外伝第三話 高級タワーマンションの呪い 後編
第四章 楽園の謎
マンションを後にした岸本たちは、時を置いて再び岸本の事務所に集合していた。
来客用デスクには、タブレットから古いファイルまで、様々な資料が積まれている。
煙草の煙が薄く立ち上り、室内に渋い匂いを漂わせていた。
「あれから俺なりに調べてみたが……買収後、マンション名が『エリュシオンタワー』に変わった事。それまでの住人が『破格で買い取ってもらえた』という声が僅かにあるだけだった」
岸本は資料に目を通しつつ呟く。ページをめくる音が微かに響く。
ヴィクトルがタブレットを操作しながら、淡々と告げる。
「【ノイズ】に内部情報を調べさせた。『久遠エステート』は、天の声の後続団体、『真理の光』のフロント企業である事が判明した。元教祖・天城を神と崇める狂信的、かつ秘匿性が極めて高い教団だ」
「しっかし低価格つっても、何でこんな物件が売れるんだ? フツーに考えてヤベーだろ」
辻村が首を傾げ、いつもの軽口を叩く。
「教団がセミナーや社会人サークルを装って一般人を勧誘・洗脳し、住まわせておるようじゃな…。辻村も少しは資料を見んか!」
屋島が辻村を軽く睨み、資料の束を指す。
辻村は「へいへい」と苦笑しながら手を伸ばした。
ヴィクトルのタブレットを操作する指が止まり、一拍の沈黙があった。画面を皆に見せて告げる。
「皆これを見てくれ。『真理の光』は、天城が生誕した毎月9日に、生誕を祝う小規模な儀式……そして死去した毎月23日に、復活を祈る大規模な儀式を行っている。先日の微弱な反応があったのも9日。偶然とは思えん」
「23日に、何かある可能性が高いって事ね……。上等じゃない!」
真琴の瞳に、炎のような覚悟が宿る。彼女の拳が、静かに握りしめられた。
事務所に沈黙が落ちる。
秋の陽が傾き、窓辺に長い影を落とす中——。
次の23日が、静かに迫っていた。
第五章:死の工場
マンションへと戻り、23日を迎えた深夜ーー。
その感覚は突如として発生した。
前回とは比べ物にならない程の、魂が霧散するような…それでいて甘美な恍惚感。
「今回は明らかな異常値を検知。生体エネルギー検知器のメーターが振り切っている」
機器を操作しながら、ヴィクトルが告げる。
「ヴィクトル、場所は?まだ特定出来ないの!?」
真琴の顔に苛立ちが浮かぶ。
「……データ分析完了。全エネルギーが屋上に集束されているのを特定した。長期調査の甲斐があったな」
機器を操作しながらも、ヴィクトルの声に僅かな熱が宿る。
「遂に来たわね…皆行くわよっ!」
全員で屋上への階段を駆け上がる。
屋上へと続く分厚い鉄の扉は、固く閉ざされていた。来る者全てを拒絶するかのように、何重にも鎖が巻かれている。
「ちっ!こっちは急いでんだよっ!」
辻村の手に炎刃が宿り、分厚い扉を斬りつける。
寸断された扉の向こうにはーー。
巨大で奇妙なシンボルがそそり立っていた。
円の中に、十字と星が絡み合う。
空気は重く熱を帯び、シンボルの周りを渦巻いている。
「何だこりゃ…宗教のシンボル?ヤベぇ感じしかしねぇな」
辻村の顔に嫌悪感が滲む。
「これは、【天の声】のシンボルマークだ。このシンボルに向かって、マンション中の生体エネルギーが集束されている」
次第にシンボルに集束された熱が引いていく。
夜風が吹き、遠く六本木の夜景が妖しく煌めく。
「異常値検知後、約28分後に正常値へ回帰。成程な…短時間だが、この奇妙な感覚を受け続けているうちに、入居者たちの精神と生体エネルギーが侵食され、死に至るのだろう。このマンションは、さしずめ【死の工場】といったところか」
「んじゃあ、このシンボルをぶった斬る!」
辻村が灼熱の炎刃でシンボルを両断しようとした刹那…。
シンボルから、突如として粘着くタールが溢れ出し、同時に黒い暴風が吹き荒れる。
やがてタールが歪んだ人型の輪郭を成し、暴風が集積されていく。
漆黒の風を身に纏い、不気味に揺らめくその様は、さながら人の魂を刈り取る死神のようだった。
「あんたがこのマンションの元凶ね…?人の命を集めて何するつもりなの?」
「私は…魂の導き手…多くの死を集め…救済…し…我が主…天城様…復活の力と…なす…」
風が吹き荒れる中、呪詛の声が、魂の残響のようにこだまする。
「貴様ら…も…主の力となれ…」
呪詛の邪気が、暴風と共に勢いを増す。
「死が救済、天城を復活だとぉ?…ざけんなっ!」
辻村が連撃を繰り出すが、粘着く呪詛の身体が僅かに散るのみ。
「炎は効果が薄い…次は私がっ!」
次いで、呪文の詠唱を終えた真琴の双剣が斬り込んだ。
右手の風の刃が切り裂くも、即座に再構成される。
しかし、左手の刃が触れた瞬間。
バリバリバリ…!
