第一章 出会い 4
その日から、ミケは時々メッセージにPDFや画像を添付してきた。
最初は、A国政府のちょっとした方針説明や記者会見資料の日本語訳だった。
「A国が日本の農産物への規制を検討中」
「A国の政府高官、日本の対外政策を批判」
どれも、大使館のウェブサイトに載っていそうな、本当に大したことのない情報だった。それでも和臣が動画にして投稿すると、フォロワーは喜んだ。
「内部情報だ!」
「オカピさん、よくぞ伝えてくれた!」
再生数は安定して伸び続け、拍手の絵文字が並んだ。
「自分が必要とされている」
その実感が日増しに強くなる。
数週間が過ぎたころ、ミケは何気ない口調で言った。
「最近、翻訳の依頼が増えてきちゃってね。日本に関する情報がすごく多くなってるの」
「へぇ……なんか不気味だな」
「だから、和臣さんが広める意味はますますあるんだよ」
そして、添付される資料の内容は、
すこしずつ、すこしずつ、時間をかけてその濃度を増していった。
「在日A国企業と日本の政治家との非公式な面会リスト」
「A国大使館が把握する、日本の特定団体との接触予定」
他にも見慣れない専門用語が並ぶ資料もあり、
「内部でしか見られないものでは?」
と常識が囁く瞬間もあった。だが、和臣の心はもう別の声に支配されていた。
(ミケが言うんだから大丈夫。僕が日本を守るんだ)
警戒心は、ミケの微笑みに触れるたびに消えていく。
「これ、機密とかじゃないの?」
一応の確認をすると、ミケはいつもの柔らかい声で即答した。
「そんな大げさなものじゃないよ。いままで日本語に翻訳されていなかっただけで、元々は公開されてる情報ばかりだから」
その言い方は理路整然としていて、疑いようがなかった。
「むしろ、こういうことを日本人が知らないこと自体、危険なんじゃない?」
和臣は強く頷いた。
「でもね、翻訳したものを渡していることは、二人の秘密ね。機密情報じゃないって言っても、仕事でしていることだから、バレたらクビになっちゃう……」ミケは和臣の耳元でそっとささやいた。
和臣は、作成した動画をアップロードするスマホの画面を見つめて、一瞬指を止めた。
胸の奥で、何かがこの先に進むことを引き留めている。
(もし、これが本当に越えてはいけない線だったら……僕はどうにかなってしまうのかもしれない……)
頭の片隅では、静かに警鐘が鳴っているのも感じた。
だが、それは、ミケのことを信じたいという思いにかき消されていく。
(それに……これを広めなかったら、また“何者にもなれていない僕”に戻ってしまう。)
喉が鳴った。
(僕は守っているんだ。これは……正しいことなんだ)
そう思った瞬間、胸の奥に、甘い陶酔がじわりと広がり、スマホの送信ボタンに力が入った。
和臣の動画はさらにバズり、「情報通」「救世主」「真実を伝える男」
そんな言葉が和臣の周りに集まり始めた。
やがてSNSの世界が、別の熱を帯びはじめた。
和臣の投稿を別のアカウントが相互に引用し、「オフで語ろう」という呼びかけが広がった。勉強会系、配信者系、匿名の政治団体……いくつものコミュニティが、小さな集会やパレードを重ね、週末の繁華街に拡散していく。
スマホ越しの怒りは、少しずつ靴音の群れに変わっていった。そんな中、和臣はまだネットの世界から一歩を踏み出すことはできなかった。それでも世間は、「オカピ」は情報通なだけに表に出てこられないのだろうと、勝手に解釈し勝手に納得していた。
気づけばミケから来る新しい資料の通知を待ちわびる自分がいた。
(早くアップしたい)
(早くみんなに知らせたい)
ミケの手をそっと握った時、彼女は嬉しそうに笑った。
「和臣さんは、本当に頼もしいね。一緒に、日本を守っていこう」
和臣はその言葉を、愛の告白のように聞いていた。
これで、第一章が終わりました。
12月4日の夜から、第二章「機密情報」を始めようと思います。
皆さま、よろしくお願いします。




