第3話 商店街の不穏
夏祭りの準備が進む商店街は、
表向きは賑やかだった。
だが、その裏側には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
「今年の予算、また減ったんだってよ」
八百屋の店主が、隣の惣菜屋に小声で話している。
「そりゃあ、売上がな……。コロナのあと、どこも厳しいし」
「でもさ、祭りの規模を縮小したら、客足も減るだろう?」
「分かってるけどよ……」
ため息が、商店街の通りに溶けていく。
恭介はその横を歩きながら、
「まあ、どこも大変だよな」と軽く聞き流していた。
だが、足元の黒猫は違った。
ヴァレリーは耳をぴくりと動かし、人々の声の“温度”を聞き分けていた。
(不満。焦り。隠し事。人間は本当に分かりやすい)
金色の瞳が細くなる。
そのとき、履物店の裏手から、怒鳴り声が聞こえた。
「だから無理だって言ってるだろう!今月は……いや、来月も……!」
相沢の声だった。
恭介は足を止めた。
「相沢さん、誰かと喧嘩してるのか?」
「電話だな」
ヴァレリーが呟く。
恭介は首をかしげるだけで、特に気に留めなかった。
しかし、ヴァレリーは違った。
黒猫は静かに近づき、店の隙間から中を覗き込む。
相沢は電話を握りしめ、額に汗を浮かべていた。
「……分かってる。返すよ。返すって言ってるだろう……!」
声が震えている。
(返す? 何を?)
ヴァレリーは目を細めた。
相沢は電話を切ると、深く息を吐き、壁にもたれかかった。
その顔には、“商店街の真面目な店主”の面影はなかった。
疲れ切った父親の顔だった。
恭介が声をかける。
「相沢さん、大丈夫ですか?」
相沢は驚いたように顔を上げ、すぐに笑顔を作った。
「ああ、千束さん。いやいや、ちょっとね。仕入れ先と話してただけですよ」
その笑顔は、ほんの少しだけ遅れていた。
恭介は気づかない。
だが、ヴァレリーは感じ取っていた。
(嘘だな)
ヴァレリーは鍵尻尾を揺らした。
相沢は笑顔のまま言う。
「祭りの準備、頑張りましょうね」
「はい。何か手伝えることがあれば」
「ありがとう。でも大丈夫ですよ」
そう言って店に戻る相沢の背中は、どこか重かった。
恭介は首をかしげる。
「相沢さん、疲れてるのかな」
ヴァレリーは静かに言った。
「人間は、疲れると嘘をつく」
「え?」
「気にするな。お前には分からん」
恭介はむっとした。
「なんだよそれ」
ヴァレリーは歩き出す。
「祭りの裏には、いつも何かが隠れているものだ」
「何が?」
「さあな」
黒猫は振り返らずに言った。
「まだ“匂い”が薄い」
恭介はため息をつき、その後を追った。
商店街の空気は、確かにどこか不穏だった。
このときの恭介はまだ知らない。
その“不穏”が、やがて自分に降りかかる災難の前触れだということを。




