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あなたのために生まれてきたの。誰にも渡さない。

 申し訳ございません。短編に分類するのを忘れておりました。。分類は後から変えられないので、しかたなく、連載作品が1話完結となっております。紛らわしくて申し訳ございませんでした。


 都内某所の小さな病院。

 午前7時、男が救急隊員に運ばれてきた。


 当直明けで疲れた面持ちの若いドクターが出迎える。

 ストレッチャー上の男は、眼を閉じ、魂をなくしたように、眠り続けている。

 しかし、心拍と呼吸は全く問題ない。男の意識や感情だけ、どこか遠くへ行ってしまった、そんなふうに見える。


 ドクターが声をかけ、頬を叩いても、眼を閉じ、こんこんと眠るばかりだ。


******

 

 今、私は、彼の夢の中で、窓辺にたたずんで外を眺め、ガラスを伝う雨粒を、細く白い指先でなぞっている。

 外では、羊歯しだと苔の生い茂った湿った森に霧雨が降り注ぎ、白くもやっている。

 私がここに生れ落ちてからずっとそう。一日も、一時ひとときも途切れることなく、静かに降り続く雨。

 私は、この、木で出来た小屋みたいな家から、一度も外に出たことはない。

 外に出たら、白いちりになって死んでしまうの。誰に言われたわけではないけれど、それが分かっているの。


 私は鬱々《うつうつ》とした窓の風景に背を向け、パッと明るい笑顔になって、部屋の中を振り返る。


 ベッドに横たわって眠るあなた。


 私は、優しく微笑みながら近づき、ベッドサイドに静かに腰掛け、眼を三日月みたいに細めて彼を見つめる。

 一週間ぶりだったわね。ようこそ、いらっしゃい。愛しい人。


 ああ、さらさらした栗色の髪。すっと真っすぐ通った鼻梁。赤い唇に細い顎。

 なんて綺麗な顔。


 私は、彼を起こさないように、そっと白い手を伸ばし、柔らかな髪を指の間に通し、愛おしそうに微笑みながら、優しく撫でる。

 嬉しい、今日は、私のものなのね。来てくれてありがとう。


******


 そこで、ふと、正面にある姿見(大きな鏡)の私と眼が合った。

 映るのは美しい女。黒く長い髪と白い肌、折れそうなほど細い身体。

 これは、あなたが愛した私。愛しいあなたの私。

 

 私は、あなたのためだけに生まれてきたの。

 あなたが望んだから、私と、この森と、家が、あなたの夢に生れ落ちたのよ。


 ふふ、ふふふふ。

 それから、あなたは毎日ここに忍んできて、そして何度も何度も愛してくれた。

 二人で、時を忘れて抱き合ったわ。

 いつも、身体が合わさったまま、手指を絡め、私があなたの瞳を覗くと、私の眼が映りこんで、そしてお互い熱い視線を貫いて一緒に天上に昇りつめた。私、そのたびに、生まれてきた意味を自分で確かめて、それだけで、いつも安心できたの。あなたに愛されている限り、私は生きていけるって。


******


 でも……と、私は瞳を曇らせ、斜め上から冷ややかに彼を見下ろす。


 ……あなた、浮気なんてするから、こうなったのよ。

 

 私、知ってるの。あなたの気まぐれを。あなたは私で、私はあなただから。

 ……ううん、それ、嘘ね。実は知ってるの。気まぐれじゃないことも。


 今は、よその女が、海の近くの明るい陽射しの当たる家にいるのよね。

 金色の髪の、小麦色に日焼けした、手足の長くて胸の大きな、口をあけて朗らかに笑う、でも美しい人。私からあなたを連れ去ろうとしている、あの人。

 

 ひどいわ。そんなの。


 私、あなたが望んだから、こうして、しっとりした心を持った、黒い髪の細い女が、ここに生まれてきたんでしょう? あなたが、薄幸そうな女が好みだって、ずっと思っていたからでしょう?


