っていた。
腕を組み、ぼんやりと地面を見ている。
遠くで誰かが言う。
「……本当に?」
「いや、でも封印は……」
声は小さい。
だが聞こえる。
疑いの声だ。
恭介は小さく息を吐いた。
「まいったな……」
その横に、黒い影が跳び乗る。
ヴァレリーだった。
「お前は気楽でいいな」
恭介が言う。
「猫は疑われない」
ヴァレリーは尻尾をゆっくり揺らした。
金色の瞳が、会館の方を見る。
「そうだな……お前は猫だもんな」
恭介の疲れたような声。
「猫だから問題はない」
恭介は苦笑した。
「でも、俺は人間なんだよ」
そのとき、会館の扉が開いた。
役員の一人が顔を出す。
「あの……千束さん」
「はい?」
「ちょっと……封筒をもう一度確認したいので」
言い方は丁寧だった。
だが、意味は分かる。
恭介は立ち上がった。
「どうぞ」
会館の中は、さっきより重い空気だった。
机の上に、あの封筒が置かれている。
中身は新聞紙。
相沢が申し訳なさそうな顔で言った。
「すみませんね」
柔らかい声。
「念のため、確認させてください」
恭介は肩をすくめた。
「構いません」
役員の一人が聞く。
「封筒を置いたあと、触りましたか?」
「いいえ」
「誰か近づいた?」
「祭りですから、人は多かったです」
相沢がため息をつく。
「困りましたね……」
本当に困っているような顔だった。
「封印は破れていなかった」
封筒を指す。
「つまり途中で開けた人はいない」
その言葉は、ゆっくりと、恭介の方へ向いた。
誰も直接は言わない。
だが。
空気が語っている。
——お前ではないのか。
恭介の喉が、ひりついた。
そのとき。
机の上に黒い影が飛び乗った。
ヴァレリーだ。
「おい」
恭介が小声で言う。
「邪魔するな」
ヴァレリーは気にしない。
封筒の前に座る。
じっと見た。
封印部分を。
役員の一人が苦笑する。
「猫も気になるのか」
ヴァレリーは何も言わない。
ただ、封印を見ている。
光にかざされた透明部分。
そこに、ほんのわずかな波打ちがあった。
普通なら気づかない。
だが、ヴァレリーの瞳が細くなる。
封筒の紙の繊維が、熱で一度“変形した”痕跡。
人間には見えないほどの、微かな歪み。
「……なるほど」
小さく呟く。
恭介だけが聞いた。
「え?」
ヴァレリーは封筒から目を離した。
机から降りる。
そして静かに言った。
「真実は常に静かだ」
恭介は眉をひそめる。
「お前……」
黒猫は振り返らない。
尻尾を揺らしながら扉の方へ歩いていく。
まるで、もう答えを知っているかのようだった。




