第2章 機密情報 2
数日後の夜、ミケは、首都高速の高架下を、和臣とふたりで歩いていた。
照明に照らされた雨上がりの舗道に、ふたりの影が長く伸びている。
「動画、すごい伸びてますよ。急上昇ランキングまでいってるなんて、すごいです」
和臣は照れくさそうに頭をかいた。
「いやぁ、こんなの初めてで……。ほんと、君のおかげだよ」
その声には、疑いも打算もなかった。
ただ、まっすぐな感謝の気持ちだけが宿っていた。ミケはその無垢さに、胸がきゅっと締めつけられた。
(やめて! その純粋さを私に向けないで)
ミケは何度も偽りの「信じさせる言葉」を使ってきた。というより、ミケのその全てが偽りだった。
だが、和臣は違う。
彼の言葉には、嘘が一つもない。
「和臣さんって、優しいですね」
思わず口にしてから、ミケははっとして言葉を飲み込んだ。
任務に不要な感情。漏らすはずのない本音だった。
「そう? 僕なんか、ただの小心者だよ」
和臣は笑って言ったが、
ミケにはその笑顔の裏に、和臣の孤独が見えた。
(誰かに必要とされたくて、必死なんだ)
それは、ミケ自身がずっと抱えてきた渇きと同じだった。
「ミケさんはすごいよ。美人で、頭もよくて、自信があって……」
和臣はうつむき、声を小さくする。
「僕なんかと一緒に歩いてて、恥ずかしくないの?」
その言葉が、ミケの心の一番脆いところに触れた。
「……恥ずかしくなんて、ないです」
気づけば、言い切っていた。
和臣が驚いたように目を丸くする。
路上駐車をしている車の窓に映る自分の表情を見て、ミケは焦る。
(私、こんな顔できるんだ)
任務以外の感情を、誰かに向けることなんてなかったのに。
「和臣さん、もっと…自分を大事にしてください」
声が震えている。
ミケは呼吸を整えた。
「和臣さんは、誰よりも、優しい人なんですから」
一瞬、ふたりの距離が縮まった。
触れれば壊れてしまいそうな沈黙が流れる。
「ミケさん……」
和臣の口から自分の名前がこぼれた瞬間、
ミケは踵を返して歩き出した。
「ごめんなさい。今日はここまでにしましょう」
背中を向けているのに、熱くなる頬と、早くなる鼓動は止められなかった。
(ダメ。これは任務なんだから)
胸の内で必死に繰り返す。
(私は、彼を利用するためにいるんだから)
でも、足取りはどこかふわふわしていた。置いてきた和臣の視線が、痛いほど刺さる。
夜風が吹き抜けても、頬の赤みはなかなか引かなかった。
ミケと別れた帰り道、和臣はイヤホンを外して夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
胸の奥が、ずっと熱い。鼓動が落ち着かない。
(ミケさんと歩くの、なんか夢みたいだった)
彼女の言葉が、何度も頭に響く。
「和臣さんは、誰よりも、優しい人なんですから」
あの一言が、和臣の心を強く掴んで離さなかった。
(優しい?僕が?)
派遣の仕事ではすぐに替えのきく駒でしかない。上司には怒鳴られ、同僚には無視される。誰も自分を認めてくれない世界。でも、ミケだけは違う。
いつも、肯定してくれる。
和臣の投稿に、「いいね」だけでなく、いつも言葉で応えてくれる。
(ミケさんが、唯一僕を必要としてくれてるんだ)
いつしかそう思うようになっていた。帰宅してスマホを開くと、既にミケからメッセージが届いていた。
「今日はありがとう。また会いましょうね」
和臣は震える指で返信する。
「こちらこそ、すごく楽しかったです。また会ってください」
送信ボタンを押した後もしばらく画面を見つめた。
既読がついた瞬間、胸が跳ねる。
「もちろんです!」
その言葉を見た途端、和臣は泣きそうになった。
(こんな僕のことを、必要としてくれる人がいる)
和臣はスマホを握りしめたまま、部屋の薄暗い天井を見上げた。
(もっと、頑張らなきゃ)
それは仕事に対してではない。
社会のためでもない。
……ミケに褒められるため。
……ミケに認められ続けるため。
和臣はすぐに次の動画の構想を練りはじめた。過激な内容のほうが視聴回数は伸びる。
ミケが喜ぶ。フォロワーも増え、収益も上がる。
(僕は、ミケさんにふさわしい人になる)
そう強く信じこんだ和臣は、
深夜までパソコンにかじりついた。
その夜、寝る直前。
和臣はふと、ミケの横顔を思い出した。街灯に照らされた、少し寂しげな笑顔。
(いつか…ちゃんと手をつないでもいいのかな)
そんな淡い希望が、和臣の心をどこまでも甘く、そして危うく膨らませていった。