左手の氷の刃が、呪詛のタール状の身体をみるみる凍結させる。
「火や風は効かなくても、氷なら有効みたいね」
「流石は真琴くんじゃのう。瞬時に敵の弱点を見極めるとはな」
言うが早いか、屋島の指が軽く振られる。
瞬時に、呪詛を中心に屋上全体が凍りつく。
「…貴様…ら…!」
呪詛の顔に苛立ちが浮かぶ。
辻村と真琴が同時に斬り掛かった刹那…。
マンション全体に、突如怪異の歪み…異空間が広がり、呪文が無効化される。
辻村の炎刃も、真琴の双剣も、屋島の凍結も、脆くも崩れ去っていった。
「…驚かされた…ぞ…だが、私が操る怪異は…このマンション全て…ここにいる以上…貴様らは…私の手の中…だ…」
その直後、呪詛の身体から凄まじい邪気の暴風が吹き荒れる。
「危ないっ!」
岸本は咄嗟に真琴を庇いつつフェンスに掴まり、何とか転落は免れた。
だが、怪異に阻まれ結界すら張れない中、辻村・屋島は暴風に呑まれ、屋上から転落していった。
(……嘘だろ!?ここは地上100メートルだぞ…!あの2人は、もう…)
吹き荒れる暴風の中、岸本の心臓が早鐘を打つ。
喉の奥まで出かかった悲鳴を、暴風が無理やり押し戻す。
高濃度の邪気が肺に絡みつき、呼吸が乱れる。
次第に視界が歪み、意識が遠のいていく。
「あとは…貴様らだけだ…救済…してやろう…」
呪詛が手を翳すと、暴風が凝縮し、どす黒い槍を形成する。
槍の先端が月光を反射し、鈍い光を放つ。
呪詛は笑みを浮かべながら、2人にゆっくりと近づいていった。
辻村と屋島を失い、毒に蝕まれ、呪文が使えない絶望の渦中…。
真琴は呪詛を見据えながら、笑みを浮かべた。
「…あまり、神霊十将を舐めない事ね」
「クハハ…!…何を言うかと思えば…。負け惜しみも…ここまで来ると…哀れよの…」
呪詛の嘲笑が響き渡る。
次の瞬間。
ビキキキキッ!!
凄まじい凍結音と共に、タワーマンション全体が分厚い氷に包まれる。
闇に沈んでいた壁面が、月光を弾く白銀の鏡へと一変した。
同時に、呪詛の全身が凍結させて締め上げられ、悲鳴が響き渡る。
呪詛の弱体化と比例し、怪異の歪みが揺れ始める。
「…?なん…だ…この…氷は…?」
マンションの壁面から、まるで氷の龍のような柱が登り立つ。
その上に乗り現れたのは…辻村と屋島の2人だった。
呪詛が、愕然とした表情を浮かべる。
「怪異なんていないっ!」
岸本の言霊が、弱体化した怪異を粉砕し、天の声のシンボルマークが崩れ落ちる。
「か…怪異が…!貴様ら…何故…呪文が…使えた…?」
「お主自身が言っておったろ?『マンションの全てが怪異』と。ならばマンションから離脱し怪異の異空間を抜け、呪文を有効になるまでよ」
屋島が静かに語る。
「お前が余計なおしゃべりをした時点で、お前の負けは確定してんだよぉ!」
辻村が、中指を突き立てる。
「言ったでしょ、神霊十将を舐めるなって!」
鋭い殺気と共に、辻村と真琴が躍り出る。
「喰らいやがれっ!」
ズバババッ!
辻村の炎刃が、瞬く間に呪詛を寸断する。
同時に、真琴の詠唱。
「氷の神よ、永遠の凍土を賜れ。万物を固め、邪を封じ給う! 氷縛!!」
凍てつく冷気が、無数の鎖となり寸断された呪詛を巻き込み締め上げる。
「ぐ…まだ、まだ…死ねぬ…もっと…多くの救済をして…天城様の御元へ…」
苦痛にもがきかながらも、呪詛は生にすがり喘ぐ。
必死に身体の修復を試みるが、冷気の鎖に阻まれ叶わない。
「これが、あんたが散々バラ撒いてきた『最高の救済』よ。……せいぜい、たっぷり味わって逝きなさい」
真琴の氷のような冷たい視線に、呪詛の絶望が滲む。
「呪滅!!」
ゴウッ!
