第3話 人権剝奪(仮)
頭痛によって目を覚ますのは、今日が初めてだった。昨日はエルフと僕の額が触れ合ってからの記憶がない。頭痛の原因はおそらくそれだ。自宅のベットで目覚めたところを見ると、誰かが僕を家まで運んでくれたのだろう。僕は制服に着替え、朝食を食べずに家を出た。
昨日と同じ通学路を、昨日とは異なる気持ちで歩く。
昨日は不安5割、期待5割といったところだったが、今日は不安8割、頭の不快感2割。そして、期待はきれいさっぱり消え去った。このブルーな気持ちが影響したのだろう、僕が交差点に着くなり、信号は青に変わっていく。そして、昨日のようなトラブルもなく、家を出てからノンストップで校舎に到着した。
僕が通う学校は日本国立 混和 高等学校といい、日本で初めて人間と亜人の学生が共に通う学校である。この学校のポリシーは「共存」であり、考え方が柔らかい若い世代の人間と亜人を同じ空間で生活させることによって、亜人に対する偏見を取り除くことが主な目的らしい。しかし、教育レベルが違いすぎるため、クラスは人間科と亜人科で分かれている。日常的な交流は少ないが、行事などは共同で行っているものもある。
1日目は訳あって校舎にすらたどり着くことが出来なかったが、2日目にしてようやくこれから1年間お世話になる教室の前に到着した。
◇
~放課後~
授業を終えた僕の足は帰路ではなく、校舎の奥へと向かっていた。見知らぬ廊下、初めて上る階段。それでも、なぜかこの先に何があるのかは分かっていた。自身の足に身を任せ、校舎の奥へ奥へと進むと、足はある扉の前で一時停止した。そして、何の躊躇いもなく開けた扉の先には、見覚えのある部屋があった。
「名鬼くん、いらっしゃい!」
「あれ名鬼? あんた迷わずに来れたの?」
部屋のなかには、分厚い本を読んでいるエルフと開いた雑誌の上に寝っ転がっているプーカがいた。
「なんか家に帰ろうとしたら足が勝手に動いて、気が付いたらこの部屋に着いてたんですよ」
部屋を見渡すと、部屋の奥側にはソファー、テーブル、TVが、部屋の手前側は長机と椅子、そしてホワイトボードが設置してある。昨日は縛られていたため分からなかったが、部屋の奥をリラックススペースとして、部屋の手前が活動スペースとして活用しているようだ。
二人がいる長机を見ると、部長だと言っていたエルフが長机のお誕生日席に座っていたので、自然とプーカと向かい合うように座った。
「それでは、名鬼くんも来たことだし、さっそく活動を始めましょうか」
「あの最初に訊きたいんだけど、僕はもう正式に所属してるのか? というか、具体的に活動って何をするんだ? 亜人のためになることをするっていうのは、なんとなく分かるんだけど…」
活動を遮るようで悪いが、これだけははっきりさせておきたい。この活動を逃避ることはできるのか? もし逃避ることができないとしても、詳しい活動内容は確認しておきたい。
「…そうですね。1つずつ答えていきましょうか」
エルフは立ち上がり、そう言った。
「まず1つ目の質問、この部活動に所属しているかの問いに対してはYesです。昨日の時点であなたの人的権利は全て私に帰属しました。そのため、入部届もすでに私が顧問に提出してあります。続いて、2つ目の質問、この部活は名前の通り、亜人が楽に生きていくための手助けをする部活です。なので、基本的には、この部屋に助けを求めてきた亜人の悩みを解決することが多いですね。たまに人間の依頼もありますが、ごく少数です。他に何か質問はありますか? 気になることがあれば、じゃんじゃん聞いてください!」
「………は?」
ちょっと待て。僕の人権がエルフに帰属しているだと?
顔をエルフの方に向けたまま、目だけをプーカの方に動かすと、手を合わせて『ゴメンね笑』としている。
「すいません、ちょっとその子と話があるので、少しだけ時間をください。すぐ戻りますから」
セリフを言い終わる前に立ち上がり、僕はプーカを鷲掴みにして部室の外に出た。
「ちょっと! 乙女の体に気安く触らないでよ! 通報するわよ!」
「どうなってるんだ! なにがどうなったら、登校初日で僕の人権がなくなるんだよ!?」
「いや~、まさかあれを使うとは思わなくって。私も止めようとしたのよ! 騙されてるエルフを見てたら面白くって。気づいた時には二人のおでこがくっついていたってわけよ」
今の発言のどこに、止めようとした描写があるんだ。プーカに反省の色はなく、今の状況を楽しんでいるように見えた。
「昨日のおでこを合わせたときに発動した魔法、あれのせいで僕の人権はなくなったのか?」
「ん~、正確には違うわね。あれは、限られたエルフだけが使える眷属化の魔法よ。つまり、あんたはあーちゃんの眷属になったってわけよ。亜人の間では結構有名だと思ってたけど、あんた知らないの?」
「……人間に育てられたから、そういう亜人の常識ってやつは分からないんだ。なんなら、3年前まで自分は人間だと思って生きていたから、亜人はテレビでしか見たことなかったよ」
「あれま、あんたも色々あんのね。それはしょうがないわ」
意外にも、プーカには『馬鹿にしてもいい基準』のようなものがあるようで、人間に育てられたことに関しては触れてこなかった。こいつはいろんな意味でいい性格をしている。
「まあ、あーちゃんはあの性格だから眷属と言っても、奴隷のように扱われることはないから、心配しなくていいわよ。やることといっても放課後に部室に来て、あーちゃんのお手伝いするぐらいだしね。時給の出ないアルバイトだと思って、気楽に働いてちょうだい」
「ちなみに眷属を辞める方法って…」
「ないわよ」
だよねー
淡い希望は食い気味に否定された。
強制的に呼び出され、仕事を手伝わせて、おまけに辞めることは出来ない。とんでもない不当契約によって、部活動への参加は避けられそうにない。ここまで来たら、覚悟を決めよう。
「どうやっても逃げられないことはよーく分かった。せっかく高校に来れたんだから、何かの部活に所属しようと思ってはいたんだ。特殊な部活ではあると思うけど、今日から参加させてもらいます」
「よく言ったわ! それでこそ男よ!」
プーカは僕の右肩をぺしぺし叩いているが、今日は昨日ほど痛くない。
エルフの部長をあまり長く待たせるのも悪いから、早く部室に戻ろう。ドアノブに手をかけると、プーカは耳元で囁いた。
「最後にこれだけ約束。あんたがあーちゃんの眷属になったこと、誰にも言うんじゃないわよ」