B11.予兆−3
B11.予兆−3
山腹から見慣れぬ隘路に入ってすぐ、道が開ける。
気づかなければ、通り過ぎてしまうだろう。
神戸北区――ちょうど摩耶山の北側にある別荘だ。
北側の山裾にある玄関は、茶泉学院大学の研究施設になっていて、一般の出入りはできない。
邸宅はその山上にあり、車両の通行はさきほどの細道に限定されている。
歩いてもいいが、山道を何十キロと歩く必要がある。
あたりに山桜の花が舞っている。
本当の意味での隠れ家だ。
茶泉グループは摩耶山の南側にも別荘を所有しており、こちらは神戸の夜景を一望できる賓客用だ。
この細道は有馬温泉に通じる古道のひとつで、あまり知られていない。昭和の始めに茶泉が購入して以来、私道になっている。
そんな山中でも、空高くUAV(無人航空機)が無理なく飛び交っていた。
広い駐車場の中央にRUFが止まり、二台のランドクルーザーが荷物を下ろしたあと、両脇に停車する。
車から降りた紬に、甲斐がカーディガンをかけた。
山中はまだ肌寒いが、昼には陽気になるだろう。
礼を言う紬に、甲斐が笑顔で頭を撫でる。照れている少女に、陸奥が微笑んだ。
見上げると、UVAが空中で停止した。カメラでIDチェックだ。
「旦那、着きましたよ」
陸奥が後部座席の降鷲に声をかける。
「……」
「鎮痛剤、要ります?」
「いや、いい。悪夢を見た」
「夢で良かったじゃあないですか」
陸奥が花火の入ったバケツを手にした。
後席ドアを開けると、降鷲の顔は蒼白だった。
「大丈夫ですか? 顔色がすぐれませんよ? このまま休みますか?」
「手を貸してくれ」
陸奥の肩を借りながら降りると、降鷲が笑顔を見せた。
「おじさま?」
紬が心配そうに見ていた。
「問題ない」
そう言いつつ周囲を警戒した。
降鷲は敵が多い。引退したと言っても、社主である限り、暗殺の危機は常にある。
滅多に外出しない降鷲だが、今日は紬の聖名祝日だ。呼ばれては行かざるをえない。
聖名祝日はキリスト教徒にとって、自分の誕生日より優先される行事で、聖名はその人の守護聖人を指す。
四月二日はパオラの聖フランチェスコの聖名祝日だ。別名は「火を御する聖フランチェスコ」で、船乗りや隠者の守護聖人で、火災と疫病からの加護があるとされる。
聖名祝日は誕生日と同じ場合もあるが、紬のように洗礼名をいただいた守護聖人日が別にあることもある。
もっとも紬は熱心な信徒ではなく、単に降鷲を呼ぶ口実だったのは言うまでもない。
そんな幼気な少女に「お祝いに来て」と言われては、降鷲も付き合わざるを得ない。
産学連携したプロジェクトも残り僅か。
降鷲が開発したプログラムを紬が完成させて、UAVに搭載している。
このプログラムは、たとえ無線が切れても自立行動できる点が特徴だ。
顧客は主に海外で、自衛隊にも納入している。
陸奥が見上げると、上空に飛行船があった。UAVの司令塔で、普段はより高高度にあり、太陽光発電で滅多に降りることはない。
庭に回ると、茶泉学院大学の教官や学生が先に宴会をしていた。
節操がないが、専門家に常識を問うのは野暮だ。
長門が手を上げる。
*
降鷲が気づくと、紬の膝枕で眠っていたらしい。
「こんな日がずっと続けばいいのに」
紬が呟いた。
人は高慢だ。そういう紬も、自分の開発した兵器で人が亡くなるのを知っている。
ただ、抑止しなければ、暴力はより拡大してしまう。
そして、抑止力が成功している時、相手が本当に侵攻するのか判断できないこともまた事実だ。
多くの誤ちは、失敗してからでしか分からないものなのだろう。




