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獣化棟について、檻の中を見ると、本当にライオンがいた。いや、別にハウントさんの言葉を疑っていたわけじゃないんだけど。
でも、こんな至近距離でライオンを見るの、初めてかも。前世で動物園に行ったことがないわけじゃないけど、ライオンが展示されている檻とわたしが立つ通路の距離自体があったし、この距離で見ることができるのは、バックヤードにいる飼育員だけじゃないだろうか。
「失礼します」
わたしは声をかけて檻の中に入る。丸くなるような姿勢で寝ていたライオンは、顔を上げてわたしをちらっと見て、元の姿勢に戻った。
わたしは首輪のタグを確認して、ブラシを取りに行く。――専用のブラシがある人だ。
わたしは棚からブラシを取り出し、アルディさんに教わりながら、ライオンにブラシをかけていく。
――すごい、今、わたし、ライオンのたてがみ触ってる!
妙な高揚感があった。ライオンのたてがみなんて、一生触ることがないと、思っていたからだ。実際、前世は触ることがないまま人生を終えているし。
ライオンのたてがみを、こうもじっくり触れるなんて、動物園の飼育員でも難しいだろう。
猫よりは少し固い毛だけれど、それでもやっぱり毛のある動物。ふわふわとしている。
このライオンの獣人とは面識が一切ないし、ライオンのマッサージ方法なんて知らないからあんまり触っていたら迷惑になるのはわかっているんだけど、ライオンのブラッシングという非日常に、テンションが上がってしまう。パンダのときも、それなりにときめいたけど、それ以上だ。
「――良かったね」
ふと、アルディさんが、わたしに声をかける。
「猛獣、格好良くて好きなんでしょ?」
純粋に、本当に良かったと思って言っている声音。
確かに、猛獣を触ってブラッシング、という行動にときめきを覚えるのは事実だけど――。
「かっ――こ、いいですよね」
格好いいのは虎、と言ってしまいそうになって、わたしは慌てて言葉を訂正した。
だって、アルディさんに向かって虎が格好いい、なんてわざわざ言ったら、アルディさんが格好いい、って言っているみたいじゃない?
いや、それは事実だから、別に間違ってはいないんだけど――……。
す、好きとか、そういうのでは、ない、と思うので。わざわざ訂正するようなことじゃない、っていうか。いや、好きか嫌いかで言ったら、好きだとは思うけど、こう、恋愛感情とかは……ない、ないって。ないの。
うん、違う、違うもの。
思わずライオンのたてがみを引っ張ってしまったのが、「ぐるぅ」と抗議するような声が聞こえてきた。
わたしは慌てて手を離して謝罪する。ライオンは、それ以上、何も言ってこなかった。
失敗しないように、頑張らないと、って思っていたのに……やっちゃった……。
でも、アルディさんが変なこと言うから。……いや、それは流石に責任転嫁か。
わたしは心を落ち着かせるために、無心でライオンにブラシをかけるのだった。