 もしかしたら、私が、あなたにとって、いつからか、とても重くなったのかもしれないけれど、でも、私、これしかできないのよ。

 明るい笑顔も、気の利いた冗談も、豊かな胸も、私は持たない。そんな私が、自分でも、どうしようもなく悲しいの。


 毎日来てくれていたのが、いつの頃からか一日おきになり、3日に一度になり、次第にあの女と入れ替わって、ついには7日に一度になった。あんなに優しく、そっと寄り添ってくれていたあなたが、少しずつ冷たくなっていくのを見るのは、つらかったわ。

 近頃では、私を抱くこともせず、横を向いて、眼を逸らし、最後にわざとらしく力を抜いてハグして、明け方にそそくさと帰っていく。


 そんなあなたには、毎日爪を噛み、窓から雨の森を眺めて待ち続ける私の気持ちなんて、分からないのでしょうね。


 そう、だから、今日はなおのこと嬉しかったの。

 あなたのために、黒髪を綺麗に切りそろえ、新しくあつらえた臙脂えんじ(濃い赤)のドレスを着て、私なりに精一杯の笑顔を作って、この一週間待ち続けた甲斐があった。


 たとえ、今日が最後になりそうな、そんな予感に満ちていても。


******


 もう、誰にも渡さないわ。

 完全にあの女のものになるくらいなら、その前に私のものにして、消し去ってやる。

 二度とここから出さないんだから。


 私は、さっき彼の胸に突き立てた短剣に両手をかけ、一気に引き抜く。

 もうあらかた血は出尽くして、ほとんど噴き出してこない。


 私のドレスと同じ色に染まったベッドに横たわる彼の顔は、まるで眠り続けているように穏やかだ。

 

 そうよ。ここで、私と一緒に、永久に暮らしましょうね。

 私、ずっとあなたを大事にして、愛し続けるわ。


 私はベッドから離れ、姿見の前に立ち、片方ずつドレスの肩を外す。

 下着をつけていない、細く、白い裸体が露わになる。

 薄い胸を見て、思わず両手を当てて隠してしまう。悔しい……。

 だけど、これもあなたが作ったのよ。これだって、あなたが好きだったのよ。


 私は裸になって、彼のもとに戻り、彼の服を一枚ずつ脱がせ、最後に下着を脚から抜いて裸にした。そして、そっと横に潜り込み、彼の顔を掴んで私の胸に埋める。


 ああ、嬉しい。幸せ。

 ねえ、ここで、私とずっと一緒に過ごしましょう。二人きりで眠り続けましょう。

 決して目覚めることのない、愛にあふれた夢を見続けましょう。


 私、ほかには何もいらない。あなただけでいいの。


******


 ……だけど、彼の身体が冷たい。硬くなっている。

 きっと、何日かしたら、腐り始めて、あなたは枯れ果てて、私の前からも消え失せるのね。


 そんなのひどいわ。私、ここで、寂しい心と身体を持て余して、永久に暮らしていくの?

 

 そこで、ふっと、一つの考えが頭に浮かんでくる。

 分かってる。そうでないみちが一つだけある。

 私とこの森がなくなれば、夢の中の彼の死もなくなってしまう。


 ……私は、彼の顔を胸に埋めながら、視線を床に向け、逡巡する。躊躇する。

  

 でも私が消え去るということは、この人を、完全にあの女に渡すということよね。わざわざ、私が自分で送り出すということよね。……そんなの絶対に嫌だわ。


 ? 本当にそうなの? この人がもうどこにも行けなくなってもいいの?

 ずっと愛していた人なんでしょう? この人のために生まれてきたんでしょう?


 軽いめまいに落ちていく。私は、今、愛に、試されている……、心が振り子細工みたいに、どちらにも揺れ動いている。


 ……でも、だめだ……、ほんとに女って、愛した男のことになると、どうしてこんなにも愚かになれるのだろう? 


