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夕方くらいにブラッシングをし終える。残り数日ともなると、日々業務が終わってしまうのがさみしくなってしまう。
――といっても、今日はまだ残っているのだけど。
「檻の鍵チェックだけしてくるから、少し待っててくれる?」
アルディさんの言葉に従い、わたしはかつて彼の髪をとかしたときに座った木箱へと座る。ちなみにこの木箱、中身は掃除用具の予備らしい。カインくんが言っていた。
わたしの一件があってから、檻の鍵チェックは入念にしているらしく、そこそこ時間が経ってから、アルディさんが「おまたせ」とやってきた。
「はい、お願いします」
わたしはアルディさんから櫛を受け取る。
今回渡されたのは、前回彼の髪をとかしたものとは違うものだった。備品の綺麗なブラシではなく、年季の入った櫛である。
「随分と古い櫛ですね?」
わたしはつい、櫛を見てしまう。……というか、あの棚にこんな櫛、あったっけ。動物用のブラシは一杯あるけど、いかにも人間用、といった櫛はなかったように思う。
「バレた? これ、僕の私物なんだよね。あと一回くらい、髪とかして貰えないかなーってちょっと期待してて、持ち込んだんだ」
……期待していたのなら、自分から言えばよかったのに。わたしが提案していなかったら、この櫛はわたしに使われることなく、そのままだったのだろうか。
「ということで、お願いします」
アルディさんが、木箱に座るわたしがやりやすい位置に座ってくれる。やっぱり床に直接座ることへの抵抗はないらしい。
わたしは彼の髪留めを取って、ゆっくり髪をとかしていく。相変わらずさらさらだ。
――最後に、櫛をプレゼントしたら喜ぶかな。
ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。
わたしに髪飾りをプレゼントしてくれたわけだし、お世話になったお礼として、渡してもおかしくはない、はず……。
幸い、このブラッシング係のお試し期間が終わるまでに、あと一日休みがある。その日、買いに行けばいい。
ハウントさんとカインくんにも、お世話になりました、と、何か贈り物をすれば悪目立ちすることもないだろう。アルディさんだったら、悪い扱いをすることもないだろうし。
もしわたしがブラッシング係を辞めて、孤児院に行ってしまったら、高確率でもう会えなくなるわけだし。分家に行ったら、まだ会える可能性は高まる、のかな……。
――どうしよう。
ブラッシング係のお試し期間終了日が近付いているということは、わたしが、今後どうするかを決めなければいけない時が近付いている、ということだ。
お試し期間、なのだから、このまま続けることは不可能ではないと思うけど、そう長期間いられるわけじゃないだろう。前世と違って、独身のまま仕事に人生を捧げる、なんてことは滅多に聞かない。それこそ、どうしようもなくやらかしてしまい、罰として家を追い出されるような令嬢くらいだ。
……でも、また皆に会いたいから、っていう理由で分家を選ぶのは、駄目だよね。顔に傷が残るなら孤児院に行くべきだろうし。分家の人だって、王族に婚約破棄された上に顔に傷がある令嬢なんていらないに決まっている。
――……ああ、終わってほしくないな。
そんな思いから、わたしはふと、手を止めてしまった。