03
座っていた虎が寝そべるのを見て、わたしは、彼――彼女? とにかく、虎へと近づいた。
わたしはブラシを拾い、握る。虎をブラッシングしたことはないが、前世では犬や猫が実家にたくさんいたので、それと同じ要領でブラシをかける。家族全員が動物好き、というのもあったけれど、動物がたくさんいると動物が集まりやすくなる法則でもあるのか、猫や犬が近所で保護されると、「うちではちょっと飼えなくて……」なんて言われてやってくることが多かった。
だから、ブラッシング自体には慣れている。もくもくと虎にブラシをかけていると、もこもこと抜けた毛が辺りに舞う。換毛期なのか、よく抜ける。
小さい子虎が作れそうだ。やらないけど。子供の頃に、抜けた猫や犬の毛でボールを作ったら、そこに虫がわいた経験をしてからは、抜け毛はすぐに捨てるようになった。抜け毛は可愛くても、虫は無理。
半分以上終わった辺りから、ぐるぐると虎が喉を鳴らし始めた。……虎って喉鳴らすんだっけ? メイドさんは唸られたと勘違いしたのか、また小さく悲鳴を上げたが、こうなると、いくら虎と言えど大きい猫にしか見えない。
ブラッシングが終わり、くてっと脱力している虎の首元を、わしわしとマッサージする。前世で飼っていた猫の中でも、キジトラの子が、ここをマッサージされるのが好きだったな、と思い出したのだ。
虎も満足そうに目を細めている。
それにしても、疲れた。ブラッシングだけじゃなくて、マッサージも。虎は可愛いから精神的には癒されたと言ってもいいけれど、体力的にはへろへろだ。どうやらこの体、体力はあまりないらしい。
それでも、もう虎を触る機会なんてないかも、と思って触り続けていると、ふと、話し声が近付いてくるのが聞こえる。
そちらを見れば、宰相とお父様と――見覚えのない黒髪の男性が一人。話は終わったのか、とぼんやり見ていると、見覚えのない男性に、違和感を抱く。
いや、違和感を抱く、なんて曖昧なものではなく、もう、ハッキリと、異常を感じていた。
だって、側頭部に人間の耳がなく、頭の上部に犬の耳がついているから。しっぽだってある。獣人、と言えばいいのだろうか。
ちょっとびっくりして、以前のわたしの『記録』を脳内で引っ張り出してみる。――うん、この世界には獣人がいるらしい。
本当にファンタジーな世界なんだな、と思っていると、こちらを見た三人が、揃いもそろって固まった。
虎がいるから?
わたしは思わず、虎と、宰相の顔を見比べてしまった。お父様はともかくとして、城に務めている宰相までが驚いている、ということは誰かのペットではなかったのかも。……勝手にブラッシングしたら駄目だったかな。
一番に動いたのはお父様だった。
「オルテシア、お前……こ、怖くないのか?」
お父様の、少し慌てた声。珍しい、と思ってしまうのは、以前のわたしが、お父様はいつもどっしりと構えていて余裕がある人間だったと認識していたからだろう。
「……とくには」
わたしは軽く首を傾げる。
前世ではペットとして飼うくらいには虎は人慣れするはずだし。まあ、本人がじゃれつくつもりで怪我をしたり、ちょっとした瞬間に野性を取り戻して攻撃的になる可能性はあるけれど。
でも、この虎は明らかに人間の言葉を理解して、意思疎通ができている。わたしの言葉を、全て理解しているような素振りを見せていたもの。
おびえるメイドを避け、わたしの前にブラシを置き、ブラッシングという言葉に反応してうなずいている。
これだけ分かりやすく人慣れしていれば、下手に逃げようとしてじゃれつかれたときに怪我をしそうなものである。なら、最初から敵意を見せないのが正解だと思ったのだ。
同時に、虎を怖がる怖がらない以前に、まだ、どこか現実味を感じられていない、というのもあるだろうが。
こんな状況、現実ではなく、夢と言われた方が説得力がある。