第2話 エルフの歩みは未だ止まらず
「「あらい部へ、ようこそ~!!」」
先ほどまでいがみ合っていたとは思えないほどの笑顔の彼女たちがそこにはいた。普段であれば、容姿の整った女の子からの歓迎の言葉は、ありがたく頂戴するだろう。しかし、今の状況では話は別だ。手足は縄で結ばれているため使用不可、あまつさえ上半身と椅子の背もたれを巻き付けるように縄が巻かれているため、立ち上がることもできない。こんな状況で喜べというのも、無理な話だ。
「あらいぶ?」
「はい! 「亜人が楽に生きていくための部活」、略してあらい部です! そして、あなたはこの名誉ある部員第4号として選ばれたのですーー!」
部活動によほどの誇りを持っているのだろう。エルフは両手を広げながら、声高らかに返答した。
しかし、断言しよう。事故から救った恩人を椅子に縛り付ける部活がまともな訳がない。何とかして、早く脱出しなくては…
手始めに手首を縛る縄にわずかな緩みがないか、指先を慎重に動かす。派手に動けばバレる。だが、手首を回す程度なら気づかれることはないだろう。また、意識を反らすために、あたかも部活に興味を持っているような質問をエルフに投げかける。
「あ、あらい部ってすごいですね~、どんな活動をしているんですか? すっごく興味が湧いたんですけど~…」
「えぇーーー! ホントですかー!! こんなに興味持ってもらったの初めてです! あらい部はですね、私の先輩が作った部活でー、それでそれで……」
興味を持ってくれたのがよほど嬉しかったのか、エルフは食い気味で『あらい部』に関する説明をしてくれた。
『あらい部』とは簡単に言うと亜人の生活を助ける部活らしい。
人間が亜人の存在を認め、共存社会を目指すと宣言してから早20年。政府は亜人に対して人権の付与や仕事の斡旋、亜人学校の設立など、共存のための政策をいくつも実施してきた。しかし、現在においても、人間種と亜人種が同様の生活を送るのは難しい。その理由は亜人の持つ体質や習慣が関係している。定期的に火を噴かないと体温が上昇してしまうリザードマンや太陽の下での行動が制限される吸血鬼などの日常生活を送る上で支障をきたすものが多く存在する。そのような悩みを解決し、健康で文化的な最低限度の生活を送るための手助けを行う部活が…
この『あらい部』なのです!!」
パチパチパチパチ
僕は後ろで縛られた手の指先だけを動かし、器用に拍手をした。エルフは次なる質問に備えて、こちらの目をじっと見つめている。さながら、「早く! 早く、次のボールを投げてくれ!」と懇願するワンコのように。
次の質問を考えながら手首を動かし続けるが、手首を縛る縄は一向に緩む気配を見せない。エルフの話を聞いている時も、縄をねじったり、力を入れて広げようともしたが、びくともしなかった。
一度、縄の状態を確認しよう。もしかしたら、あと少しで縄が切れるかもしれない。そんな期待を抱きつつ、あたかも首の運動をしてますよーという風に首を回し、手首の状態を確認する
その前に目が合った
自分の左肩に乗る、笑顔のプーカと
ニコッ
「あんた、なにしてるの?」
ニコッ
笑顔の返事は笑顔と相場が決まっている。僕はプーカに対して、満面の作り笑いで答えた。
◇
「頼むから…お家に帰して…ください…」
肩で息をしながら、二人に頼み込む。結局、その後も藻掻いてみたが縄が緩むことはなかった。力には少し自信があったのだが、少しショックである。
「えーーっと、それで部活にはー」
「入りません」
「ふぇ!? そうですか…そうですよね」
エルフの悲しそうな顔に少し罪悪感を覚えるが、こちらとしては事故から助けた身である。感謝されることはあっても、あちらの指示に従う必要はないはずだ。
「すいません、長い間お付き合いいただいちゃって。すぐに縄を解きますね」
エルフが縄を解こうと、僕のもとへ歩み寄る。だが、その動きを遮るように、プーカが僕とエルフの間に飛び出し、鋭い声を上げた。
「エルフ、ちょっと待ちなさい! 彼を部活に入れないとこの部は廃部になっちゃうの! それ分かってる?」
「プーカ、そこをどいて。このヒトはね、私の命の恩人なの。気絶してるときに椅子から落ちたら危ないからってショーコちゃんの提案で縄で縛り付けたけど、もうそんなことできないよ」
やっぱり、プーカの仕業だったか。自由になったら、まずはお前をしばく。
「あーちゃん!!」
プーカは今までになく真剣な表情でエルフを見つめる。
「あーちゃん、よく聞いて。私たちは勝っているの。私たちはあーちゃんが一生懸命作った縄で彼を縛り上げて、彼はそれを全力で外そうとしたけど、外れなかった。つまり、これがどういうことか分かる?」
「どういうことなの?」
「森での暮らしが長かったあーちゃんは知らないと思うけど、人間社会ではね、互いに全力を出し尽くした勝負で負けた者は全てを失うの。彼はもう自決する権利すらないヒトの皮を被った家畜なの。人間社会はね、それだけ厳しい世界なのよ!」
何を言っているんだ、こいつは? もちろん、そんな社会などどこにも存在しない。それはプーカが作り上げた架空の設定である。
『プーカ』 それは巧みな話術で人を惑わせ、ときに身に余る幸運を授け、ときに奈落の底へ突き落とす———それが気まぐれな妖精プーカである。そして、気まぐれな妖精に惑わされたエルフが目の前に一人
目を大きく開き、両手で口を覆っているエルフは、驚きの表情を隠せないでいる。
「こ、これが…人間社会!?」
だめだ、完全に惑わされている。
そして、プーカは畳みかけるようにエルフを説き伏せる。
「そう、だから命の恩人だからとかじゃないの! 彼の命は私たちが責任をもって、有効に使わないといけない。これが彼に対する最大の恩返しであり、私たちにできる唯一の償いなのよーーーー!」
パチパチパチパチ
バカが涙を流しながら、拍手をしている。その後、バカは袖で涙と鼻水をぬぐい、決意を決めた表情でこちらを向いた。
「ちょ、ちょっと待て。僕は部活に入らないし、日本はまだそんなに世紀末していない。全部、こいつの作り話だ。ドゥーユーアンダスタン?」
バカは自信満々で答える。
「イエス、アイアム!!」
バカの足は止まらない。1歩、2歩、3歩と確実にこちらに近づいてくる。
僕に残されている時間は少ない。藻掻く、藻掻く、藻掻く。自分のありったのエネルギーを使い、全身を固定する縄を外そうと藻掻く。しかし、それでも最後まで縄が外れることはなかった。
4歩、5歩、6歩目でついに僕の眼前にエルフが到着した。彼女は先ほどまでとは打って変わり、凛とした雰囲気をまとっていた。その姿からは、どこか気品のようなものが感じられた。
そして、彼女はそっと自分の額を僕の額に重ね、静かにこうつぶやいた。
「あなたに命じます。あらい部に所属し、全ての亜人のために身を粉にして働きなさい」
この言葉を聞いた瞬間、本日2度目の暗転―――意識は奈落へ落ちていった。