花咲かぬ種は、呪いを繋ぐ
――それで、いい。
そう微笑んで、祈りを託した精霊の民の少女がいた。
咲かぬ種のまま、選ばれず、それでも誰かの未来に花が咲くことを願った。
これは、その“祈り”が歪められ、呪いに変わった物語。
前作『花咲かぬ種を、君は選ばなかった』の、その果てに描かれる起源譚――
『虹彩の姫君と誓いの王子』へと至る、帝国興隆の“最初の花”の記録である。
選ばれなかった少女ライラの祈りが、
千年の呪いの始まりになるとは、誰も知る由もなかった。
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ヴァリオンド家には、代々受け継がれてきた花冠があった。
かつて白く可憐な花々で編まれていたそれは、とうに花を落とし、今では乾いた蔓と葉脈だけが細く絡み合っている。
けれど、そこに込められた“祈り”だけは、色褪せることなく脈打っていた。
――咲かぬ種と呼ばれた精霊の民が、愛する者に捧げた祈りの形。
カイラス・ヴァリオンドが、その花冠に触れたのは、まだ幼い頃だった。
幼い指先が、ひび割れた蔓をなぞる。
その瞬間、金色の瞳が虹色に揺れた。
流れ込んできたのは、遠い昔の記憶。
銀糸の髪を風に揺らし、静かに花を編む、若き精霊の娘の姿だった。
『私の花は咲かない。けれど、あなたの未来に咲いてくれるのなら――それで、いい』
その声は、ひどく静かで、そして悲しかった。
祈りを託し、想いを胸に秘めたまま、選ばれなかった者。
「……いいはずがないだろう」
ぽつりと、カイラスは呟いた。
幼いながらに、その結末が“美しい”ものだと受け入れることはできなかった。
「俺ならば、決して手放したりはしない。祈ったまま終わるなど、無意味だ」
「ならば、俺が繋いでやろう。祈りも、想いも、命も――すべて、この手で繋ぎ止めてやる」
カイラス・ヴァリオンドは、生まれながらにして“異常”だった。
ヴァリオンド家は、古くから魔眼を宿す家系として知られていたが、その力は代を重ねるごとに緩やかに薄れつつあった。
しかしカイラスの時代、家はかつてない“選別”に踏み切った。
繁栄と強化を至上とし、魔力の強い伴侶を選び、血統を濃く繋ぐこと。
その結果、強大な“力”を宿す子供がいずれ現れると信じられていた。
――そして現れたのが、カイラスだった。
彼は生まれながらに、他者の“記憶”や“心”に干渉する力を持っていた。
その魔眼は、先祖たちの中でも突出した性能を示し、視るだけで人の感情を操り、命令に逆らえぬよう縛ることすらできた。
彼の瞳が虹色に揺れるたび、周囲の空気は震え、空間さえ歪んだ。
魔術師たちは口を揃えて「神の血を引く子」と称し、聖職者は「呪われた器」として恐れた。
だが、カイラス自身はそれを“祝福”だと信じていた。
花冠の祈りに触れた日から――彼の力は、もはや偶然の産物ではなかった。
彼はそれを“使命”だと解釈したのだ。
祈りも、血も、命さえも、自らの手で繋ぎ、操り、咲かせる。
咲かぬはずの種すら、力ずくで咲かせられる。
それが、カイラス・ヴァリオンドという男の――歪な“始まり”だった。
あの日から、カイラスは“咲かぬ種”に執着し続けた。
花は散っても、想いは枯れない。
ならば、祈りを現実に結びつけるのは、自分の役目だと信じて疑わなかった。
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そして、年月が流れる。
カイラスは、手を尽くした。
花冠に残された記憶を糸口に、精霊の残滓を辿り、古文書を紐解き、賢者や魔族すら買収し──
その目は、ただ一人の精霊を追い続けていた。
「ティレア・エリンシア。君を、ようやく見つけた」
薄暗い森の奥。静かに立つその娘を、カイラスは逃さなかった。
月光に照らされ、銀の髪がほのかに輝く。 翡翠色の瞳が、まっすぐにカイラスを見据えている。
「……あなた、ヴァリオンド家の者ね」
ティレアの声には、凍てつくような静けさがあった。だがその奥には、深い諦めと憎しみが滲んでいた。
「なぜ、それを」
「私たちにとって、金の目を持つヴァリオンド家は“追憶と呪縛”そのものよ」
ティレアは静かに言い放つ。
「かつて“咲かぬ種”と呼ばれた者の祈りを、あなたたちは執着に変えた。花冠に残された記憶を、願いを、自分たちの都合のいいように解釈して、精霊の民に“結び”を押し付けようとしてきた。そうやって、何代にも渡り私たちを探し続けてきたのでしょう?」
カイラスはその言葉に表情を動かさなかった。 それどころか、うっすらと微笑みさえ浮かべる。
「ならば、君は知っているはずだ。俺たちが“咲かぬ種”を咲かせることに、どれほど意味があるか」
「意味などないわ。ただの執着よ。報われぬ祈りに縋り、自分たちの“呪い”を正当化するための」
「祈りと呪いは紙一重だ。だが俺は、そのどちらも形にできる」
カイラスの金色の瞳が、虹色に揺れる。 花冠を通じて幾度となく見た、ライラの記憶。 その哀しみと、願いと、愛情。彼は、それを“叶え直す”ために、ここにいる。
