外伝 第三話 高級タワーマンションの呪い 前編
第一章:腰砕けの依頼
雑居ビルの3階、岸本探偵事務所。
夏の暑さが和らぎ、開けた窓からは爽やかな秋風が吹き込んで来る。
デスクの上には、飲みかけのブラックコーヒーが冷めきって湯気を止め、真琴が毎日磨き上げたピカピカの天板に陽光が反射していた。
岸本優介は、秋風に吹かれて呆けていた。
昨日は「夜中にラップ音がする」と怯えきった高齢男性の依頼だった。
一晩中耳を澄ませた結果、隣室の掃除ロボットが壁を叩いていただけという、何とも腰砕けな結末だった。
「もう、やってらんねぇ…。一晩中、呪詛か怪異かって緊迫してた俺がバカみたいじゃねえか。腰も痛ぇし」
来客用ソファに座りながら、相棒の神藤真琴が苦笑しながら慰める。
「まあ、良かったじゃない。感謝もされたし、日当1万円も貰えたんだしさ」
真琴はコンビニ袋からお菓子を1つ取り出し、岸本にそっと差し出した。
「ほら、これあげるから元気出しなよ…。はい、あーんして」
お菓子が岸本の口に放り込まれた瞬間…粘着く脂っこさと強烈な匂いに、砂糖の甘さが混じり合った味の暴力が炸裂した。
「…っ!! げほっ、ごほぉ!!」
必死にコーヒーで流し込みつつ、視界に入ったお菓子のパッケージ…そこにはおぞましい名称が刻まれていた。
「にんにくマヨネーズ背脂キャラメル」
(マジかよ…もうこれ、劇物使った無差別テロだろ…)
涙を浮かべつつ震える岸本を見て、真琴は不思議そうに呟く。
「え、涙流すほど美味しかった…?でも良かった、少しは元気になれそう?」
(むしろ、止めを刺された気分…)
岸本は、真琴の問いに無言で頷きつつ、もたれる胃を押さえた。
そんな中、デスクの電話が鳴り響いた。
岸本は満身創痍で受話器を取る。
「はい…岸本探偵事務所」
「…ヴィクトルだ。岸本、今回はお前たちの力を借りたい…近日中に予定は組めるか?」
感情の希薄な、淡々とした声。
超自然現象を対象とした、解析・分析のスペシャリスト…ヴィクトルの声だった。
「ヴィクトルさんか。珍しいな、あんたから依頼なんて。明後日なら、ちょうど予定が空いてるが」
「六本木にある、格安で販売されている高級タワーマンションの案件だ。入居者の死亡率が異常に高く【ノイズ】から予備調査の依頼があったが、呪詛・怪異などの数値は皆無。だが、異常死の発生率は統計的に有意。…この矛盾が大変興味深い。個人的に調査を継続する事にした」
岸本の目がわずかに細まる。
「格安の高級マンション、それに異常な死亡率?…確かに不自然だな」
「明後日、辻村・屋島を引き連れそちらへ向かう。詳細はその時直接話そう…以上だ」
電話は静かに切れた。
「ヴィクトルから直接の依頼?珍しい事もあるものね」
岸本は煙草に火を点け、深く吸い込む。
「ああ…格安高級タワマンか。怪しい匂いがプンプンするぜ」
事務所に、静かな緊張が忍び寄るように広がった。
第二章:格安の高級マンション
明後日、午前中。
ノックも無しに、ドアが勢いよく開かれた。
「おう!真琴に岸本、久しぶりだな!前回の呪詛の時以来か?」
赤い髪を逆立てた長身の男――神霊十将四位【炎龍】辻村炎翔が入ってきた。
「これ、ノックくらいせんか!…すまんのぅ、2人とも」
次いで現れたのは白髪の老紳士――五位【氷王】屋島悠玄。
静かな中にも、円熟した風格を漂わせる。
真琴は苦笑いしながら会釈する。
「辻村さん、ほんっと相変わらずよね…。屋島さん、いつも辻村さんの面倒、お疲れ様です」
「もう慣れたわい。辻村の奴、今回はまだ正体が分からんから、またお化けの類いじゃないかと落ち着きがなくてのぅ」
「うるせーよジジイ!呪詛ならぶっ飛ばせば済むけど、正体不明なのは怖えだろうが!」
辻村が顔を赤らめ、屋島が穏やかに笑む。
「岸本、真琴、久しいな…。今回はよろしく頼むぞ」
最後に現れたのは、白衣をまとった白髪の老人…ヴィクトル。
いつもながら感情が希薄で、底の知れぬ冷徹さを纏う。
「皆、元気そうで何よりだよ。コーヒーでも淹れよう…そこに座っててくれ」
岸本が軽く会釈しつつ、来客用ソファに皆を促す。
全員が席につくと、ヴィクトルが静かに切り出した。
「早速本題に入る。電話でも触れたが、六本木の格安高級タワーマンションの案件だ。
ここ数年、突然入居者の死亡率が異常に高まっている。予備調査では、呪詛・怪異などの数値は皆無だった」
「都心の好立地、しかも高級タワーマンションで、1部屋たったの3000万円だとよ。普通に考えてあり得ねぇだろ?」
辻村が軽口を叩く。
ヴィクトルが資料の入ったタブレットをテーブルに置く。
「売主は「久遠エステート」。
死因は全て心臓麻痺などの自然死だが、入居者は、遅くとも1年以内に全員が死亡している。
現地入りしての詳細な長期調査が必要だ」
「高級タワーマンションを格安で購入し、その結果命を失う。何とも皮肉な話じゃの」
屋島の顔の皺が深まる。
岸本が煙草をくわえ、火を点ける。
「何の予兆も無いのに死ぬ…。しかも予備調査でも分からない?どう考えても穏やかな話じゃねぇな…」
ヴィクトルが淡々と続ける。
「現地に移って調査を始める。原因が呪詛や怪異の場合、お前たちの力も必要だ。準備が出来次第、連絡を頼む」
事務所に、重い静けさがゆっくりと降りてきた。




