第6章 逃避行 3
「いやいや、これは俺が言ったほうがいいよ」
チャンダナは和臣の前でゆっくりと腰を下ろし、彼の視線の高さまで目線を下げた。
「君、まだ“ミケはA国の軍人として動いている”と思ってるんだろ?」
和臣は小さくうなずいた。
「だって……Captain(大尉)って……書いてあった……」
「うん。確かにそれは本当」
チャンダナは指を立てた。そして、その先をひっくり返すようにしながら柔らかく言った。
「でもな……ミケは“国”じゃなくて、“君”を選んだんだよ」
和臣の瞳が揺れた。
「……僕を……?」
「そう。君だよ。君と関わって……初めて“任務より優先したいもの”ができた」
チャンダナは続けた。
ミケは扉のほうを向いて小さく肩を震わせている。
和臣は息を呑んだ。
(まさか……ミケさんが……そんな……)
チャンダナは軽い口調に戻しながら、しかしきっぱりと言った。
「ミケは任務を放棄して君を選んだ。それが彼女にとってどれだけ危険かわかるか? A国という国そのものを裏切るのと同じことなんだよ」
和臣の胸が痛くなる。
「彼女は国を選ばなかった。“君を守る”ほうを選んだんだ」
ミケは顔を伏せ、でも涙は見せまいと歯を食いしばった。
「……本当のことです。私は……国にも、任務にも従えなかった。和臣さんを……」
そこから先は喉が震えて言葉にならない。
「ミケが守ろうとしてるのは、君の命だよ。それだけは、嘘じゃない」
母国を捨てるということが、どれほどの意味を持つか。和臣には一瞬では理解できなかった。
「なんで……そんな……僕なんかのために……?」
和臣の声が震える。
チャンダナは短く息を吐き、くぐもるように言った。
「彼女は選んだんだよ。帰る場所ではなく……守るべき誰かを」
和臣は、胸が締め付けられるように痛かった。それは裏切られた痛みとは別の……もっと深くて、温かいところに沈められるような感覚だった。
和臣は長く息を吐き、静かに言った。
「……わかりました。まだ……全部を信じたわけじゃありません。ただ……僕は、生きたい。そして……ミケさんが僕を守ってくれると言うのなら……その言葉を……信じてみます」
和臣はゆっくりと視線を上げる。その目には、まだ怯えをたたえていたが……
もう“拒絶の目”ではなかった。
ミケは、何かを言いかけた……しかし声にはならなかった。
その沈黙を、チャンダナが軽い声で破る。
「よし! 二人とも、仲直りは逃げ切ってからだ。今は、二人とも生きるために手を組む、それだけで十分」




