外伝第一話 大好きスタンプの呪い 後編
怪異の只中のゆめみは、既に人の形をほとんど失っていた。
身体はすり切れたぬいぐるみのようで、黒い怨念の糸に縫い合わされ、ぽたぽたと血の涙を落としていた。
「ママを…イジメないで……!あんなに大きくて、強くて、優しいママを……私、自分で作ったの……!」
少女の声が、嗚咽と一緒に震える。
突如、岸本の視界が歪んだ。
ゆめみのフラッシュバックが浮かんでいく。
――最初は温かい記憶。
「ゆめみはママの宝物だよ。大好き♡」
若い母親が、くまちょこを抱かせながら、ゆめみをぎゅっと抱きしめる。
ゆめみの顔に、無垢な笑みが浮かぶ
――だが、それは次第に色褪せていく。
暗い部屋に、1人閉じ込められるゆめみ。
「ママ開けてぇ! 怖いよぉ…おなか空いたよぉ…」
泣き叫ぶ声に、もう母の返事はない。
――ゆめみの最後の記憶。
枯れ枝のようにやせ細ったゆめみが、床にうずくまり、くまちょこをぎゅっと抱きしめて震えている。
「…私わるい子だから…ママに…捨てられちゃった…。だっこ…してほしかったな…おともだちと…遊びたかった…な…」
記憶が途切れる。
「本当のママは……男の人と出かけるたび、私を鍵のかけた部屋に閉じ込めて……『お前なんかいらない』って言って……。
だから……くまちょこなら、私をずっと抱きしめてくれるって…おともだちとも遊べるって…だから、ママを……くまちょこを殺さないで……!」
岸本はゆっくりと近づき、膝をついた。
「……ゆめみ」
少女の体が、びくっと震えた。
「ゆめみ、君の作ったママは、もう解放してあげよう」
「だめ!私いらない子だから…ママがいなくなったら、またひとりぼっちに……」
岸本は、ゆめみを抱きしめた。
全身に怨念の糸が巻き付き、皮膚が焼けるような痛みに顔を歪めながらも、強く、強く抱きしめた。
糸が肉を抉り、血が滴る。
それでも離さない。
「違う…ゆめみはいらない子なんかじゃねぇ!悪いのはゆめみのママだ! ゆめみはただ、愛してほしかっただけだろっ!!」
少女の目から、ぽろりと一筋の涙がこぼれた。
「俺じゃ、ママの代わりにはなれないかもしれない……。でも、誰も抱きしめてくれないなんてことはねえ!少なくとも俺だけは……俺だけは、ゆめみを絶対に離さねえ!」
少女が、初めて、本物の笑顔を見せた。
「……おにいちゃん……」
その瞬間。
外で、巨大くまちょこが静かに崩れ落ちた。
崩れゆく灰の中から、
くまちょこの優しい声が、風に乗って微かに届く。
それは慈愛に満ちた、まるで母の声のようだった。
「ありがとう、ゆめみ…ずっと…大好き……」
少女の体が淡い光に包まれ、次第に本来のゆめみの姿を取り戻してゆく。
否定の言霊ではない。
温かい、肯定の言霊。
岸本は、最後に小さく呟いた。
「ゆめみ、これはさよならじゃない…。寂しかったら、またいつでもおいで。俺はいつでも待ってるよ」
少女が、こくりと頷いた。
「うん、またね、おにいちゃん…ありがとう…」
そしてゆめみは、次第に光の粒となって消えた。
残ったのは、床に落ちたくまちょこの小さなタグ。
震える子どもの字で、
「くまちょこ だいすき」と書いてあった。
岸本はそれを拾い、そっと胸にしまった。
廃マンションは、元の静けさを取り戻していった。
ーー帰りの車中。
「岸本、今回はマジで助かったぜ。噂通りの凄腕だったな!……もう、変なメッセージとか来てねえよな…?」
辻村はスマホをチェックしつつ、ようやく安堵の表情を浮かべる。
「否定の言霊を使う者はおるが、まさか肯定の言霊で怪異を浄化するとはな…儂も驚いたわい」
屋島は相変わらずの落ち着きようだ。
「…あの子は、ただ愛されて、友達と遊びたかっただけなんだ。そんな子を否定するなんて、俺には出来なかった…それだけだよ」
車内がしばらく、沈黙に包まれる。
「でも、そんなゆめみちゃんの魂を、岸本は救ってあげられたのよ。今回も頑張ったわね、相棒!」
助手席の真琴が、岸本の頭を優しく撫でる。
「違いねえ。あんた大した奴だよ…あー、それにしても腹減ったなぁ。朝から何も食べてなかったからな。がっつりステーキでも食いてえ!」
「私はパンケーキとパフェがいいなぁ。岸本は何食べたい?」
「真琴は甘いの好きだよなぁ…俺は、強いて言えばパスタかな?」
「やれやれ、みんな見事にバラバラじゃのう…。よし、無理やり押しかけたお詫びも兼ねて、ファミレスで食事でもどうじゃ?儂が奢るぞ」
屋島が穏やかに微笑む。
途端に車内が色めき立った。
「マジかよ?ビール朝まで飲み放題なんてのもアリか!?」
「じゃあ私もっ!甘いお酒あるかなぁー」
無邪気にはしゃぐ辻村と真琴に、岸本の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
ーーゆめみの残した『大好きスタンプ』は、今も誰かのスマホに残っているかもしれない。
だがそれを、怖がらず受け入れてくれる人がいると信じたい。
俺たちは、ゆめみちゃんの「大好き」を、ちゃんと受け止められたのだから。
ゆめみの悲しい過去と、それを肯定の言霊で救う岸本。
そして十将との連携。如何でしたでしょうか。
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