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その日から、全員のブラッシングが終わったら、アルディさんの髪をとかしながら雑談するようになった。だいたい十分くらい。長くても十五分。
あと数えるくらいしかここにくることはないのに、ほんのその十数分が楽しみになってしまっていた。
話の内容は、たいした事のない話だ。多分、世の中の貴族がするような会話ではない。もっと、平民が、気楽に雑談するような話題ばかり。
でも、わたしにはそれが楽しくてたまらなかった。
「――そうだ、これ、渡しておきますね。お世話になったお礼です」
わたしは彼に、小さなプレゼントの箱を渡した。中身はもちろん、櫛である。
買おう、と思ってから、なんとか無事に入手することができたものだ。異性にプレゼントを買うなんて、滅多にしないから、妙に緊張してしまう。いやまあ、早々に婚約者ができた身では、そう簡単に異性へプレゼントを贈る機会がないのは当たり前ではあるんだけど。
お父様には毎年誕生日プレゼントを送っているけれど、それを除けば、リアン王子に送ったくらいだ。
婚約者になって、初めての誕生日プレゼント。何がいいだろうか、と、考えて、考えて。確か、万年筆を送ったはずだ。王族として執務で書き物をするはずだから、質がよければ一本くらい増えても使ってくれるだろう、と思って。
――まあ、あの人はわたしのことが好きじゃないみたいだから、結果はお察しだけど。
あれ以来、花とか、お菓子とか、当たり障りのない消えものを送るようになった。そういうものなら、例え使わなくても、処分に困らないだろう、と思って。
形の残るものを渡すのは久々だ。ハウントさんには高級茶葉、カインくんにうちの領地で生産されている高級糸で作られたタオル。あの二人に贈ったときも緊張したけれど、彼にプレゼントする今っが一番ドキドキしているかもしれない。
「――っ、本当にいいの?」
パアッとアルディさんの表情が明るくなる。分かりやすいくらい、顔が動いた。
――喜んでくれている。
彼の表情を見れば、これがお世辞で喜んでいる、というわけじゃないのはすぐに分かる。
笑い方に気を付けているという彼が、牙が見えるのもお構いなしに、満面の笑みを浮かべている。
こんなに喜んでくれるなら、買って良かった。わたしの方まで嬉しくなってくる。
「気に入るといいんですけど……」
一つのくしをずっと使っているのなら、なにか思入れがあるのかもしれないけど、それにしたって、あのくしは随分と年季が入って古びていた。言い方は悪いが、寿命が近そうではあるし、ストックとして持っておいて貰えるだけでも、大切にしてくれるならわたしは十分だ。