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騙し絵  作者: 星 則光
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第2章 機密情報 4

 深夜、人気のない廊下に足音が響く。A国大使館に呼び出しを受けたミケは、無機質な会議室の扉を押し開けた。待っていたB中佐は、机の上に無造作に置かれた厚い封筒を指先で叩き、低い声で言った。

「これを翻訳して、彼に渡すんだ。」


 封筒の中には、図面と技術仕様書……見ただけで、ありふれた資料ではないと分かる。

 B中佐はさらに声を落とし、唇の端をわずかに歪めた。

「これは、海軍が今実験を続けている途中の、新しい空母に搭載を予定している電磁式カタパルトの技術資料のほんの一部だ。もちろん、核心部分には触れていない」

「これは……本当にハイレベルの機密情報では?」ミケは思わず息を呑む。

「こんなもの、大統領派で腰抜けばかりの海軍にはどうせ使いこなせないオモチャだよ。岡田和臣には、A国で実用段階のリニアモーターカーの資料だとでも言ってやれ」


 突飛な話に、ミケは茫然とするだけだった。

 思いつきの唐突すぎる嘘。だがそれを躊躇なく口にする態度に、ミケの背筋が凍った。

 B中佐は、氷のような眼差しで続ける。

「これが公になれば、これが何か気付く奴が必ず現れる。この高度な技術にA国脅威論が一気に過熱するだろう。……そろそろ総仕上げだ」

 目的のためなら、祖国の情報すら躊躇なく差し出す。

 その冷血さが、ミケの胸に重くのしかかる。

(和臣はきっと、また信じてしまう……私の差し出す“真実”を)

 B中佐の声が、背中を押すように響く。

「……ためらうなよ、彼は利用できるうちに、利用するんだ」

 ミケは封筒を抱え、無表情で一礼した。


「いま、A国の首都郊外を走っている首都圏リニアの線路に関する資料なんだって」コーヒーカップを持つ手が少し震えるのを感じながら、ミケは言った。

「翻訳したけど、難しすぎて私にもよくわからないんだ。でも、もしかすると役に立つかもしれないよ」

 和臣は、封筒に入っていた書類を出してみてみたものの、彼にもそこに書かれている内容が何なのか、全く理解できなかった。ただ、確かにレールの図面の一部のようにも見えるところから、確かにリニアに関連する情報なのだろうと思った。

(私のことを信じないで!もっと疑って!)

 ミケはそれを口に出して叫びたい衝動に駆られたが、それをすることはできなかった。




 和臣は家に戻ると、靴も完全に脱がないうちにスマホを取り出した。ミケからもらった封筒を机に置き、わくわくと胸を弾ませながら写真を撮る。

 《A国の首都圏リニアの極秘資料を入手した。まだ公表されていない計画図だと思う。すごいことになるぞ》


 投稿ボタンを押した指が震える。それは恐れではなく、これから起こることへの期待と高揚だった。

 すぐに通知が連続で鳴りはじめる。

 フォロワーたちの反応は、いつも通り熱く、そしてその底は浅い。

 《マジか!》

 《オカピさん、すごい情報網!》

 和臣は笑った。

 自分が沢山の人に必要とされている……

 その感覚が胸を温かく満たしていく。

 だが、数十件の肯定の中に埋もれるようにして、1件だけ、異質なコメントがまぎれていた。

 《図の一部、電力系というか……それに、磁気勾配も変だ。鉄道の軌道には見えないよ。これ》

 和臣はその違和感に一瞬眉をひそめた。

 けれど、すぐ次の称賛の通知に視線が流れてしまう。


 《A国のリニアなんて、どうせ日本のパクリだろ》

 《オカピ、もっと教えてくれ!》

 肯定の波が押し寄せるたび、和臣は不安を飲み込み、いい気分がそれを上書きしていった。

(ミケがくれた資料だ。やっぱり間違いない)

 そう心の中で言い聞かせながら、和臣は次の投稿文を考えはじめていた。

 まさか、この小さな違和感が、後に取り返しのつかない渦へと化していくとも知らずに。


 その夜、和臣の投稿は小さな範囲で静かに広がっていた。

「すごい!」「続報キボンヌ」……軽いコメントが並び、特に炎上するでもなく、日常の延長のように過ぎていく。

 だが、フォロワー数が一万にも満たずあまり目立っていない“オカピ”のアカウントを、偶然フォローしている男が一人いた。


 ハンドルネームは 〈リビング提督〉。

 軍事検証系ブログを十年以上続け、この界隈では一目置かれる存在だ。

 彼は和臣の投稿に添付された一枚の図面を、じっと見つめていた。

 指先で画像を何度も拡大し、微細な記号や線の配置を追う。

「……これは、リニアモーターカーの軌道じゃない」

 低く呟くと、モニター横に積まれた様々な資料を掘り起こし、照らし合わせた。

 磁気勾配、推進コイル、蓄電ユニットの配置……どれも鉄道とは思えない構造になっている。

「発電ではなく、蓄電……? 磁気勾配の変化……?まさか、リニアモーターカーではなく何かの発射装置……?」


 男の瞳が鋭く光った。

 彼はすぐに記事を書き始めた。

 タイトルは、扇情的な文言を避けながらも、読み手の好奇心を煽るように。

「A国の“首都圏リニア図面”とされる画像について……実は改良型電磁カタパルトの一部では?」

 添付された和臣の画像には、赤い矢印と注釈が丁寧に重ねられていく。

 ・リニアとの共通項

 ・相違する技術仕様

 ・A国海軍の既存研究との符合

 ・A国の空母が抱える問題点との関係

 そして、この技術が使われるとすれば、それは原子力空母しかありえない、と結論付けていた。ただし、これだけではあまりに断片的であるとも書かれてもいた。

 けれど、この推論は鋭く、説得力を持っていた。


 公開から30分。

 〈リビング提督〉の記事へのアクセスは急速に増えていく。

 《これやばくね?》

 《マジ軍事技術じゃん》

 《あの図面の出どころは?》

 コメント欄には、和臣の投稿へのリンクが貼られ始めた。

 静かだったはずの湖面に、リビング提督が小石を落とした。波紋はゆっくり、しかし確実に広がっていく。リンク先の「オカピ」の投稿も貼られ、そこにも無数の足跡がつく。

 やがて、A国に対抗するには侵攻が始まる前に敵基地を先制攻撃できる装備が必要だとか、日本も原潜を配備すべきだといったコメントが増えていった。

「カタパルト」「軍拡」「核武装」といった言葉が、互いに結びつき、溶け合いながらネットの海を漂い始めた。

 どの言葉も断片的で、何の確証もないまま、A国への疑念だけが増幅していく。


「互いに嫌い合えばいい。憎み合えばいい」B中佐の言葉が、ネットの中で生き物のように蠢いていた。


お読みいただきありがとうございます。

ここで、第2章が終わります。

11日(木)の夜から第3章、第4章を始めます。

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