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楽しい時間と言うのはすぐに過ぎていく。気が付けばもう陽が落ち切るような時間になってしまった。第二騎士団の皆と別れを告げ、わたしはアルディさんに送られて馬車のあるであろう駐車場へと向かう。
「――本当に、この一か月半、お世話になりました」
わたしは道すがら、アルディさんへと話しかけた。今日、何度この言葉を口にしたか分からない。でも、何回言っても、伝わらない気がしたのだ。
本当に楽しくて、夢のような一か月半だった。
あまりにも、あっという間で――。
「――オルテシア嬢は、王城解放日後も、続けるつもりはないの?」
「――っ!」
もっと続けていたかった、というわたしの考えを見透かすように、アルディさんがそんなことを聞いてきた。
「どう、でしょうね?」
本音を言えば、続けたい。
でも、それが許されるかは分からない。――ううん、分からないなんて、嘘っぱちだ。
わたし自身が、ブラッシング係を続けたいと思うのと同じくらい、ただ楽しいだけの日々を過ごしていいのかと考え始めているのだ。
わたしがこの一か月半、ここにいられたのは、婚約破棄されたばかりだったから、というのが一番大きいと思う。次の行動を起こすにしても、即日なにか出来るわけではないし、婚約者がいなくなった身ならば、男所帯に出入りしても、婚約者がいる身よりはマシ。
でも、そろそろわたしだって、次に進まないといけない。それが望んだ道じゃなくても。
それが、貴族令嬢というものだから。
それに、今回は顔に負った傷も残らなかったし、双方の利害が一致したからまた戻ってこれたけれど、お父様からしたら本当はまた第二騎士団に送り出したくなかったに違いない。
原因を洗いだして対策をする、と言ったって、怪我をする現実が起こって、顔に跡が残るような怪我をしてしまう、という可能性が低くないことを思い知らされてしまったから。
何も考えずに、楽しさだけを求めていては、きっと、いつか、顔に跡を残すようなレベルでは済まないかもしれないことが起きたとき、今度こそ、わたしは飛んでもない迷惑をかける。
だから、どうすればいいのか、わたしは分かっている、頭では理解しているはずなのに――。
気が付けば、わたしは足を止めていた。
馬車のある駐車場まで、あとわずか。
明日の剣術大会があるから、本当に会えるのが、今、この瞬間が最後、というわけではない。
でも、今日、帰ってしまったら、わたしは『第二騎士団のブラッシング係』では亡くなってしまう。明日、皆に会えても、『ケルンベルマ侯爵家の長女』でしかないのだ。
――早く、駐車場まで行かなきゃ。
そんなこと、分かり切っているのに、どうしても、足が動かなかった。
「オルテシア嬢」
うつむくわたしの視界に、アルディさんの手が移る。彼の手は、わたしの手を優しく包み込んでいた。