第7章 緊張の海 3
事件の翌週、A国の首都は異様な静けさに包まれていた。
報道機関は一斉に「大統領の体調回復」と「政権安定」を伝え、それ以上の話題を避けるように、文化ニュースや経済報告を流していた。
だが、政府庁舎の地下では別の動きが始まっていた。
無線傍受記録、暗号通信のログ、参謀本部と海軍司令部の通信履歴……。
調査委員会の職員たちが、黙々とファイルを積み上げていく。
副大統領の名は、その最初の報告書の一枚目に記されていた。
“領海侵犯情報の誤報出所”。
その署名の横には、参謀本部長の印影が重ねられていた。
彼らは、国民の憤りを煽り、隣国との衝突を「自国の防衛」として演出しようとした。同時に日本国内でも、情報部の情報操作班がSNS上のアカウントを通じて、日本国内で多くの人が「日本の海を奪われるな」「A国を許すな」と叫ぶように仕向け、そこに仕組まれた「偶発的な事件」が発生すれば極端に保守的な日本の与党が動かざるを得なくなるという状況を演出させるべく、工作を進めていたという事実が、大統領の耳にも届いていた。
B中佐……その作戦の日本での実行責任者は、日本から呼び戻され、情報部の小さなオフィスで拘束された。彼が行っていた作戦は当然中止されることとなり、和臣とミケの追跡のことは、その作戦の存在そのものが、ほんの数人以外には知られることなく、いつの間にか忘れ去れられていった。
B中佐は取り調べの最中、最後まで一言も発さなかったという。
ただ机の上の紙片に、震える筆跡でこう書き残した。
“計画は失敗した。だが、戦争なんていつでも始められる。
その鍵は、今でも怒りの中にある。”
もちろんA国で事件について正しい報道はされなかった。
副大統領と参謀本部長の解任も公には「汚職容疑」とだけ発表された。副大統領は辞任を表明し、その後わずか数日のうちに自宅で軟禁された。
参謀本部長は退役を命じられ、表舞台から消えた。彼らを支持していた議員や実業家も次々と拘束され、政権中枢では、静かにその血が大きく入れ替わっていった。
大統領は、読んでいた資料のファイルをテーブルに置くと、病室の窓辺に座り、静かな声でそばにいた側近のアイシャに言った。
「怒りを煽れば、はじめはそれが少数の声であったとしても、多くの人を簡単に操ることができる。しかし、民衆の理性が勝てば、危機は止められる。SNSが力を持つ時代では、民主主義の刃はとても脆く、すぐに折れてしまう。政治が民衆の怒りを利用し、更に政治がそれを煽り立てるようになった時、民主主義の時代は終わるだろう」
海上保安庁の報告書は内部だけで「特異な接近事案」として封印され、現場の隊員たちは誰にも語ることなく日常の任務に戻った。
テレビも新聞も、その朝の海を知らない。
あの海には今日も巡視船が浮かび、午後の光が灰色の海を照らしていた。海の上で風が雲を切り、かすかに波が光る。
どこにも国境は見えなかった。
あの日、二隻の船がすれ違った海。報道にも、記録にも残らなかった時間。
しかし、世界の均衡はその沈黙の中で守られていた。
……そして、人々はそのことを知らないまま、 今日も同じ海を越えて、互いの国へと船を出している。




