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実際に使うと香りが薄くなる、というジルの言葉は本当だったようで、今朝起きたときにはすっかり匂いも落ち着いていた。
髪をかきあげるときにほんのりと花の香りがしたくらいで、よっぽど花に詳しくないとスモルロジェだと分からないかもしれないくらいだ。
第二騎士団に行っているときは髪をまとめ上げてしまっているし、そうなれば、本当に匂いは気にしなくて大丈夫かもしれない。ちなみに、ジルが勧めるだけあって、髪は本当にさらさらになった。いつも使っていたものも悪くはなかったが、段違いである。
「――おはようございます」
毎朝、ハウントさんの元へ行って挨拶するのが日課になっていたのだが、今日はなぜかアルディさんも居た。今までは、執務室にいるのはハウントさん一人だったのに。
不思議に思いながらも、わたしは後ろ手で執務室の扉を閉める。
「おはよう――……オルテシア嬢、もしかして、もう獣化棟の方に行った?」
獣化棟。獣化した獣人の人たちがいる部屋がある棟のことだ。わたしはずっと待機部屋という名前だと思っていたのだが、正式名称があることを、つい先日知った。
別に行ってはいないけど、どうしたんだろう。
「いえ、直接こっちに来ました」
「そう? スモルロジェの匂いがしたから……」
わたしは思わず髪を押さえてしまった。
この距離で分かってしまうなんて。え、嘘、人間のわたしには丁度いいか、少し薄いくらいだけど、やっぱり獣人にはハッキリわかってしまうものなの? というか、この程度の香りで分かってしまうなんて、もしかして今まで汗臭いときとかあったんだろうか……。うわ、気が付きたくなかった。
「……その、洗髪液を変えたので、それの匂い、かと思います。匂い、きついですか?」
「え? ううん、このくらいなら皆、気にならないと思うよ。いい匂いじゃない? ――……いや、変な意味ではなく」
褒めてくれた後に、アルディさんの頬がほんのりと赤くなる。……ふ、不快な匂いじゃないならよかった。
わたしがほっとしていると、アルディさんが、空気を切り替えるように、咳ばらいを一つした。
「獣化棟の方にまだ行っていないなら良かった。ちょっと問題が起きてて……こういうときばかりは、あそこが檻で良かったと思うよ」
そう言うアルディさんの声音には、少し疲れが見える。……よく見れば、アルディさんの顔や腕に、引っ掻き傷のようなものが見えた。
「何かあったんですか……?」
獣化棟で、引っ掻き傷。なんとなく、想像はつくけれど……。
「最近入った新人がちょっとね。獣化って、普通なら意識も普段と変わらないし、人間の言葉が喋れなくなるだけで言葉も通じるんだけど、子供の獣人が獣化すると、たまに感情に引っ張られるんだよ」
なんでも、子供、と言っても過言ではないくらいの年齢の新人が獣化したのだが、警戒心が非常に強くて、近付けないらしい。やっとの思いで、先ほど檻の中に入れたのだとか。




