第1話 ようこそ「あらい部」へ!
意識が戻った瞬間、異様な感覚が体を包んだ——これは…椅子に縛られている?
両脚は椅子の前足に固定され、手首も縄で縛られていた。さらに、上半身は背もたれに密着したまま、ぐるぐると巻き付けられている。身動きは、一切取れなかった。
それになんだか右半身にじんわりとした痛みが残っており、体を修復するためにドクッドクッと血流が脈打っていることが肌感覚で分かる。この感じだと、ケガを負ったのはおよそ半日前、症状は全身打撲ってところだろうか?
まだはっきりとしない意識で今朝のことを思い出す。
ぼんやりとした意識の中で、今朝のことを思い出す。今日は高校の入学式だったはず。眠い目をこすりながら家を出て、校門前の信号で立ち止まり……そこから先の記憶が、途切れている。
「あれ~? もう起きてんじゃん」
思考を遮るように甲高い声が後ろから、正確に言うと左肩の上から聞こえた。そして、恐る恐る左側に目線を移動させると、そこにはウサギのような耳を生やし、ティーカップくらいの背丈をした小さな少女が、肩にまたがるように座っていた。
「あんたすごいわね。朝は腕とか紫色通り越して真っ黒になってたのに、もうほとんど治ってるじゃないの」
小さな少女?、略して「小女」は左肩から僕の頭上をぴょんと跳び越え右肩に移動し、右肩をぺしっぺしっと叩いている。
「痛っつ」
「あら、まだ完治はしていないみたいね。ごめんなさい」
彼女はにたりと笑いながら、適当極まりない謝罪を口にした。
「というか、ここは何処なんだ? なんでけがをしているんだ?」
「ん~、私は事故現場を見たわけじゃないし~(正直めんどくさい)。説明は部長にまかせようかな!」
そう言うと、「小女」は僕の肩から飛び降り、視界から消えた。後ろの方からぴょこぴょこと音が聞こえるため、部長とやらを呼びに行ったのだろう。また、彼女が僕の肩から平気で飛び降りたことには驚いた。彼女の小さい体を基準に考えると、椅子に座ったときの肩の高さは、通常サイズのヒトに換算すると5階建ての建物ほどの高さに相当するだろう。彼女は小さい割に丈夫なのかもしれない。
そんなことを考えていると、先ほど聞いたぺしっぺしっという音が後ろの方から聞こえてきた。
「あーちゃん? 寝てないで起きてよ~。」
「ふぁい…、あと少しだけ……むにゃむにゃ…」
「ふーん、起きないんだ。それでいいんだね~」
「小女」とは今日初めて会って、少し話した程度の間柄だが、後ろを見ることが出来ない僕にでも、彼女がどのような顔をしているのか手を取るようにして分かった。
その後、数秒の沈黙
「ひゃい、ひゃめてください! もうおきてます、おきてるから、脇だけはやめてくださいー!」
「うるさーーーい! あんたが起きないのが悪いんだからね。これはあたしがあなたを起こすという労働に対する、正当な対価なわけよ!」
その静寂を破ったのは、「小女」の甲高い声ではなく、柔らかい女性の声だった。
その後、ソファーがきしむ音やプラスチック製の何かが床に落ちる音、その他雑多なドタバタ音が部屋に響き渡る。しかし、それも1分もすれば収まり、「小女」と争っていたと思われる部長?が右肩に「小女」を乗せて、僕の左横を通り過ぎる。
先端が鋭く尖った耳、さらさらとした長い金髪、両手で抱えるように持っている分厚い本。それらを見た瞬間、今朝の記憶がフラッシュバックした。
◇
交差点で大勢の学生が佇んでいた。スマホを見つめるヒト、信号をぼんやりと眺めるヒト。多くのヒトが各々の方法で暇な時間を消費している。日本教育の賜物か、それとも多くの他人に見られているという意識がそうさせるのか分からないが、赤信号を無視する人は一人もいない。そんな中、一人の学生が誰もいない横断歩道に一歩足を踏み出した。そして、2歩、3歩と歩みを止める様子はない。二宮金次郎が如く、いやそれ以上に本と顔を近づけているため、周りが見えていないのだろう。4歩、5歩、6歩、彼女は変わらずに前に進み続ける。
そして、赤信号を渡ればどうなるか、言わなくても分かるだろう。彼女に向かって黒いの大型車が突っ込んできた。車の運転手もよそ見をしているのか、スピードが減速する様子はない。
そして、ーーー僕の記憶はそこで途切れたーーー
◇
そして、その彼女が現在目の前にいる。今朝は本が邪魔をして顔を見ることが出来なかったが、今の彼女は眼鏡をかけており、穏やかな表情をしている。顔が少し火照っているのは、さっきの争いの後遺症であろう。
「え~と、初めまして。いや、初めましてではないか? とりあえず、今朝は本当にありがとうございます。あなたが私を突き飛ばしてくれてなければ、車に轢かれて大けがを負っていたと思います。本当に、本当にありがとうございまひゅっ」
あ、噛んだ
彼女は舌をかんだ痛みによって、苦悶の表情を浮かべながらも、深々と頭を下げた。そして、彼女の左肩に乗っていた「小女」はついでに床に落ちた。
顔を挙げた彼女に苦悶の表情はなく、照れくさそうに笑っていた。
「あの…、あなたの名前を聞いてもいいですか?」
「あぁ、暁 名鬼っていいます。名前の名に鬼で名鬼です」
「暁 名鬼ですか! では名鬼くんとお呼びしましょう。わたしは高等部2年の森 天音で種族はエルフです! そして、左肩の彼女は同じく高等部2年の畑 性子で種族はプーカです! 今後ともお見知り置きを! ってあれ? いない…」
「……あんた、覚えてなさいよ」
床に落ちたプーカの小女は腰をさすりながら、遥か上に存在する彼女の顔を睨みつける。
ここまでの会話であらかた僕の疑問は解決した。なぜ右半身にじんわりとした痛みが残っている理由や彼女たちが誰なのかは分かった。しかし、なぜ椅子に括り付けられ、身動き一つとれない状態なのかは全く分からなかった。
「あの~」
「はい! 何でしょう?」
エルフの少女は自身の脛に噛り付くプーカの少女を払いのけ、こちらに顔を向ける。
「僕はなんで縛られてるんでしょうか?」
「あぁ、すいません! すぐに解きます。……でも、その前にと」
エルフの少女は制服のポケットから2つの円錐を取り出し、片方をプーカの少女に渡す。そして、少し離れた僕がギリギリ聞こえるくらいの声量でせーっのっという掛け声の後、
「パンッ!」と乾いた音が響く。次の瞬間——
「「あらい部へ、ようこそ~!!」」
・プーカ
ケルトの神話・伝説に伝わる妖精あるいは妖魔の一種。人間に害をもたらす存在とも、恩恵をもたらす存在とも伝わる。
wiki参照