浄化の光が天へと昇華し、呪詛は跡形もなく消え去った。
夜風が崩壊したシンボルを流し、屋上には清涼な空気が流れ始めた。
第六章:決意の朝
決着から数時間後。
東の空が白み行く中、ヴィクトルの手配した科学班の作業員たちによる、撤収作業が始まっていた。
「皆、今回はご苦労だった。おかげで貴重な呪詛のデータを取る事が出来た。また何かあったらよろしく頼む…。以上だ」
マンションの機材などの撤収が終わると、ヴィクトルは作業員たちと共に引き上げていった。
「まっ!とりあえず解決だな。入居者たちも、これで正気を取り戻すだろ。…ここのジムが使えなくなっちまうのは、少し残念だけどな」
辻村が、軽く頭を掻きながら笑う。
「私も、あのラウンジ良かったなぁ。お菓子とかすごい美味しかったし!ラウンジ付きのホテルとか泊まりたくなっちゃった」
真琴が、屈託のない笑みを浮かべる。
「今更だけど、2人ともすげぇな…数時間前まであんな戦いをした後なのに、もうケロッとしてる」
岸本が、煙草に火をつけつつ呟く。
「手練れになる程、そんなもんじゃよ。過去に囚われ過ぎていては、目の前の呪詛を滅する枷となる…。皆、後悔や絶望は、心の奥底にしまっておくんじゃ」
幾多の死線をくぐり抜けて来たであろう、屋島の言葉が重く響く。
(皆、何かしらの思いを胸に秘めて戦っている…。もし俺の力が皆を助けられるのなら、幾らでも貸そう。…仮に天城が蘇ろうとも…!)
岸本は新たな思いを胸に、家路へと向かった。
第七章:至高の普通
事務所に戻ってから数日後。
雑居ビルの三階、岸本探偵事務所。
テレビでは、ニュースキャスターが速報を告げていた。
「宗教団体『真理の光』およびフロント企業『久遠エステート』に対する捜査が本格化し、主要幹部複数名が逮捕されました。関係者によると、現在六本木の高級タワーマンション『エリュシオン・タワー』は、入居者の死亡率が問題化し…」
辻村がリモコンを投げ捨てるようにしてテレビを消し、大きく伸びをした。
「まあそりゃ、あれだけの騒ぎになったんだ、警察も動くよな……ん?どうしたジジイ、岸本。顔色悪いぜ?」
今日は合同捜査の報告書作成を兼ねて、辻村と屋島が訪れていた。
しかし岸本と屋島の顔は青ざめ、どこか精彩に欠けていた。
原因は明白だった。
真琴が突然「せっかく揃ったんだし、皆にフレンチトーストでもごちそうするね!」と宣言し、キッチンコーナーで鼻歌を歌いながら調理を始めていたのだ。
僅かに甘い香りが漂い始め、事務所の空気が微妙に変わる。
岸本はソファに座ったまま、まるで神の慈悲を求めるかのように呟いていた。
「……どうか普通のフレンチトーストでありますように……マヨや背脂が入っておりませんように……」
辻村の顔が一瞬で青くなる。
「ちょ……待てよ、俺の聞き間違いだよな? マヨやら背脂って……」
屋島が懐から錠剤の小瓶を取り出し、静かに差し出す。
「辻村、岸本くん……これは強力な胃薬じゃ。飲んでおく事を強くお勧めする……これからどんな事態になるか、儂でも想像がつかんわい」
屋島の鋭い眼光には、覚悟の炎が宿っていた。
「マジかよぉ……」
辻村は肩を落としつつ、胃薬を一気に飲み干す。
「お待たせ! フレンチトースト出来たよ…あれ、皆どうしたの? 揃って元気なさそうだけど」
真琴がトレイを持って現れる。
黄金色に焼けたトーストが、見た目は完全に普通だった。
バターの香りとメープルシロップの甘い匂いが、事務所に優しく広がる。
3人は顔を見合わせ、覚悟を決めて一口ずつ口に運んだ。
「……っ!」
岸本の頬を、一筋の涙が伝う。
「…これは、普通のフレンチトースト……やった、俺たちは助かったんだ…!」
辻村が拳を握り、声を震わせる。
「マジかよ、こりゃ究極だぜ…! 完璧な普通のフレンチトーストだっ!」
屋島は目を閉じ、深く息を吐いた。
「正に至高の味じゃ…。まさかこれ程までに、普通の逸品に出会えるとはの…」
絶望を覚悟していた3人は、安堵のあまり味の評価がバグりまくった。
真琴は皆を怪訝そうな顔で見渡す。
「?? 究極なのに普通?……よく分かんないけど、普通が嫌ならトッピングもあるわよ。ホイップクリームとかアイスとか。他にもマヨとか背脂」
「「「普通が1番っ!!」」」
真琴の言葉を遮り、3人が声高らかに叫んだ。
真琴は目を丸くしつつも、クスッと笑い出す。
ようやく和やかな一時が始まり、温かい喧騒が事務所を満たした。
岸本はコーヒーを啜りながら、窓の外を眺める。
秋の空はどこまでも高く、澄み渡っていた。
窓から差し込む陽光が、皆の顔を優しく照らしていた。




