64
昼食を食べ終え、わたしたちは獣化棟へと向かう。普段は廊下では誰かとすれ違うのに、今日は廊下には誰もいなくて、二人きりだった。
食堂でご飯を食べたことは何度かあるけど、お昼休憩の終了時間ぎりぎりで食堂を出たことがないからかもしれない。皆、既に午後の業務に向かった後なのだろう。
――二人きり。
獣化棟につけば、会話できるのはわたしたちだけだけど、二人きり、というわけじゃない。獣化した獣人たちがいる。
だから、さっきの話の続きをするのは今しかない。
「――アルディさんは、怖くないのですか」
わたしが足を止めて話しかければ、彼もまた、歩くのをやめて、振り返った。
「ルルメラ様に歯向かって、何か罰が下るかもしれないのが」
わたしは侯爵家の人間だけれど、アルディさんは子爵家だ。貴族家一つ取り潰すことは、それなりに『大きな理由』が必要だけれど、子爵家ならば、その『大きな理由』を作ってしまうような立場へ簡単に追いやられてしまう可能性がある。
例えば、財政難に陥るように、少しずつ、少しずつ締め上げて、悪事に手を染めさせるようにする、とか、あるいは王命に従わなかった、と難癖をつけるとか。そんな汚い手、いくらでもやりようがある。
今日明日で何もなくとも、数年後には、ということが、考えられるのだ。
だからこそ、皆、ルルメラ様には逆らわないで、波風立たないように、彼女の言葉に同調してきた。――まあ、本当に心の底から、ルルメラ様の言葉に同調している人も少なくないようだけど。
――でも。
「怖くないよ」
アルディさんは、なんのためらいもなしに言った。
「怖くない」
わたしの目を見て、もう一度、言葉を重ねた。
まっすぐな視線。自らに言い聞かせるための二度目ではなく、わたしに信じさせるための二度目だと言わんばかりの。
そんな様子に、わたしは嘘だ、と彼の言葉を否定できなくなってしまった。
虚勢でも励ましでも、なんでもない、本当に、ただの事実を言っている。
「何があっても――と言ってしまったら流石に嘘になるけど、でも、あのくらいなら全然平気。それよりも、オルテシア嬢が何を言われても大丈夫な人になってしまう方が怖いかな」
「――っ」
「貴族は感情を見せないことこそが美徳、みたいなところがあるけどさ。でも、本当に何も感じなくなってしまうのは、また違うだろう」
何を言われても、悲しいと、悔しいと思えなくなったら、どれだけいいだろうと、ずっと思ってきた。
でも、そう思えるように、感情を完全に殺せるようになったら、嬉しいことや楽しいことにも、興味が持てなくなってしまう、ということなのだ。