 私は、一つ、ため息をついて眼を閉じ、そして静かに睫毛まつげを濡らし、彼に口づけながら、まだ暖かい彼の口に舌を差し込んで味わう。喉から上ってきた血の味がする。

 私がまとった夢の色、濃い赤。最後の口づけ。


 彼の瞳を探っても、何も返ってこない。ねえ、見つめ返してよ。いつもみたいに、そのきれいな瞳に私を映して、私を空へと運んでよ。ねえ、お願い……。


 でも無理ね、そんなの分かってる。

 意を決して私がベッドから身を起こすと、姿見に映った私の顔が見えた。

 そこには、もう捨てられた、死を覚悟した、哀れな女の顔が映っていた。

 

 そう、彼は、生きていても、もう二度と、ここには来なかっただろう。

 彼が今死んでも、生きていても、結局、もうお終い。私は、はっきりとそう悟り、だから私が存在している意味も、全てなくなったことを悟った。


 私は、彼の唇に、最後の、お別れの口づけをしてベッドから抜け出て、そして、怖くて一度も手をかけたことのなかった、森に通じるドアに向かう。


 さよなら。


 私、あなたに生み落としてもらって、愛されて、すごく幸せだったわ。

 あなたから聞かせてもらった、楽しいこと、愛の言葉、そして悲しいことも、辛いことも、私、全部抱えたまま消えていくから。

 

 この森も、この家も、私も、今日限り消えてしまうけれど、もしできるのならば、叶うのならば、私のこと、私があなたのそばにいたこと、忘れないでいてね。一人きりの夜は、思い出して。私の眼差しと、そして温もりを。


 私はドアを開け、ゆっくりと、だけど迷いなく、表に出る。

 雨の森の湿った匂い。降りかかる霧雨の冷たさ。初めて触れる。知らなかった。こうだったんだ。

 

 でも、雨を浴びた私の身体から、少しずつ白い煙が立ち上り、霧雨と交じり、森の風景と合わさって境目がなくなっていく。


 私は空に向かい、両手を拡げる。自分を天に返す。今、自由になる。


 私、あなたを愛してる……愛してる……あい……。


******


 病院で眠っていた男の頬に、少しずつ赤みが差してきた。

 まぶたがぴくっと動く。

 ドクターも看護師も、まだ気づかないが、目覚めも間近だ。


 だが、もう失われてしまった森の記憶は、彼には残っていない。


 黒い髪の、不幸な白い女は、もう、永久に失われてしまった。


 確かに、彼を、愛していた女。


 しかし、もう誰も知ることのない、夢の女。


 

           

                 ~ 森の家の、優しい女 ~ (了)

 本作を読んで下さった皆様、大変ありがとうございました。

 いやー、3日續けて、恋愛短編をアップしてみましたが、惨憺たる結果でした。。

 本作もおそらく、通知表が全て0ポイントで終わるでしょうから、三戦連続完封負け濃厚です。プロ野球の監督なら休養に入ってしまいそうですw まあ、タイトルが短いから(特に、昨日の「つづら折り」)、ネットの読者から中身が分からず、手にとってすらもらえない、ということなんだと思います。挿絵もつけたんですけどね。

 どれも、別サイトでは、割合評判が良いので、中身の問題ではなくて、見せ方の問題なのではないかと思っています。いや、そう思いたいw

 

 どうも、私の短編は、なろうとは決定的に相性が悪い様ですが、そんな中で読んで下さった読者様には深く感謝しています。ありがとうございました。


 明日、もしくは、明後日からは、「閉じ込められた、美しく、聡明な、王妃の祈り」を再開して、第2部「エリトニー興亡記 ~英雄の帰還~」を続けてアップしていきたいと思います。

 雰囲気がガラッと変わって、戦記物としてスタートしますが、そればっかりですと息がつまるので、あちこちでオマケを挟んでコミカルに書いております。

 適宜、挿絵も入れていきますので、また宜しくお願い致します。

 

 それではまた!



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