「君が咲かぬ種でも構わない。俺が無理やり咲かせる。祈りも、命も、この手で繋ぐ」
「それは、歪んだ贖いよ」
「それでも構わない」
カイラスが手を伸ばす。 ティレアが後退しようとした瞬間、その足が止まる。
魔眼の力が絡みつく。 カイラスの視線が、ティレアの心に深く食い込んでいく。
「君は俺のものになる。祈りの結び目として、呪縛の証として」
その言葉は、代々受け継がれた歪な執念の結晶だった。
かつて選ばれなかった“咲かぬ種”。
その祈りを、歪に結ぶために。
今、カイラスは“呪い”という名の愛で、最後の精霊を咲かせようとしていた。
ティレア・エリンシアは、逃れられなかった。
精霊の民として、咲かぬ種として、最後の一人として。 カイラス・ヴァリオンドの執着と魔眼に縛られ、その身を、命を、囚われた。
やがて、ティレアの身に新たな命が宿る。 咲かぬはずの種が、確かに芽吹いたのだ。
「見ろ、ティレア。君は咲いた」
カイラスは静かに笑った。
ティレアは、その身に宿った命を前に、もはや逃れるという選択肢を持てなかった。
魔眼による精神干渉――カイラスの支配は、彼女の意志そのものにまで及び、抵抗しようとすれば、頭を締めつけるような痛みが走った。
けれどそれ以上に、彼女は、その子だけは自分の手で守りたかった。
咲かされただけの命でも、せめてその温もりに触れていたいという、小さな祈りのような想い。
精霊の祈りを歪めた男に抗えなくとも、せめてこの命だけは――
それが、ティレアに残された最後の“意志”だった。
ティレアが産んだ子は、銀糸のような髪と、妖しく光る金の瞳を持っていた。
精霊の民の“静けさ”と、ヴァリオンド家の“力”が交わった存在。 これこそが、カイラスの信じる“咲かせた結果”だった。
「この血が、未来を紡ぐ。俺が繋いだ、祈りの形だ」
ティレアはただ、虚ろな目で我が子を見つめていた。
愛情がなかったわけではない。 だが、その命は祈りの結果ではなく、呪縛の果てに生まれたもの。 咲かせたのではなく、咲かされただけだと、ティレアは知っていた。
しかし、カイラスは満足げだった。
「君は咲けた、ならばもっと咲かせよう。俺の血と、君の血を重ね続けるんだ」
ティレアはその言葉に何も返さなかった。
ただ、腕の中で眠る赤子の体温だけが、まだ確かに、彼女の胸を焼いていた。
かくして、ヴァリオンド家の“繁栄”が始まる。
金目銀髪の子らは、カイラスの意志を色濃く受け継ぎ、精霊の血とヴァリオンドの魔眼をその身に宿した。
特に“支配”の魔眼。 カイラスが強く持っていたその力は、子孫にも濃淡はあれど受け継がれた。
そして、血を濃く保つために選ばれたのが、近親による婚姻だった。
咲かぬ種を咲かせたのは自分だ。 その信仰にも似た執着心は、世代を重ねるごとに歪み、やがて“正義”として語られるようになる。
金目銀髪こそが、ヴァリオンド家の象徴。 支配こそが、正しき秩序。
かつて、一人の精霊の民が願った“祈り”は、歪な形で形骸化し、帝国支配の礎となっていった。
そして、数世代を経た後。
金目銀髪の子らの中から、ごく稀に“虹色”の輝きを宿す者が現れ始める。 それは、カイラスほど強烈な始祖の因子が薄れたことで、奇跡のように顕現する存在。
虹彩の魔眼。 それは“支配”を超え、“記憶”を覗き、“心”を操る力。
かくして、ヴァリオンド家の“始まり”が、ここに刻まれる。
「咲かぬ種など、最初から存在しなかったのだ。咲かせる力がなかっただけだ」
カイラス・ヴァリオンドのその言葉は、やがて帝国の標となり―― 千年に渡る支配の時代を築き上げることとなる。
それが、オルテリオン帝国興隆の原初。
祈りが呪縛に変わり、愛が支配に歪められた、忌まわしき始まりの物語である。
時代が変わろうとも、ヴァリアントの直系のみが入れる部屋、その片隅に置かれたあの枯れた花冠。
誰にも触れられぬまま、今なおそこにある。
散ったまま、二度と花は咲かない。だが、そこには、祈りの“形”だけが――呪いとして残されていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作『花咲かぬ種は、呪いを繋ぐ』は、前作『花咲かぬ種を、君は選ばなかった』で語られた精霊の民の少女ライラの祈り――
その“その後”に続く、もうひとつの結末です。
ライラが差し出した花冠は、誰かの未来を願った祈りの形でした。
けれど、その想いは“受け取る者”によって意味を変え、
やがて一族を呪縛する「始まり」となっていきます。
歪められた祈り。
呪いという名の愛。
そして、咲かされた命が築く未来――
この物語は、後に帝国を揺るがす“虹彩の魔眼”へと繋がり、
次作『虹彩の姫君と誓いの王子』へとその血脈を受け継いでいきます。
けして咲くことのなかった花が、
どうして千年の支配の象徴となったのか――
その答えの一端が、本作で描けていれば幸いです。
また次の物語で、お会いしましょう。